おみまい

もりくぼの小隊

おみまい

 手越てごし あやは自分の部屋でパジャマのままテレビを観ていた子どもの頃大好きだった朝と夕方にやってる海外産の子ども向けアニメだ。小学校も高学年になると観てるのが自分だけで恥ずかしくなって観るのをやめてしまったあの懐かしいアニメーション。久しぶりに昔録ったBlu-rayの山を崩し観てみたら何が面白いのかわからなくなったけどずっと観てられる魅力があるアニメだったんだなと綾は改めて思った。午前中から観ていたら気づけば夕方も6時を過ぎようというのだから。

(そろそろママ晩御飯を作るかな。その前に買い物に行くのかな。シュークリーム買ってきてくれるかな。大好きだったクリームシチューまた食べたい)

 綾は膝を抱えて子どものように楽しみを頭に思い浮かべて笑みを溢してるとふとパジャマを朝から着替えていなかった事にきづく。いま着ているのはフリルの付いた子どもっぽいパジャマ。

(……これ入学祝いにママが買ってくれたんだっけ?)

 このピンク色のフリルの付いたパジャマはいつまでも子ども扱いする母親にヒステリックに当たり散らしてしまった苦い過去がある。いまの綾の心は申し訳ないでいっぱいだ。あんな事で怒ってごめんなさいママ、本当はピンクもフリルも大好きなんだよママ。ホントにあたしの好きなのわかってくれてたのに……それなのにあたし。

 ちゃんとママに謝ろうありがとうって言おういまの自分ならきっと素直にそう言えるってーーーー


 ーーーー1階から来客を告げるチャイムの音が鳴った。


 綾の身体は無意識に強張った。

「…………………………」

 1階から母親の明るい声が聞こえてくる。

『綾ちゃあん。が来てくださったわよう』

 綾は眼を大きく剥いて頭を振り意識をテレビに向け声から逃げた。

「……………………………………………………ッァ」

 

 階段を昇る音。

 ママの楽しげで安心仕切った声。

 コツコツとドアを叩く音。

 クスクスと笑いあう声。

 誰かが階段を降りて行く。

 ノックも無しに部屋のドアがゆっくりと開く。


「久しぶり」

 

 あまりにも聞き知った可愛げだけはあるが綾の背中を撫でた。綾は気づかないフリをする振り向かない。無理があるとわかっていても赤く血走った眼はアニメを観つづけるしかない。

「なに観てるのおもしろい……へぇ、スポンジのやつだ。これまだやってるんだね。わたしは不気味で嫌いだったなぁ」


 ザワリと頬をさわる指先の感触。

 横を見ない。見ない。みない。イナイ。


 

 ブツリ、と突然にアニメの世界は切断された。




 黒い画面に映るのは綾の脅えた顔と隣でジッと見つめているミディアムショートの木間きま 姫色ひいろ」の顔。

 後ろに放り投げられたリモコンが床に無機質な音を鳴らす。

 渇いた口はただ空気を求める事しかできない。


「お見舞いきたんだよ綾。さみしいなこっちいるよ、こっち、無視してるのそれ?」

ハァ…… ァ、ァッ

「そう、無視なんだね。楽しい、無視は楽しい? 誰かを「いじめ」て「笑う」より楽しい?」

「ご、ごめ……ごめ」

 いじめという言葉に震える綾の脅えた顔の色。頭を抱えてうずくまる。

 過去が襲ってくる。生意気だといじめて、登校拒否まで追い込んだいじめの首謀者としての過去。

 いじめた「林崎はやしざき 梨々香りりか」じゃない。少し前まで友達だったはずの「木間きま 姫色ひいろ」が綾を冷たく襲ってくる。

「誰に謝ってるの綾ねぇ綾。あーや、ねえ」

 まるで人形のように抑揚無い声が綾の心を潰してゆく。助けて、助けてとあげる心の悲鳴は姫色にしか届かない。


 ーーーーコンコン、コンコン。ドアを叩く音がした。


「綾ちゃん」

 母親の声ママの声。綾を唯一味方してくれる優しいママーー

「ーーママお買いもの行ってくるからぁ。お友達もゆっくりしてってくださいね」

「っっっっ!?」

 (出かける! イヤだ! ママあたしも行く! 置いてかないで! ママ! ママ!)

あーや、どこ行くの?

 扉一枚隔てた先にいる母親の元へと這いずろうとする綾の手を木間 姫色の指が虫のようにゾワゾワと這い回り耳に冷たく囁いた。

 綾はもう動けない。

「ご心配なく暗くなるまでには帰りますけどそれまで綾さんとは一緒にいますので安心なさってください」

 礼儀正しい生真面目な声で木間 姫色は母親を安心させる。塞ぎ混んだ娘を心配して見舞ってくれる優等生なお友達という綾の母が欲しがっていた「安心」を与える。

 ママは何も疑わずに階段を降りていった。

「買い物まで一時間半くらい? スーパー、ちょっと遠いし、楽しいおしゃべりは長くなるもんね。でも、こんな時間に買い物って……無用心だよ綾のママって、ねえ」

 どこまで手越 綾の家庭を知っているのだろう。木間 姫色は小首を傾げて外へと出られるドアに鍵を掛けた。

「じゃ、おみまい始めようかな?」

 綾のスポンジのように渇いた口が「タスケテ」と震えた。





 助けなんて来るわけはない。














「美味しいね綾」

 木間 姫色は何をするでもなくただお見舞いに買ってきたシュークリームを綾と一緒に食べる。

 甘くて美味しいシュークリーム。大好きなシュークリーム。

 味なんてわからないシュークリーム。甘くて怖いシュークリーム。

 綾はただ無心で貪るようにシュークリームを口に詰め込んだ。グシャグシャのクリームだらけの指と口は震えている恐ろしくて震えている。木間 姫色が何をしてくるかまるでわからない。怖い、わからない。

「そういえば田辺先生ねえ」

 ビクリと身体が口に詰めた手がブルブルと震える。綾の記憶が巻き戻る。あの日に、巻きモドル。

「いっ……う、ぅぅぅゥゥゥゥ………………うぁだ」

 イヤだ汚い。口に詰めたシュークリームを吐いてしまいそうになる。汚ない、キタナイ、気持ち悪い、田辺……キタナイ。

「どうしたの? そんなに田辺とはイヤだった? そうだよね、正気疑っちゃうよね。ホントに気持ち悪いね」

 わかっていて言っている。苦しむとわかっていて姫色は言っている。忘れたい記憶なんて、辛くてイヤな記憶を忘れたいだなんて……許されない。

「綾、残念だけど田辺の排除って、できなかったんだ。バレーの顧問と風紀クラブはやめさせられたけど、今ものうのうと学園にいるんだ」

「……ぃ、ィィ……」

「だけど、綾の頑張りがバレー部の女の子達を救えたよ。だから綾、もうちょっと頑張ろーー」

「ーーィやだ。もうガンバれない……田辺と……と……会いたくない」

 綾はボロボロとこらえきれない涙を流してクリームだらけの手で顔を覆い唯一の心の支え、母親の笑顔を思い浮かべる同時に裏切っている罪悪感で心が更に潰れる。

「もうクラブもうやめる……あんなことさせられるなんて、してるなんて思わなかった。ママのためにもやめて……ママ、マァマアァ……助けてよママアアァッ」

 もう綾の精神は限界だろう。こんな状態の彼女を追い詰める事など

「何を言ってるの?」

 姫色には簡単だ。綾という「身勝手」な女に情けはいらない。

「いまさらママに助けを求めるの。あんなにバカにして見下してた綾の「大嫌い」なママだよ」

「そんな、そんなこと……言って、いって……」


 いつもあたしを一番に考えてくれる大好きなママだよ――――うちのババアさあ、めんどくさいんだよ口うるさくてマジうざ大嫌い。

 違うこんなひどいこと言わないよ――――あたしのためっつってさあ、新しい男を取っ替え引っ替え、んなテメエのきたねえ愛情モドキなんていらねっつうの。あぁ、マジくたばって欲しい。

 違う違っ――――おい、なんだよこれ! 入学祝いが何でこんなガキのパジャマなんだよっ! 死ねっ! 死ねよクソババア! おい、逃げんなババア!!


 綾は蹲って「ごめんねごめんねやめて!」と叫ぶ母親の身体を何度も力いっぱい蹴りつけている醜い自分が見えていた。

 ママはずっと、今も、綾に刻まれた恐怖に脅えている。笑顔の奥の瞳は恐ろしくて震えているんだ。


「あ……ぁ」

「わかったんだねぇ偉いよあや~」

 目の前の怪物がゴワゴワとした綾の髪を撫でる。涙とクリームにまみれた顔をザラリとした滑る舌が舐めとる。

「怖くないよー綾、何も怖くない」

「……」

って怖くないよー」

 手に付いたクリームも怪物は優しく口づけをするように舐めとってゆく。

「ねぇ綾、いらない心なんて壊れるべきなんだよ」

 唇が静かにこじ開けられヌメりと熱い舌が唾液と共に侵入する。怪物を拒否する心の強さはもう残っていない。綾は怪物に身体を預けながらベッドスプリングを軋ませて倒れていった。


 深く深く……砕けちった心は黒く落ちて怪物に喰われていく。



 手越てごしあや精神こころは死んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おみまい もりくぼの小隊 @rasu-toru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ