異形コレクター(眼球編)

神山雪

異形コレクター(眼球編)

  

 ユタの住んでいる街で、眼球が抜き取られる事件が頻発したのは、彼が12歳の時だった。ある被害者は亡くなり、ある被害者は義眼になったけれど、「事件のことは覚えていない、誰に取られたかもわからない」と記憶を亡くした風だった。結局その事件は解決せずにお蔵入りとなった。


 事件が頻発する前、ユタの通っていたクラスで、やたらと瞳の綺麗な男の子が転校してきた。クラスメイトは頻繁に顔立ちの端正さを褒めそやしたが、ユタは瞳の純度の高さこそ注目されるべきだと思った。黒水晶のような色は底のない沼のようだった。あの瞳に吸い込まれたら戻って来れなくなる。そんな引力も持っていた。転校生は快活で、すぐにクラスに溶け込んでいった。もともとここにいましたと言わんばかりに。


 その頃のユタは、いや、その頃からユタは、何かを集めては液体に着けて保存するという、標本の真似事をするのが好きだった。理科の実験室で見たカエルのホルマリン漬けや化石の欠片を見て、生き物も無機物も、あらゆる手段で美しく保存することが可能なのだと知った。天気官というものを作れば、雪だって保存できると知った時は眠れないほど興奮した。クラスで同級生と話すより、実験室で一人で標本の真似事をする時間の方がよっぽど有意義に感じたものだ。


 モンシロチョウの羽を乾燥させて、空気を抜く。

 自分の切り取った爪を液体に付けて、どれぐらい保存が効くか繰り返し実験する。


 そんなユタの興味は、少しずつ転校生の眼球へと変わっていった。

 

  *

 

 その部屋には、様々なものが標本という名前の結晶にされていた。狭い部屋の中には、標本と、標本に必要なものがぎっしり詰まっている。壁を埋め尽くす本棚には、液体に漬けられたカエルがそのままの姿を保っていて、星のように美しいガラスの欠片が水晶の中に閉じ込められていた。ユタはアリサに向けてガラスが水晶化されている理由を説明する。樹脂にガラスを入れて、UVライトで樹脂を硬化させているからだと。


「中にものを閉じ込める方法は主に二つ。ホルマリン漬けのように液体につける方法。もう一つは、樹脂を固める方法」


 アリサはその部屋を「結晶室」と名付けることにした。つんとした薬品の匂いが薄く漂う、特殊な場所。アリスにはこの部屋が、実験室のような、冷たくて密やかな場所のように思えた。実験室は人気もなく薄暗い。そして、実験に必要な機材が揃い、その結果が保存されている。この部屋は様々な人が、様々なものを永久に保存して欲しいと頼んでくる。結晶化のために作られ、その結果が並べられている。極めて個人的な部屋だ。


 結晶室では、様々な依頼を聞いて、ユタという青年が標本を制作している。


 アリサがユタという青年の助手になったのは、ほんの数日前だった。アリサは彼の、美しい結晶と永遠に残る標本を作る魔法使いのような手に憧れた。ユタは作る結晶の数が増えてきたから、助手が欲しいと思っていたようだった。アリサの仕事は主に、標本と結晶の管理に依頼の受付。それから、材料の調達だった。

 その中でひとつ、アリサにとっての謎のものがあった。


「ユタさん。これはなんですか?」


 標本は隠されることなく、全て棚に収まっている。キノコの胞子を閉じ込めたもの。猫の爪のようなものもあった。

 アリサがこれ、と言ったものは、棚の隅の隅に、白い布が掛けられていた。先日、掃除のために布を取ろうとしたら、鋭い声で静止された。普段穏やかなユタの見せる剣幕に、アリサは静かに驚いた。


「ああ、これは見せられないんだ」

「どうしてですか?」


 私だけのものだからだ、とユタは答える。


「待っているんだよ」

「……誰をですか」

「教えられないな」


 少し不満そうな顔をしながらも、アリサはそこで引き下がった。ユタはその様子に胸を撫で下ろす。ーーこればっかりは、誰にも教えたくはないのだ。


 白い布で隠された結晶という名前の標本。

 目を閉じると、夕暮れの記憶が蘇る。

 幼い頃のユタが出会った、美しい怪物の一部だった。

 

 *

 

 カタカタカタと遠くで虫が鳴いている。ユタがそれを見たのは、学校の帰り道だったからだ。人気のない寂れた神社を横に通ると、赤い鳥居の中に転校生がいた。

 夕暮れよりも鮮やかな赤が、転校生の手を濡らしていた。


「これはさ、ころしじゃないんだ」


 ユタの存在に気がついて、彼が口を開いた。ユタと彼の間には、長い黒髪の少女が倒れている。少女が息をしている気配はなかった。沈黙が雄弁に絶命をものがたっているが、ユタの耳には彼の、ころしじゃない、が妙に舌足らずに聞こえた。


 血だらけの手で、彼は何かを弄んでいた。柔らかくて崩れやすい。それでいて、大層美しいもの。

 眼球だった。


「狼が山羊を食べるのはころしじゃないだろう? 僕は人の目を取らないと、生きていけないようになっているんだから」


 彼は手のひらをかざす。すると手のひらに、すっと黒い線が描かれた。徐々に黒い線が太くなり、次第に二本になった。端がくっついたまま日本の線は山を描く。山と山の隙間から現したものに、ユタは声をあげそうになる。


 開かれた青い眼球だった。


 手のひらだけではない。額や腕や首筋にも、いくつもの線が描かれては、瞳が開かれていく。首筋のものは黒い。額の瞳は翠色で、猫の瞳を連想させた。


「君は人ではないんだね」


 彼は静かに頷いた。どうめき、という鬼だよと彼がにこやかに教えてくれた。指先で中に文字を書く。百の、目を持つ、鬼。


「僕の体は眼で出来ている。人が食べないと生きていけないように、取り入れないと死んでしまう。でももう、それもおしまいかもしれないね。どうする? 誰かに言う? 別にいいよ」


 ユタは少し考えた。目の前にいる彼は人ではない。この件は自分の手には負えない。警察に言っても無駄だろう。捕まえたところで、人間ではない彼が逃げられる可能性は高い。同じような事件はきっとどこかで起こる。……ならばいっそ。


「言わないよ。その代わりに、条件がある」

「何だい?」


 彼はユタの提示した条件を、あっさりと飲み込んだ。ユタが瞠目してしまうほど、空気のように軽く。


「……君はそれでいいの?」

「言ったのは君だろう。それで僕が生きていけるなら軽いものだ」


 彼は、ユタに条件を渡した。ユタの手のひらで、ころころとそれは星屑のように踊った。


「綺麗にしているか、たまに見にくるからね。その時まで腐っていたりしたら、君の眼をもらうから」


 ユタは手の中に残ったそれを、潰さないように大事に大事に、手のひらで覆った。藍色に染まった空から、ひとつの大きな星がそれを見つめている。誰にも見られてはいけない、誰にも見せたくない秘密を抱えて家に帰る。

 そうして彼は去っていった。学校からも消えてしまった。担任は家の都合で転校して行きましたと伝えた。事件が今後起こることはなかった。そのうちに事件すらも風化してしまった。

 

 *

 

 アリサが帰った夕どき、ユタは一人で結晶室に佇んでいた。窓から見える夕陽の赤さは、あの時の彼の手を思い起こした。久しぶりに、棚の端の標本に近づいた。

 丁寧に白い布を取ると、底無し沼のように綺麗なひとつの眼球が、水晶より透き通った液体で結晶化されていた。


「綺麗にしているよ。この世で一番大事なものだから」


 初めて見た時から、この瞳が欲しかった。この瞳が底無し沼というのは本当だ。純度が高く、濁っていなかったのだから。保存できて、自分のものに出来たらどんなにいいだろうと、彼を見るたびに思ったものだ。


 あれから待てども彼は現れない。今も彼はどこかで、誰かの瞳を取っているのだろうか。その瞳だって、この標本には叶わないに違いない。


 薄暗い充足に満たされながらユタは白い布を被せた。

 

 

 

 

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異形コレクター(眼球編) 神山雪 @chiyokoraito

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