桃仁

深川夏眠

桃仁(とうにん)


 ごちそうさま、美味しかったね。お腹いっぱいと言いつつ、デザートはでしょ? ああ〈白桃フェア〉ねぇ。あたしは、うーん……。抹茶白玉パフェ。え? 桃が嫌いなのかって? ちょっとばかり事情があってね。子供の頃からずっと大好きだったのに、ある出来事がきっかけで見るのも嫌になっちゃって。聴きたい? それでは、お耳を拝借。


 あたしは中学の途中から山奥の全寮制の女子校に編入したの。家庭の都合やら、いじめに遭ったとか性的な被害を受けたとかって事情で女の子が駆け込むシェルターみたいな場所だったんだけど、宿舎はふたむねあって、A棟が高等部、B棟が中等部の生徒が暮らす場所。B棟からA棟へ移る、修了式が済んだ後の春休みだったと思ってちょうだい。

 A棟は成績上位者が三人部屋、その他が四人部屋というルールがあって。四月から高等部一年になるあたしは中三の三学期の結果がかんばしかったから、トリプル・ルーム入り。一つ上の先輩方二人とご一緒させてもらえると決まって、喜び勇んで引っ越した。お二方の名前は刀根さんと西村さん。刀根さんは背が高くて中性的でクールな雰囲気、西村さんは細身で見るからにひんのいい、お嬢様タイプだったけど、どちらも意外に気さくで面倒見がよくて、というのかな、朗らかで楽しい人たちだった。

 ただ、少々あくどい冗談が好きだったのよね。プラクティカル・ジョーク。例えば――友達が席を外した隙に、座ったらが鳴るクッションを椅子の上に置いておく、とか。詳しくは江戸川乱歩の小説を読んでみて。

 それで若干、嫌な予感はしたものの、百物語の会に参加した。ミーティングルームは火気厳禁だというのに、列席者はティーライトキャンドルを置き、薄暗がりの中で順にを披露していった。終わったらフッと炎を吹き消して……。もしものときに備えて消火用の水も用意してあったけれどね。あたしは何を喋ったっけなぁ。新興住宅地のポルターガイスト問題だったかな。覚えてないや。

 さて、俗に言うが刀根さんで、中等部時代の思い出を語り始めた。

「B棟は一律、六人部屋だけど、一人欠員が出て五人で寝起きしていた頃。何となく三対二に分かれていた。二人というのが……名前は仮にQとRとしよう。Rが姉貴分らしくQの面倒を見ていた。Qは親の再婚で血の繋がらない兄弟ができ、恐怖に駆られて日常生活もままならなくなって、見かねた親類の手配でここへ来たそうだ。極度に繊細か異様に自意識過剰か、どちらかだったろうね。食べ盛りの年頃にしてはビックリするほど少食だった。Rがあれもこれもって母親みたいにせっつくところを何度も目撃したなぁ。でも、決してしょくが細いわけじゃなく、他人の視線に晒されているとスムーズに物が呑み込めないだけみたいだった。もしかして、食事中、義理の兄弟に不快な目に遭わされたのがきっかけだったんじゃないのかね。

 皆さんご承知のとおり、食堂はカフェテリア方式だから自由にすればいいんだけど、食中毒その他のトラブルを回避すべく、食べ残しの持ち出しは禁止。しかし、RはQを唆して何だかんださせていた。問題は、冷めた夜食をどこでつつくか、だわな。コソコソやっている手前、我々も一緒の寝室では気まずかろうし。ともかく、RはどうにかしてQに食べさせようと腐心している風だった。

 同室だからスルーしようったって視界に入ってきちゃうじゃない? で、ある日、軽く探ってみた。図書館のパソコンでね」

 母校には図書室じゃなく、校舎とは別に独立した建物があったのよ。

「在校生名簿によると彼女らは従姉妹だって。調べ出したら余計に気になっちゃうのが人情で、尾行の真似事なんかも始めてしまった。

 ある休日、彼女らは街へ下りてメチャクチャ買い物して戻ってくると、裏の斜面の雑木林へ向かっていったので、そっと後をつけた。物置小屋や放置された不用品が山と積まれた辺りに身を潜めながら、会話に耳をそばだてた。QとRは日持ちのいいレトルトや真空パックの食品を箱に詰めて地面に埋めようとしていた。シャベルは重いから代用品のつもりか、単に区別がつかなかったのか、じゅうのうで穴を掘って」

 補足。ともじゅうのうっていう、本来は炭や灰を運んだり、側溝の掻き出しに使ったりする道具。

「食い足りないなら、おやつを売店で買えばいいんだから、何だってわざわざそんな手間をかけるのかと思ったら案の定、Qは馬鹿馬鹿しいからやめようと言い出した。が、Rはムキになって、あんたのためにいろいろ考えてやってるのに! と返した。買ってきたものの中には果物もあって、ほら、食べなさいよと袋から出してグイグイ押しつける。それは桃で、無益な応酬の間に皮が破け、崩れ、潰れ……もったいないなぁと思いつつ傍観していたら、予想どおり二人はそれを顔面にぶつけ合う始末。漂う芳香に無常を感じたわ。

 挙げ句、つかみ合いの喧嘩になったと見るや、Qは十能を振り上げてRの頭を殴った。Rがよろめきながら顔色を変えて食らいつこうとしたところで、もう一撃。Q曰く、一番鬱陶しいのはだ! って。ここへ逃げ込んで過去をリセットして皆さんと上手くやっていくはずだったのに、無理矢理くっついてきて邪魔しやがって――。

 察するに、何かにつけて姉さんぶって、うるさく干渉してくるRが、Qにはずっと疎ましかったんだろうね」

「それからどうなりました……?」

 嫌な予感に胸が早鐘を打ち始めていたっけ。恐る恐る訊ねると、

「草むらに顔をうずめるみたいに俯せに倒れたRの横で、Qはあぐらを掻くような格好で座り込んで、新しい桃を取り出した。注意深く爪を立てて切り込みを入れ、慎重に皮をめくって薄黄色の果肉に歯を立てた。Qはゆっくり、しかも確実にアムブロシアーを貪った。ズルズルと下品な音を立てながら、滴る果汁を夢中で啜り上げたのさ。頬を紅潮させ、息づかいも荒く、体内に沁み渡る滋養に酔い痴れて。それは一時の空腹しのぎとは似て非なる行為に違いなかった。彼女の眼差しには勝者の凱歌と同時に被征服者への蔑みと、次の獲物を脳裏に描く獰猛さ、そして、エクスタシーの後の倦怠感がたゆっていた。うっすら漂う血の匂いに鼻をヒクヒクさせながら、こっそり様子を窺っている窃視者がいたとは、思いも及ばなかっただろう」

 刀根さんの語りはいにしえの吟遊詩人をイメージさせた。あたしは惚れ惚れしながらも、自分を現実に引き戻して、

「QとRの二人は、その後……?」

 刀根さんは素っ気ない口調で、

「帰ってこなかった。だから、以後、六人部屋に三人で寝起き」

 西村さんが追随するように頷いた。

「……で、あの?」

 刀根さんはあたしを顧みてニヤッと笑い、

「確かめてみる? って言うでしょ。ちょうどいい頃合いだ。Qが吐き出した種が今頃、実を結んでいるかもしれない」

 誰かがヘッドランプを私の方へズイッと押し出した。

「その格好じゃ風邪ひくよ。これ着ていきな」

 いつからそこにあったのか、ベンチコートが一着。私は左右の人に促され、渋々立ち上がりながら、のだと理解した。今夜の集まりにおける最年少、A棟に入りたての新人への、これは入寮儀式としての肝試し。百物語は、そのだったのだ。嫌も応もなく装備は完了し、私は酷寒の野外へ追いやられた。

 人を小馬鹿にしたクレヨンきの雑な案内図を睨みながら、刀根さんの言う裏の斜面の雑木林とやらへ向かった。鬱蒼と生い茂った木々の葉がザワザワ不気味な歌声を響かせる中、物置小屋が姿を現した。任務は桃の実をんでくること。しかし、いや、待てよ……と、あたしは冷静さを取り戻しつつある頭で考えた。

 もうわかってるでしょ? そう。季節が違う。横溝正史『ごくもんとう』で言うところの……おっと、これは迂闊に口に出せない単語。そうそう、仮にQが食べた桃の種が発芽して育ったとしても、そのときは三月末だったのだから、花の時季。実がっているはずはないのよ。刀根さんにからかわれていたの。後輩へのってヤツだったのかな。

 気を鎮めたあたしは、せめてひとえだ携えて帰ろうと、キョロキョロ辺りを見回した。そうしたら、踏み台になりそうな切り株から何かがニュッと突き出ているのが見えた。空に向かって花びらのように開いた白い掌。その上に載っているのは一粒の種――。

 作り物に違いない。刀根さんたちがこしらえた舞台装置だったのだろう。だけど、心臓が縮み上がった気がして夢中で引き返した。ただ、現場まで辿り着いたに、貰った地図を物置の窓枠の隙間に突っ込んでおいた。私がミッションをクリアした証拠はそこに残してきたから、お疑いならご確認くださいっていう意趣返しのつもりだった。

 息を切らしてA棟のエントランスに戻り、みんながゲラゲラ笑っていたら腹が立つなぁとブツブツ文句を言いながらエレベーターに乗ろうとしたら、他に人のいる気配を感じた。耳を澄ますと、螺旋階段のした辺りから怪しい物音が聞こえてきた。ガッ、グッ、ゴソッ……ポキッ、グチュッ。チュルルル、ベチャッ。誰かが暗がりにうずくまって何か食べている!

 キャーッ! と悲鳴を上げたのは頭の中。本物の恐怖に打ちひしがれたら、意外に声など出ないものだと後からしみじみ思った。いや、そのときはパニック状態よ。だって、果物のいい香りに別の変な臭いが混じって漂っているし、あしもとにコロコロ転がってきたんだもの、多分、桃の種が。

 あたしがほとんど呼吸困難に陥った状態で逃げ帰ったから、刀根さんたちも驚いて、てんやわんや。誰も話のをつけるどころじゃなくなっちゃった。


 といった次第で、桃を食べようとすると息が苦しくなってしまうの。好きなのに。切ないなぁ。

 余談だけど、桃の種は月経不順を改善する漢方薬の原料になるそうよ。トウニンっていうんですって。



                 【了】



*2021年3月書き下ろし(縦書き版はRomancerにて)

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桃仁 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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