夜明けの木の杭

吉岡梅

瀟洒な森の中の邸宅

 夜を徹して開かれた乱痴気騒ぎから明けた昼近く。洋画に出てくる古城の寝室を思わせるほど広々とした部屋には、5人の客が集まっていた。邸のあるじである菅野かんのはひとり床に就いている。昨晩あれほど奔放に動き回っていた美貌の家主ホステスは、大きな棺桶を模したベッドの中に横たわったまま身じろぎもしない。それはそうだろう。誰もを魅了してきた碧い瞳に艶やかな唇には白い面布がかけられ、胸には深々と木の杭が突き立っているのだから。


「さて」


 当惑して立ち尽くしている4名――私を含む。をよそに、武藤むとうがベッドの傍へと歩みより、こちらへと向き直る。


「ご覧のように、水奈みなは殺された。念のため、これは生前彼女が好きだったマーダー・ミステリーの類の芝居ではないよ。本当に亡くなっているんだ」


 言葉を失っていた面々が、呪縛を解かれたように息を吐く。私は菅野の元へと歩み寄ろうと一歩踏み出したが、武藤に手で制された。


「おっと、水奈に近づかないように。今や諸君ら4人は容疑者だ。浜辺はまべさん、麻生あそう来栖くるす、それにばんちゃん。幸か不幸か、この山奥まで人が来るまでには時間がかかる。それまでの余興として、犯人当てをしようじゃないか。故人の好きだったゲームのようにね」


 武藤は皮肉めいた笑みを浮かべていたが、その目は笑っていなかった。怒りに燃えているような、挑むような、強靭な意思を感じるその瞳。従わざるを得ないと思うほどの鋭さだ。すると、麻生が大げさにため息を吐いた。


「やれやれ。悪趣味なこった。で、お前が探偵役ってことか」

「ああ、俺には水奈を殺す動機が無いからな。自分の花嫁をこんな串刺しにする趣味も無い。犯人がいるとしたら、諸君の中の誰かと考えるのが妥当だろう」

「そんな趣味……私たちにだって無いですよ」


 浜辺が弱々しい声で呟く。


「そうだよ武藤。俺たちの誰がそんな恐ろしい事するって言うんだ。浜辺さんに伴さんみたいな女性にはとても無理だろう。やっぱりこれ、芝居なんじゃないのか」


 来栖が大きな体を丸め、言い含めるかのように抗議する。が、武藤はそれを鼻で笑って取り合わない。


「必至だな、来栖。残念ながら、芝居じゃないんだ。芝居だったらどんなに良いか。俺だってそう思う。だが、水奈は――死んでいるんだ」


 再び部屋が静寂に包まれる。その空気がいたたまれなくなった私は、思わず目を逸らし、部屋の隅の大きな姿見鏡へと視線を逃す。高校時代、担任に説教された時もこんな空気だったな。そんな事を思い返しつつ、前髪を整える振りをした。 その静寂を破ったのは、やはり、武藤だった。


「ご覧のように、被害者は胸を木の杭で刺されて殺害された。いにしえの時代から吸血鬼の弱点といわれている伝承のようにな」

「人間だろうが吸血鬼だろうが、胸に杭さされりゃ死ぬだろ」


 麻生が混ぜ返すが、武藤は落ち着いて応じる。


「まあ、その通りだ。だが、なぜ犯人はこんな乱暴な方法を選んだのか、だ。これは明らかに我々に対するパフォーマンスだろう。『この女は吸血鬼ばりに奔放で、淫らな女なのだ』というメッセージのつもりじゃないか」

「そんな……。私はそんな事思ってません。それに、そんな事をしたら……」


 浜辺の弁解めいた発言を、思わず私は途中で遮る。


「そうかな。浜辺さん、水奈に武藤君を取られたって怒ってたじゃない。本当、昔から男子の前だと全然態度変わるよね」

「伴ちゃん……何言ってるの。そんな事ないよ、私……」

「おっ、なんだなんだ? 面白い事になってきたな」


 麻生は口笛を吹いて囃し立て、来栖はおろおろしている。浜辺は引きつった笑顔を作りながらこちらを睨んでいるが、私は無視をした。


「ふむ。まあまあ、その辺りは置いておいて、犯人探しに戻ろう。なぜ、犯人は胸に杭を刺すなんていう、だ」


 『危険な事』とはどういう事だろう。皆が武藤の方へと向き直る。


「吸血鬼に関する伝承はいろいろ雑多な物がある。曰く、にんにくが嫌い、日光を浴びると死ぬ、十字架に弱い、といったよく知られたものから、川を渡れない、死んだ蛙を生き返らせる、招かれない限りは家の中には入れない、といったあまり知られていないものまで玉石混交だ」


 武藤は、部屋の中をコツコツと音を立てて歩きながら説明を続ける。


「本当のものもあれば、違う物もある。まあ、そもそも伝承という物はそういう物なのだろうね。この木の杭にしてもそうだ。――。獣としての肉体は、残ってしまう」


 武藤が菅野の胸につきたてられた杭を引き抜くと、菅野が棺桶から跳ね起きた。その相貌には昨夜の妖艶さのかけらも無い。白目を剥き、大きく開かれた口からは牙が飛び出している。ぐるるるぅううう、とくぐもった声を上げ、周りを見渡している。


 そのまま、ガァァアア! と唸り声をあげて武藤へ飛び掛かろうとした時、銃声が響いた。菅野は再び棺の中に斃れ、見る間に灰燼と化し消えていく。


「と、まあ、こんな具合だ。肉体まで滅するには、聖水か銀の弾丸が必要だ」


 いつの間にか銃を手にした武藤が、悲しそうな目で棺を見下ろしていた。そして、こちらへと向き直って銃をしまう。


「さて、本題だ。木の杭では吸血鬼を半分しか殺せない事は、吸血鬼であれば常識だ。木の杭は危険だ。の中にそれを知らない者はいないはずだ。つまり、こんな事をする者は、吸血鬼ではない可能性が大、というわけだ。――この中に、人間が紛れ込んではいないか? そいつが犯人だ」


 私はごくりと唾をのむ。血の気が引き、蒼ざめているのが自分でもわかる。木の杭の件は知らなかった。下準備が甘かった。だが、まだだ。まだ復讐は果たせていない。私は率先して口を開いた。


「確かに、最近我々の組織コミュニティに人間が紛れ込んでいるという噂を聞くわ。でも、考えても見て。犯人はそれを逆手にとってこんな方法をとったのではないかしら。あるいは、菅野さんを獣に堕とすのが目的で、それを皆に見せつけるのが目的で木の杭を使ったのかもしれない。人間がどう、というのは関係ないんじゃないの」


 私の言葉に、皆が頷く。武藤は顎に手を当てると、再び部屋の中を歩き始めた。


「なるほど。そうかもしれないね。ああ、かわいそうな水奈。あんなに醜い姿を皆に晒されて……。水奈は、人一倍お洒落が好きだった。この姿見鏡もそのためにプレゼントしたんだ」


 武藤は愛おしそうに鏡の縁へと手をやる。私は、鏡の中の私と目が合った。そして、一気に血の気が引いた。。鏡を覗き込んでいた武藤がゆっくりと振り返る。


「『吸血鬼は鏡に映らない』という俗説、あれは半分本当だ。気を抜くと映らない。だが、きちんと映るように注意をすれば映す事ができる。そうでないと、自分でメイクすらできないからね。――さて、伴ちゃん。なぜ君は鏡に映っているんだい? 思い返せば、さっきも君は鏡を見て前髪をいじっていたね」


 周りの3人が、私から少し距離を取るように離れていく。かつてのクラスメイト達は、いまや完全なと化してしまった。武藤が、懐から銃を取り出して私に向ける。


「君は、なんだい?」


 その問いに答える代わりに、私は懐に忍ばせておいた十字架を握りしめた。

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夜明けの木の杭 吉岡梅 @uomasa

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