届かないリンゴ 【KAC20214】

江田 吏来

リンゴ狩り?

 不要不急の帰省や旅行など、都道府県をまたいで人が移動することは、新型コロナウイルス感染症のまん延防止の観点から、厳に控えていただきますようお願いいたします。と言われたので、盆の帰省はあきらめた。その時電話で「年末年始は帰るから」と約束をしたのに帰省できそうにない。

 七十歳をこえた親に会えるのは、あと何回ぐらいなのか。

 年に二回ほど会っていたから、十年生きてくれたら二十回。二十年なら四十回だが、二十年はさすがに……。

 親に会える機会を「あと何年」ではなく「あと何回」にしてみると、癒やしがたい寂しさが胸に広がった。


「はあ……」


 朝食後のコーヒーに向かって大きな息を吐きだした。

 十二月になったので、そろそろ年末年始も帰省できないことを伝えなければならない。

 

「コロナ禍だから仕方がない」


 言い訳のようにつぶやいても、ガッカリする親の姿が目に浮かぶ。俺の背中はどんどん丸くなって気が重い。

 手紙と一緒に好物のリンゴを送って許してもらうか。ふとそのようなことを考えたが、手紙の方が面倒くさい。やはり電話だ。サラッと話してサッと終わろう。

 俺はうん、うん、とうなずいてスマホを取り出した。

 黒い画面には四十前の老けた俺が映っている。

 親はもっと老けて、孫に会えるのを楽しみにしているのに、会わせることもできない。 なんとかしたいと思っても、コロナ禍だし、電脳音痴だし。

 またうだうだ考えはじめると、妻の声が飛んできた。


「あなたー、お義母さんから電話よー」


 ビクッと肩が上がった。

 母から電話してくることは滅多にない。俺の連絡が遅いから、しびれを切らして年末年始の予定を聞きに来たのだろう。


「もしもし、母さん。元気にしてる?」


 頭の中は盆も正月も帰省しない親不孝を許してくれと、後ろめたい気持ちでいっぱいだったが、母はいぶかしげな声で変なことを聞いてきた。


倖平こうへい、あんたリンゴ狩りに行ったかい?」

「は?」

「先週の今ごろだったかしら。まあ、ちょっと前の話なんだけど――」


 十一月の終わりごろ、母は重苦しい声の電話を受け取った。


『あっ、母さん? オレだけど』

『ん? 倖平かい? なんて声してるの。聞こえにくいんだけど』

『いやぁ、風邪引いて、声が出にくいんだ』

『こんな時期に風邪って。あんたまさかコロナじゃないでしょうね』

『違う、違うって』


 はははと笑うその声は、母が記憶している俺の声ではなかったらしい。でもそれは風邪のせいかもしれないと、半信半疑で話を続けたそうだ。


『で、どうしたの。風邪ならさっさと病院に行きなさい』

『あー、ちょっと待って。切らないで。この前リンゴ狩りに行ってさぁ』

『コロナ禍なのにリンゴ狩り?』

『会社関係で断れなくて……って、そんな話じゃなくて、リンゴの話に戻すよ』


 話し方は俺とそっくりだったから、母はやはり俺からの電話だと信じ込んでしまったのだ。

 疑うのをやめて、久しぶりの会話に耳を傾けたそうだ。


『リンゴ狩りの土産で一箱、貰ったんだけど青森の友人からもリンゴが送られてきて。二箱も食えないだろ。だから一箱、母さんのところに送ったから』

『あら、それはありがとう。お父さんもリンゴ大好きだから喜ぶわ』

『三日ほどで届くと思うし、めっちゃ甘いから期待してて』


 そこで電話は切れた。

 だが三日過ぎても、四日過ぎてもリンゴは届かない。


「おいおい、もしかしてリンゴを送るから住所を教えてくれとか言われなかったか?」


 俺は焦った。

 在宅している高齢者を狙ったオレオレ詐欺には予兆電話がある。何気ない会話で在宅時間や家族構成などを聞き出して、留守中に現金を奪ったり、通帳やカードをだまし取ったりする手口がある。

 

「住所なんて聞かれなかったわよ。リンゴの話ばっかりだったわ」

「それじゃ、いきなりリンゴが送られてきて高額請求とか」

「リンゴを送ってこないから、あんたに電話してるんだけど? ただの間違い電話かしら」

「その可能性が高いな。でも被害に遭ってからじゃ遅いから、気を付けてくれよ」

「そうねぇ、気を付けるけど……。あっ、それより年末はどうするの?」

「おっと、そうだった」


 年末年始も帰省しないことを伝えると「コロナだし、仕方がないねぇ」と残念がっていた。そして互いに体に気を付けてと言って、電話を切った。


「リンゴか」


 妙な気分だった。

 ついさっきまでリンゴを送ろうと考えていたのに、どこかのだれかが先にリンゴを送ると伝えていたとは。

 

「リンゴか」


 また同じ言葉が口から漏れた。

 俺はリンゴ狩りに行ってないし、青森に友人はいない。念のため妻にも聞いてみたが、青森に知り合いなどいなかった。

 こうなると母のもとにリンゴは届かない。届かなくて当然だが、万が一届いたら何か起こるのだろうか。

 すぐに駆けつけることができないから、とても怖くなってきた。

 ただの間違い電話でありますように。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

届かないリンゴ 【KAC20214】 江田 吏来 @dariku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ