ホラーゲーマーはホラーを嫌う

ラクリエード

ホラーゲーマーはホラーを嫌う

 ミシ……ミシ……ギィイィ……ミシ。


 木張りの廊下を一歩進むたび、蝋燭の明かりを恐れて夜の帳が引いていく。だがそこの先にあるのも、また暗闇。おんぼろの壁からヒュウと隙間風が吹いてしまえば消えてしまいそうな明かりが払っても、払っても、その先に続くのは、分厚い闇ばかり。

 つっと頬を垂れる冷や汗。首筋を這って、服にしみこむ。嫌な感覚を覚えつつも、脇にある開きそうにない扉を横目に、ただ前へと歩いて行く。


 ギィィィ、ミシ。ギギギ……。


 おかしい。もう、倍以上は歩いてる。宿題のノートは取ったから、あとは帰るだけ。施錠する鍵もないから、階段を探して、一階に降りて、下駄箱から外に出るんだ。

 ゆらゆらとしている、心もとない灯の寿命を知り、無意識に足が速くなる。


 ミシミシミシトッミシ、コッギシミシミシ。


 どっと噴き出してくる汗。耳元で聞こえる、リズムの片鱗もない不協和音。


 ベタ、ガシャ、ベタベタベタ! ガコン!


 どんどん増えて、大きくなっていく。

 視界が暗転して、ぬるく湿った匂いが鼻につく。

 いよいよ耳を塞ぎたくなってきたが、逃げなければ。何が何でも、生きて帰らねば。

 本気を出して逃げよう。そう腿に命令した時、私の肩をがしと掴むものが。

 冷たい。防寒用に重ね着した服の上からでも感じる冷気。


「いやぁああぁぁぁ!!」




 返事しろよ、と声をかけた途端、世界がひっくり返った。そう認識できた頃には、背骨とフローリングが正面衝突していた。


「いや! 誰! 帰れ! 痴漢!」


 内臓にまで響いてくる痛みに耐えながら、マスク怪人がわめいている姿を見上げる。それなりに評判のいいらしいルックスを、頭につけているマスクとジャージが台無しにしている。

 ぶんぶんと振り回している両手には手のひらサイズのコントローラー。うち右側の塗装がわずかに剥げていて、多分、さっきの一撃のせいだ。


「ああ! ゲームオーバー!? ちょっと責任取りなさいよ変態!」


 絶対見えてる。ヘッドマウントディスプレイをつけっぱなしなのに、床で痛みに耐えているこちらの方をおおよそ向いているのだから。


「うっせぇ。折角、お土産持ってきてやったのになんだよその言い草はぁ!」


 ようやく喉から声を発せば、すっと落ち着きを取り戻した彼女は、兜を脱ぐと、頭に巻いていたタオルを手にして汗玉の輝く頬や首を拭き始める。この暴力女は、どうしてこう手が先に出るのか。

 これが、姉。もう差し入れやめてやろっかな。




 タンスに立てかけられていた小さなテーブルを出すと、運動場と化していた空間はあっという間に狭くなる。そこに、旅行土産の羊羹と小皿二枚、熱いお茶二杯を置くと、彼女は五本あったつまようじのうち二本手に取った。


「で、何してたんだよ。どうせまた、ホラーだろうけど」


 ダブルゲットするわけでもなく、一欠片にぷすり。そうすることで、安定感が増すらしい。自分は一本でひとつを口に運ぶ。


「うん。『ハウス・ワーク・レフト』っていう、学校に忘れた宿題を、なぜか夜に取りに行くっていうゲーム」


 この姉は、気が付いたホラージャンルにはまっているのだ。普通、こういうは男子が好んでやるものじゃないのかと思うのだが、この女は例外らしい。高校に入ってからパソコンを買ってもらって、まずやったことといえばフリーゲーム投稿サイトのホラージャンル徘徊。頻度は下がったものの今でも新作を探してる。


「持ってきてた蝋燭が切れると、幽霊が襲ってくるんだけど、走ると蝋燭が消えやすいっていう、またこれが難しくてさ」


 ではホラーの代表格といえば映画だが、幼い頃はどうしていたかというと、本だ。

 兄に頼み込んで、親にも内緒で図書館から借りてきていた。間違えて読んでしまったことがあるが、児童向けなのに、その日の夜が眠れなかったことさえある。

 かくいう自分は、耐性はない。映画とか見るにしても、友達となら、といった感じだ。

 とかなんとか思い返していると、みるみるうちに羊羹が消えていく。次のひとかけを口に運びつつ、ふと視界に入るのは、先ほどまで姉の被っていたマスク。そしてその隣には、SNSで見覚えのある、人の顔が暗く映し出されたゲームタイトルパッケージ。


「ちょっといい? その『スピリッツ・クローズ』ってゲームがレビューサイトで高評価だったみたいなんだけど、実際どうだったんだよ?」


 少し前に、超高画質の恐怖をあなたに、というキャッチコピーと共におよそ一か月前に売り出されたゲーム。耐性がないとはいえ、ホラーの専門家視点ではどういったものだったのか、というちょっとした好奇心からだった。


「あー、これ? ホラーじゃないよ。ちっとも怖くない」


 ホラージャンルなのに? 首を傾げてお茶をすすると、うん、と最後の羊羹が乾いた唇に消える。そこにあるものを一瞥もしない彼女に、もちろん、尋ねたくなるのは、なんで、だ。


「ホラー苦手なあんたにはわかんないかもしんないけど、どっちかっていうと暗いだけのびっくりガンシューティングだった」


 聞いたこともない、多分姉の作ったジャンルだろう名前に、なんだそれ、と首を傾げる。


「そ。まず、ホラーっていうのは、恐怖のゾクゾクを楽しむものなの」


 空になった容器につまようじを入れて、お茶をすすった姉は続ける。


「肝が冷えるとか、視線を外せないとか、ファンタジーでいうならワクワク感っていうの? これを私たちは体感したいのよ」


 雨がこれな一方で、自分はバトロワが好きだ。友達とわいのわいのしながら優勝を目指すのが好きだ。私『たち』という部分が気になるが。


「ゲームなら、進まないといけないけどスティックを大きく動かせないとか、ホラー演出の中早く逃げるために正確にコマンドを入れないとゲームオーバーとかさ」


 それは、QTEってやつか。姉がそんな言葉を知ってるとは思わないけれど。


「で、『スピリッツ・クローズ』。これは恐怖、じゃなくて驚かす、ばっかだったのよ」


 ゆっくりと息をつきながら、姉はテーブルに突っ伏す。とろんとしてきた言葉に、今にも眠ってしまいそうだ。


「扉から大きい音を立てて敵が出てくるとか、地面から手が出てきてこかされるとか、しかけてくる攻撃ほぼ全部が、逃げられないうえに顔の急接近とかばっかだったのよ」


 そんなのホラーじゃない、と酔っ払いが口を尖らせるように。


「もちろんさー、驚かされて怖くもなるよ? けど、それって、驚くっていう生理的な反射のひとつだから、恐怖、とはまた別もんなのよ」


 要は、この姉、と似たような人たちにとって、ホラーというジャンルは二極化される。一つは好みである、身の毛のよだつ、背筋も凍るようなもの。もう一方の、決してウワー、と怪物が驚かして襲い掛かってくるものは、ホラーではない、と主張しているのだ。

 どっちにしても、怖いんだけどな。きっと、自分の耐性は全てこれに譲り渡されてしまったのだろう。

 そんなふうに納得していると、そういえばホラー論の続きは……と、視線を戻してみると、姉は既に眠ってしまっていたらしい。あの鋭いストレートはどこへやら。VRゲームってのは疲れるからだろう。

 スゥ、スゥ、と寝息を立てている彼女をよそに、自分はテーブルの上を片付けた。

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