夜明けの木の杭
吉岡梅
瀟洒な森の中の邸宅
夜を徹して開かれた乱痴気騒ぎから明けた昼近く。洋画に出てくる古城の寝室を思わせるほど広々とした部屋には、5人の客が集まっていた。邸の
「さて」
当惑して立ち尽くしている4名――私を含む。をよそに、
「ご覧のように、
言葉を失っていた面々が、呪縛を解かれたように息を吐く。私は菅野の元へと歩み寄ろうと一歩踏み出したが、武藤に手で制された。
「おっと、水奈に近づかないように。今や諸君ら4人は容疑者だ。
武藤は皮肉めいた笑みを浮かべていたが、その目は笑っていなかった。怒りに燃えているような、挑むような、強靭な意思を感じるその瞳。従わざるを得ないと思うほどの鋭さだ。すると、麻生が大げさにため息を吐いた。
「やれやれ。悪趣味なこった。で、お前が探偵役ってことか」
「ああ、俺には水奈を殺す動機が無いからな。自分の花嫁をこんな串刺しにする趣味も無い。犯人がいるとしたら、諸君の中の誰かと考えるのが妥当だろう」
「そんな趣味……私たちにだって無いですよ」
浜辺が弱々しい声で呟く。
「そうだよ武藤。俺たちの誰がそんな恐ろしい事するって言うんだ。浜辺さんに伴さんみたいな女性にはとても無理だろう。やっぱりこれ、芝居なんじゃないのか」
来栖が大きな体を丸め、言い含めるかのように抗議する。が、武藤はそれを鼻で笑って取り合わない。
「必至だな、来栖。残念ながら、芝居じゃないんだ。芝居だったらどんなに良いか。俺だってそう思う。だが、水奈は――死んでいるんだ」
再び部屋が静寂に包まれる。その空気がいたたまれなくなった私は、思わず目を逸らし、部屋の隅の大きな姿見鏡へと視線を逃す。高校時代、担任に説教された時もこんな空気だったな。そんな事を思い返しつつ、前髪を整える振りをした。 その静寂を破ったのは、やはり、武藤だった。
「ご覧のように、被害者は胸を木の杭で刺されて殺害された。
「人間だろうが吸血鬼だろうが、胸に杭さされりゃ死ぬだろ」
麻生が混ぜ返すが、武藤は落ち着いて応じる。
「まあ、その通りだ。だが、なぜ犯人はこんな乱暴な方法を選んだのか、だ。これは明らかに我々に対するパフォーマンスだろう。『この女は吸血鬼ばりに奔放で、淫らな女なのだ』というメッセージのつもりじゃないか」
「そんな……。私はそんな事思ってません。それに、そんな事をしたら……」
浜辺の弁解めいた発言を、思わず私は途中で遮る。
「そうかな。浜辺さん、水奈に武藤君を取られたって怒ってたじゃない。本当、昔から男子の前だと全然態度変わるよね」
「伴ちゃん……何言ってるの。そんな事ないよ、私……」
「おっ、なんだなんだ? 面白い事になってきたな」
麻生は口笛を吹いて囃し立て、来栖はおろおろしている。浜辺は引きつった笑顔を作りながらこちらを睨んでいるが、私は無視をした。
「ふむ。まあまあ、その辺りは置いておいて、犯人探しに戻ろう。なぜ、犯人は胸に杭を刺すなんていう危険な事をしたか、だ」
『危険な事』とはどういう事だろう。皆が武藤の方へと向き直る。
「吸血鬼に関する伝承はいろいろ雑多な物がある。曰く、にんにくが嫌い、日光を浴びると死ぬ、十字架に弱い、といったよく知られたものから、川を渡れない、死んだ蛙を生き返らせる、招かれない限りは家の中には入れない、といったあまり知られていないものまで玉石混交だ」
武藤は、部屋の中をコツコツと音を立てて歩きながら説明を続ける。
「本当のものもあれば、違う物もある。まあ、そもそも伝承という物はそういう物なのだろうね。この木の杭にしてもそうだ。――木の杭で滅するのは、吸血鬼の魂だけだ。獣としての肉体は、残ってしまう」
武藤が菅野の胸につきたてられた杭を引き抜くと、菅野が棺桶から跳ね起きた。その相貌には昨夜の妖艶さのかけらも無い。白目を剥き、大きく開かれた口からは牙が飛び出している。ぐるるるぅううう、とくぐもった声を上げ、周りを見渡している。
そのまま、ガァァアア! と唸り声をあげて武藤へ飛び掛かろうとした時、銃声が響いた。菅野は再び棺の中に斃れ、見る間に灰燼と化し消えていく。
「と、まあ、こんな具合だ。肉体まで滅するには、聖水か銀の弾丸が必要だ」
いつの間にか銃を手にした武藤が、悲しそうな目で棺を見下ろしていた。そして、こちらへと向き直って銃をしまう。
「さて、本題だ。木の杭では吸血鬼を半分しか殺せない事は、吸血鬼であれば常識だ。木の杭は危険だ。我々吸血鬼の中にそれを知らない者はいないはずだ。つまり、こんな事をする者は、吸血鬼ではない可能性が大、というわけだ。――この中に、人間が紛れ込んではいないか? そいつが犯人だ」
私はごくりと唾をのむ。血の気が引き、蒼ざめているのが自分でもわかる。木の杭の件は知らなかった。下準備が甘かった。だが、まだだ。まだ復讐は果たせていない。私は率先して口を開いた。
「確かに、最近我々の
私の言葉に、皆が頷く。武藤は顎に手を当てると、再び部屋の中を歩き始めた。
「なるほど。そうかもしれないね。ああ、かわいそうな水奈。あんなに醜い姿を皆に晒されて……。水奈は、人一倍お洒落が好きだった。この姿見鏡もそのためにプレゼントしたんだ」
武藤は愛おしそうに鏡の縁へと手をやる。私は、鏡の中の私と目が合った。そして、一気に血の気が引いた。その鏡には、私しか映っていなかった。鏡を覗き込んでいた武藤がゆっくりと振り返る。
「『吸血鬼は鏡に映らない』という俗説、あれは半分本当だ。気を抜くと映らない。だが、きちんと映るように注意をすれば映す事ができる。そうでないと、自分でメイクすらできないからね。――さて、伴ちゃん。なぜ君は鏡に映っているんだい? 思い返せば、さっきも君は鏡を見て前髪をいじっていたね」
周りの3人が、私から少し距離を取るように離れていく。かつてのクラスメイト達は、いまや完全な他人と化してしまった。武藤が、懐から銃を取り出して私に向ける。
「君は、どっちなんだい?」
その問いに答える代わりに、私は懐に忍ばせておいた十字架を握りしめた。
夜明けの木の杭 吉岡梅 @uomasa
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