赤いシャツの男

髙橋

1

 今日も暑い。真夏の日中はまさに地獄の暑さだ。

探偵事務所の中はクーラーがきいているものの、それだけにより一層外に出ることが億劫になる。


「今日も暑いねぇ」


探偵が事務所内のソファに寝そべりながら、のほほんとした顔でこちらに話しかけてきた。


「それはそうですけど、いい加減仕事してくださいよ。今月も家賃払ったら、すっからかんですよ。どうするんですか」


「そうは言っても君、この暑さだよ?浮気調査や、ペット探しなんかで外駆けずり回ってたら僕死んじゃうよ」


探偵はなにかと理由をつけて、仕事をサボろうとする。事務処理など細かい仕事も全てこちら任せだし、これでは助手というより雑用だ。しかし探偵にやる気を出してもらわなければ、その雑用ですら食いっぱぐれることになりそうだが。

とにかく、尻を蹴り上げてでも仕事をさせなければならない。


「まったくいい加減にしてください。依頼はいくつも入ってるんですから。

ほらこれなんかどうですか?ITベンチャー企業CEOの浮気調査。依頼人はCEOの妻からです。依頼料は期待できそうじゃないですか」


探偵は面倒くさそうに顔だけ上げると


「なにが悲しくて他人の浮気現場をこの暑さの中追いかけまわさないといけないのさ。汗だくになってハァハァ言いながら人の尻をつけまわすなんて、どちらが変態か分かったもんじゃない」


「それならこの人探しの依頼はどうですか。依頼人は金融会社勤めで金払いもよさそうですよ」


探偵はソファに寝そべりながら資料を一瞥すると


「依頼人の勤め先、ここの会社の主な仕事内容って債権回収の代行なんだよね。

依頼されてる人探しってのも、おおかた借金してドロンした奴の捜索だろう。

時間がかかり過ぎるからパス」


「怒りますよ?まったく。いい加減やる気を出してもらわないと、本当に今月ピンチなんですから。家賃以外にも支払いはあるんですよ。どうするつもりなんですか?」


「いっそ僕らも夜逃げするか」


「その前に私の今月の給料払って行ってくださいね」


「君は助手としてとても有能だけど、少々シビアすぎるね」


「誰のせいだと思ってるんですか、まったく」


これでは話にならない。まずはなんとか探偵のやる気をひねり出さなければ。



 助手は探偵の前の椅子にため息とともに座ると、ふと思い出したように


「そう言えば今朝、妙な人を見たんですよ」


と切り出した。


「正確には妙というより違和感を感じたって程度なんですけど」


「ふぅん、どんな違和感?」


と探偵は聞き返した。

助手はしめた!と思いつつ、話を続けた。


「今朝ここに来る途中すれ違った男のことなんですけどね。

その男、濃い赤色のシャツを着てたんですよ」


「赤いシャツを着てたら何だっていうんだい?」


「いやそうなんですよ!それだけなら別に大したことないんですけど。

そのシャツって形も素材もワイシャツのようなんですけど、色は赤なんですよ、正確には赤黒い感じの。そしてズボンなんですけど、黒のスラックスだったんですよ」


「スーツのズボンみたいな?」


「そうなんです!だからちょっとおや?と思ったんですよね。

この暑さですからジャケットやネクタイのないクールビズは分かるんですよ。

でもビジネスマン風のクールビズの服装で赤いシャツはまず着ないですよね。カジュアルな服装が許される職種なら分かるんですが、そうするとズボンがおかしくなるんですよね。

あれ明らかにスーツ用のスラックスでしたから」


「カジュアルな赤いシャツとフォーマルな黒のズボンのちぐはぐな服装の男を見て、君は違和感を感じたわけだ」


「そうなんです。服装なんか気にしないタイプの人って感じでもなかったんでよね。

髪型はしっかりと七三分けで黒ぶちの眼鏡、時計や鞄、靴も派手ではないが良い物を身に着けてましたから」


「パッと見た感じはクールビズのビジネスマンだね。真っ赤なシャツを除けば」


「でしょう?だから違和感を感じて。すれ違った後、思わず振り返って二度見しちゃいましたよ。

まぁ違和感と言ってもこれだけなんですけどね。」


「君はその男はどんな男だと思う?」


「どんな男か、ですか?」


「正確には“何をしたか”だね」


「さぁ・・・単に服のセンスの悪いビジネスマンなんじゃないですか?

あるいは寝ぼけて着ていくシャツを間違えたとか」


「その可能性もあるけど違うと思うよ」


「それじゃいったい何なんです?」


「決まってるじゃないか、殺人犯だよ」



 助手はしばらく返事ができなかった。ようやく口を開くと


「殺人って・・・なんでそうなるんですか」


探偵は寝ている状態から起き上がると、ソファに深く座った。


「君から話を聞く限り、その男は人を殺している。おそらく刺殺だろう。犯行時刻は昨晩遅くから、今朝早くまでのどこかってとこかな」


「ちょ、ちょっと待ってください。なんで赤シャツを着ているってだけで殺人犯になるんですか。

理由を先に話してくださいよ」


 探偵は少し意地悪そうにニヤリと笑うと


「分かったよ。まずその男、やはりビジネスマンだろう。クールビズでシャツの色は元々白かったはずだ。しかし相手を殺した際にもろに返り血を浴びた。あいにく着替えも持っていない。

もし、ジャケットを着ていたのなら、そこまで返り血は目立たなかっただろうが、白のシャツに大量の血痕が付いたとなればどうしたって目立つからね」


「でも、私が見た男のシャツは赤一色で生地に白い部分なんてありませんでしたよ。

返り血だとしたらいくらなんでも多すぎますよ」


「その通り、だからその男も考えたのさ。生地に白い部分が残っているから目立ってしまう。

ならば、シャツを丸ごと血染めにして真っ赤にしてしまえばいい、とね」


「えっ!?それじゃ、あの男・・」


「被害者の血で赤黒く染めたシャツを着て歩いてたってことさ。返り血の斑点なら目立つが、

赤一色にしてしまえば案外目立たないもんだ。人間の心理って面白いね。

シャツが濡れていてもこの暑さなら汗をかいたってことにできるしね。

もっとも君のように目ざとくズボンや他の所持品から違和感を悟られることもあるけどね」


助手はあの男とすれ違ったときのことを思い返してゾッとした。


「それほど大量の血を被害者に流させるためには刃物が必要だ。だから被害者は刺殺されたんだろう。ただ計画的な犯行ではないだろうね。最初から刺し殺すつもりなら白いシャツなんか着ていかない。もみ合った末に刺し殺してしまった、とかじゃないかな」



 助手はしばらく呆気にとられ、黙っていたが、ようやく口を開いた。


「なんとも不気味で恐ろしい話です。しかし・・・本当に殺人犯なんでしょうか?

いくらなんでも話が突飛すぎませんか?

だって決め手となってるのは、シャツの色だけですよ」


助手がそう言うと、探偵はクスクスと笑い


「さぁ?あくまで推理でしかないし、そういう可能性もあるかもねってだけさ。

そもそも判断材料が君の話だけじゃねぇ」


「やっぱり・・!もうからかわないでくださいよ」


「ハッハッハッ!さてと、眠気覚ましの頭の体操もできたことだし、そろそろお仕事にしますか」


探偵はソファから立ち上がると、大きく伸びをしてコーヒーを淹れにいった。


まったくこの人はいつもふざけてばかりだ。と助手は思いつつも、しかし探偵に仕事のやる気を出させることには成功したと心の中でガッツポーズをした。



 助手もさすがに今回の探偵の話は冗談だと思っていた。


 事務所に置いてあるテレビから、この近辺で刺殺された死体が見つかり、現場から赤いシャツの男が立ち去るのを目撃されたというとニュースが流れてくるまでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤いシャツの男 髙橋 @takahash1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ