1話完結『蝋燭の観測手』

エコエコ河江(かわえ)

1/1『蝋燭の観測手』


 小指にも隠れる、小さな火を見つめたことがあるだろうか。


 用意された座の頂で、たまに身震いをしながら、同じ形で佇んでいる。見る側の感性によっては、寝転んでいると考えるかもしれない。呼吸の端っこに触れただけでも大きく動き、強く浴びればたちまち消えてしまう。そうなれば、再び灯されるまで消えたままだ。


 彼女のように。


 夕陽の半分が沈んだ頃、あるビルの屋上に若い2人が訪れた。

 都市のすべてを見下ろす、巨大な娯楽施設。1階には今月のデザートを知らせる旗が揺れ、低層にはおもちゃ売り場が並び、衣料、日用品、と続いている。上層部は施設や近隣を支えるオフィスがぎっしり詰まっていて、屋上を訪れる者はごく限られている。

 都合がいい条件が揃っているのだ。


 短髪の女はギターケースを開けながら「明かり」と呟いた。長髪の女は「どうぞ」と答えて蝋燭に火を灯す。後ろからの夕陽が階段を覆う屋根に遮られても、手元はこれで把握できる。

 取り出したのは薄手の毛布と狙撃銃だ。既定の場所に敷き、二脚に乗せて構える。スコープの十字の先に見えるものを調整していく。


「あんたさ、ここでも蝋燭なのね」

「便利だよ、こう見えて」


 他の方向から火を隠すため、ギターケースと右手を立てた。長髪の女、ユノアは観測手だ。狙撃手がスコープを覗く間は、視界がごく僅かになり、他の一切の行動が封じられる。目標の周囲に計算外の出来事があったり、自らの近辺に危険が迫った場合などで、狙撃手の隙を補う。そのために配備されている。


「今のところ、不便さしか見えてないけど。隠す手間に見合う?」

「キメラが見てるのはスコープの先でしょ。この火をみたら、風が吹いてないってよくわかるよ」

「そりゃどうも。確かに帝国旗が揺れてないね」


 計画では20分後に、キメラが狙う先を帝国の要人が歩く。第8代皇帝コートム・K・ガンコーシュだ。車を降りてから建物の扉が閉まるまで、時間にして4秒を狙って鉛玉を撃ち込む。それが2人の役目だ。


 距離は高低差を含めて430メートルで、今日は風が弱いし空気が透き通っている。よりにもよってこんな日に外遊し、しかもインペリアル・ストリートを突っ切った真正面に絶好の狙撃ポイントがあるあたり、罠を疑うのが常だ。ところが複数の情報筋が揃って、本当にこの場所は絶好の場所だと言う。


 万が一も考慮した結果、ユノアに白羽の矢が立ったのだ。


「まだか」

「12分」

「時間には律儀なんだよな。なんか昔話をしてくれ。退屈で空振りしそうだ」


 キメラの要求に対し、何を話すか決めかねた。本業も兼ねて、双眼鏡も使ってヒントを求めた。しかし、植え込みや歩く人々には昔話より最近の話ばかりが思い浮かぶ。双眼鏡を目から離したらすぐに話の種を見つけた。


「蝋燭の話でもしようか」

「また思わせぶりな間かよ。でも聞くぞ」


 ユノアは周囲を確認する合間に、少しずつ語り始めた。


「この小さな火がある日、突然大きくなった話はしてなかったね」

 語りを中断して、車の動きを注視する。なんでもなく素通りしたと確認してから、改めて続けた。


「あの日は七五三で、弟とその友達が兜を被ってた。私がいつも通り眺めてる後ろで、チャンバラが始まったんだ」

「待て。なんだか嫌な予感がしたから、黙って待つよ」

「はいよ。あと10分ね」


 黙ったままの10分は、キメラには長く感じた。代わり映えのしない視界で、1分ごとに残り時間を聞くだけが刺激になった。必ず返事をして、居眠りをしていないと伝える。

 一方のユノアは、蝋燭の火を見つめるだけでいくらでも楽しめる。双眼鏡を除いたり、聞こえる音を探したりして、充実した時間を過ごしている。


「あと1分」

「うい」


 ユノアが異変を察知した。

 階段からの足音だ。響きから推測する限り、子供がこっそり上るような弱い音だ。



 扉が開いた。小さな陰がひとつ、探検の様子で屋上に放たれた。側面に回り込まれたらいよいよ申し開きできない。

 暗闇の中なので、ユノアの姿は近づくまで何かの荷物との区別はできない。その後ろにキメラが隠れている。荷物の中からロープを取り出し、キメラの左手に持たせた。万が一のときはこれで脱出する。


「どなた?」


 暗闇から、少年の声が届いた。あと40秒。この場に証拠を残したくない。それまでに追い帰すか、中止するか。

 何にしても、最初の動きは決まっていた。


「初めまして。冒険かな」

「うん。会社の人?」

「いいえ。静かでいい場所だから、ひと休みしてたんだ。君のことは誰にも言わないから、安心してね」


 ユノアが会話に応じる。話題をさりげなく、少年が気にしそうな事柄に誘導する。あまり乗ってこないので、警戒度を上げた。

 小さな子供だからといって、油断してはいけない。決して侮ってはいけない。すぐに大きくなる。蝋燭と同じように。


「お姉さんたち、いつからいたの?」


 この一言が決め手となった。少年は暗がりにいながら、ユノアの後ろにいるキメラに気づいている。つまりこの会話で情報を探られている。



 中止して撤退する。帝国にはこんな諜報員がいたと情報を持ち帰るだけでも収穫だ。


「撤収」


 ユノアは小さく呟いた。それを聞いたキメラは、狙撃銃とギターケースを持ち上げ、階段の側へ走りながらしまった。端に着く頃には背中に担ぐ状態になっていて、左手に持っていたロープを手すりに巻き、飛び降りるように滑っていった。


 図らずも、蝋燭の使い方を見せることになった。


 蝋燭の火を、キメラが残した毛布に分け与える。このために燃えやすい材質を使っていて、全体が炎のカーペットになるまでひと瞬きの間もなかった。少年は目を暗闇に慣らしていた所に、明るい炎をいきなり見せられ、視力が一時的に使い物にならなくなった。その隙にユノアは、鞄に用意していたタオルに火を移し、外へ落とした。結んで塊にした部分がある。投げれば狙い通りの場所へ飛ぶ。1階の、揺らめく旗に燃え移った。


 これで周囲の目は火事に向かう。どさくさに紛れて離脱するのだ。キメラと同じ場所へ向かい、残してあったロープを滑り降りた。その頃には、燃えていた毛布はすでに跡形も無くなっていた。


 下についたら、走りながらロープを手繰り寄せる。長さは建物の高さの2倍だ。巻き終えるまで時間がかかるが、巻けている限りはまず追われていない。安全確認をしつつ、撤収用に待機していたワゴンに駆け込んだ。モーターの力で一気に巻き取り、何食わぬ顔で離れていく。



 同時刻、ガンコーシュは定刻通りに到着した。屋上の輝きを見て頭を抱えながら、建物に入る。どこから狙うかの読みは正しかったが、失敗した。情報だけでも持ち帰ってくれることを願って、残りの執務に臨んだ。

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1話完結『蝋燭の観測手』 エコエコ河江(かわえ) @key37me

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