ミステリー研究部は謎に飢えている

かきつばた

向けられた視線

(今日もいる……)


 射場に入ってすぐ、木古内瑞羽きこないみずははその人影に気が付いた。

 斜め正面に人影が見える。すらっとしたシルエットの目つきがちょっと鋭い女性。


 一つ息を整えてから矢をつがえる。あの女性が過度に気になるのは、彼女が部の主将だから。

 それともう一つ。とある噂についても。


 ――サクッ。的のすぐそばに矢が刺さる。

 顔を戻したところ、瑞羽の眉がピクリと動く。集中しきれてないのはよくわかっている。


 やはり、あの人に連絡してみよう。視界の隅に焦燥感を抱きつつ、瑞羽は二本目の矢を射る動作に入るのだった。





 第三社会資料室――もはや使われなくなった古い教室こそ、朔秀高校ミステリ研究部に与えられた部屋だった。


「ワトソン君、弓道部に友達はいるかしらん?」


 スマホを弄りながら、朝凪心海あさなぎここみは唯一の部員に尋ねた。

 デスクに踏ん反り返って、制服の着こなしは少しだらしない。


「……いますけど、それがなにか」


 答えながら、その部員、安孫子和人あびこかずとは内心ため息をついた。

 おそらくこれはろくでもないことだ。


「よし、行くわよ」


「……どこにですか?」


「弓道場に決まってるでしょうに」


「あのせめてちゃんとした話を――」


「歩きながら! 時間は待ってはくれないわ」


 もっともらしいことを言って、心海は部室を出ていく。脱いであったブレザーを颯爽と羽織りながら。


 和人は慌てて部長を追いかけた。今日の活動は出張謎解きか。しっかり覚悟を決めて。


「噂をすれば、なんとやら、ね」


「何がですか?」


「あれ、見なさいな」


 心海は部室を出てすぐに立ち止まっていた。だが、部員を待っていたのではない。

 その指さす先には、職員と来賓用の玄関。靴脱ぎ場のところに、一人の中年女性がいた。


「見たことのあるような、ないような」


「化学の中内センセ。すっごく優しくて、熱心な人よ。――さて、ワトソン君。彼女はとある部の顧問ですが、それはどこでしょう?」


 心海はニヤニヤと試すようにミス研部員に微笑みかける。

 だが、入部して一年になる和人にはこの程度なんともない。


「弓道部の顧問ですね」


「ご名答! ココミちゃんポイントを1贈呈しよう!」


「ちなみに、俺今どのくらい溜まってます?」


「それはわかりかねますー」


 おちゃらけながら、心海は再び歩き出す。そのころには、弓道部顧問の姿は消えていた。


「それで、今日の本題はなんなんです?」


「今日のテーマはねぇ、不審者よ!」


 目をキラキラと輝かせる部長に、和人はただただ言葉を失った。





「ここ一週間くらいね、女の人がずっと道場の方見てるの。それも毎日!」


 心海たちは弓道部主将に連れられ、不審者がいた現場にやってきた。


「ほうほう――うん、ここからでもよく見える。射ってる人も」


 声を弾ませながら、心海は道場の方を見た。

 矢がビュンビュンとその眼前を通過していく。


 的から道場までの半分くらいまでは防護ネットが張ってある。中りは見づらいが、射場を見る分には問題なし。


 心海の方を一瞥してから、和人は依頼人の方に向き合った。


「今日もですか?」


「もちろん。それで朝凪さんに連絡したんだから。こういう不思議なことには定評があるって聞いて、あらかじめ相談してあって」


「不思議じゃなくて謎です、主将どの」


 いつの間にか、心海は和人たちの方を向いていた。左手を腰に当て、ピンと立てた右の人差し指を顎のところに当てている。


「日常に潜む不可解な現象。そこには必ず理由がある。ココミはそれを解き明かすことにたまらなく興奮を覚えるのです」


「……部長。いつも言ってますけど、いきなり性癖の暴露はやめましょう。相手がかなりひいてますから」


「う、ううん。大丈夫、噂には聞いてたから――それでどうかな。考えてもらえる?」


「毎日部室を眺める謎の人物――ふふっ、相手にとって不足なし!」


 心海は不敵に笑って見せた。頼りなりそうだがどことなく不気味。容姿の割に男子を遠ざける理由はこの辺りにある。


「それで、主将さんは何が気になるんですか? その人物の正体、それとも意図か」


「……えっ!? ええと、そうだなぁ。やっぱり両方かな」


「なるほど、欲張りさんですね!」


「この場合は至極真っ当だと思うんですけど。木古内先輩、お気に障ったらすみません」


「平気だよ。ええと、ワダ君だっけ。気にしてくれてありがとうね」


「……安孫子です、一応」


 和人はかなり弱弱しく主張した。ワトソン=和田君、よくある図式だった。


「で、主将さん。その人はいったいどういう人ですか? 容姿とか雰囲気とか、わかる範囲でいいので詳しく」


「うん。すらっとした背の高い人で、少しだけ怖い感じのする人かな。といっても、いつも腕組みしてるからだろうけど」


「腕組み、です?」


「そう。こっちをね、観察するようにじっと見てるんだ」


 瑞羽は眉をひそめながら答えた。そういう彼女もまた腕をしっかり組んでいる。


「普通に地域の人とかじゃないんですか? ほらここ住宅街すぐ近くだから」


 言いながら、和人は後ろを辺りを見回す。ちょうど親子連れがすぐそばを通った。


「可能性はある。でも毎日来るかしら。それこそ、そこには強い動機があるはず。――主将さん、心当たりは?」


「……そうね。実は」


 言いかけた時、どっと道場の方が騒がしくなった。賑やかな声が三人のいる場所にまでよく届いてくる。


「前あれで野球部の顧問とトラブったりして」


「あの程度許容範囲な気、しますけどねぇ。ね、部長?」


「中内先生はどうしてるんです? さきほど、校舎の中で見かけましたけど」


「あの人は練習ほとんど見に来ないんだ。弓道も素人で。それ以外のところでは熱心なんだけど……」


 苦笑する瑞羽。現状にそこまでの不満はないが、それでも練習を見てもらえる人がいれば、と思うことはある。彼女はそう付け加えた。


「そうですか。で、不審者の件は報告したんです?」


「それとなく、ね。でも気にしなくていいだろうって」


「テキトーだなぁ」


「どうだろ。あたしが気にしすぎなのかも。実際、ほかのみんなはあんまり気になってないみたいだし……」


 瑞羽は自嘲気味に笑う。実際、その自覚は確かにあった。


「実は、うちの生徒なんじゃないですか? 急いで家帰って、着替えてから来てるとか」


「それはないと思う。とても高校生っぽい見た目じゃなかったし、だいたいいっつもスーツ姿なんだよ?」


「スーツ姿……?」


「もしかして、保護者の人とか」


「さすがにそれ、部員さんがわかるでしょ。――ね、主将さん」


「うん。誰に聞いても見覚えないっていうし」


 瑞羽は軽く首を振った。


 次から次へと持論をへし折られた和人。だが、なおもへこたれずに考え込む。いつもこうして、彼は思いつきを口にしてきた。


「あっ! じゃあOGってのはどうです? 昔を懐かしんで見に来てるとか」


「どうだろ。うちの部、できたの五年前でね。だいたいのOBOGは把握できてるから」


「よくなんとかなりましたね」


「その時は弓道経験者の先生がいたらしくて。だからなおさら、平内先生気にしちゃっててね。自分が何もできないこと」


「真面目な先生ですね。化学かー、俺、来年選択してないからなぁ」


 和人の独り言は虚しく空に吸い込まれていくだけ。


「とりあえず、主将さんの見立てでは近隣の人の怒鳴り込みということですか?」


「ど、怒鳴り込みって……」


「……うーんとね」


 心海の指摘に、瑞羽は少しだけ言葉を濁した。

 そのままちょっと考えてから、結局言いかけた言葉を続ける。


「スカウトかなって」


「すかうと?」


「うん。大学の。そういう話もあるらしくて。だから余計気になっちゃって」


「なるほど、推薦とかにもかかわる話ですもんねー」


 やはり心海は部員の感想を気にも留めない。

 それどころか、再び柵から道場の方を覗き込んだ。じっと射場にいる弓道部員に視線を向け続ける。


 やがて満足したのか、すっきりした表情で振り返った。


「あの、主将さん。胴着に名前って入っています?」






「本当に来るんですか?」


「ココミの推理が正しければ、ね」


 翌日の放課後。

 職員玄関近くで待機する心海たち。和人の方は時折、スマホに目を落としている。

 そこに映し出されているのは、先ほど瑞羽から送られてきた写真だ。被写体はもちろん、例の不審者――


「き、きた!?」


「こんにちはー!」


 和人が驚くのとほぼ同時に、心海が来賓に近づいていく。

 とても人懐っこそうな笑みを浮かべながら。


「あの弓道部の新コーチさん、ですよね」


 そんな言葉に、スーツ姿の若い女性はたどたどしく頷くのだった。





 職員室を出て、和人は大きく息を吐いた。


「しかし、本当にコーチだったとは……」


 二人は改めて中内教員に会って話の全容を確かめていた。

 心海の推察通り、謎の人物は弓道部に新しく来るコーチだった。ここ最近やっていたのは現状視察。

 生徒たちに黙っていたのは素の様子を見てもらいたかったためらしい。


「あの人が興味あったのは、うちの高校の弓道部だったからね」


 女性のいた場所からは的の方は部分的にしか見えない。であれば、注目の対象は個人か集団全体ということになる。


「でも、それだけならスカウトって線も……」


「練習用の胴着に名前、入ってないのよ? 個人が確認できないのに評価するっていうのは考えにくい」


「なるほど。しかしよくわかりましたね」


「玄関で中内センセを見かけてなかったら微妙だったわ。あれはきっとお見送りをしていた。ちょうど、そういう所作が目に入ったから」


 だからじっと部長は見ていたのか。和人はようやく納得がいった。ただ見かけただけで注目する理由はない。


「はぁ。うちにも来てくれないかしら、コーチ」


「一応聞きますけど、なんのですか?」


「謎解き。具体的には名探偵!」


 いねえよ、そんな奴。和人は胸の中で小さく呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミステリー研究部は謎に飢えている かきつばた @tubakikakitubata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説