騎馬民族説批判

騎馬民族説の諸問題

 前稿でハツクニシラススメラミコトについて触れましたが、この称号をめぐって、かつては騎馬民族説の主張が無視しえぬ影響を与え、特に神話学方面では、いまだに影を残しているので、過去の稿と重なる部分も多々ありますが、再度触れて行こうと思います。



◇江上波夫氏の騎馬民族説の概要

 昭和23年に江上波夫・岡正雄・八幡一郎の各氏により「騎馬民族説」についてシンポジウムが行われました。その様子は『日本民族の源流』(講談社学術文庫)に掲載されていますが、江上氏の主張を要約すると、4・5世紀頃の旧南満州(現在の中国東北地区の松花江方面)にいたツングース系の夫余族である騎馬民族の一派が朝鮮半島を南下し、高句麗・百済・新羅・伽羅の国々を建設した。そして、この中の伽羅、日本で言う任那の一族が長駆、日本列島に侵入し、先住の農耕民族であった倭人を征服、支配した。これがのちのの大和朝廷をめぐる貴族の祖先であって、ミマキイリヒコ、すなわち第十代の崇神天皇であり、ミマキイリヒコとは「任那の宮殿におられた方」つまり「伽羅の国の王」という意味であり、記紀では「はじめて国を治めた天皇」という意味の「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれ、この天皇こそが真の創業の主であろうし、神武天皇も「ハツクニシラススメラミコト」と同じ称号の天皇が二人いる理由は、実在は崇神天皇だが、大和朝廷の創業を十代遡らせ、もう一つの架空の天皇を設定したと主張しました。⑴


◇騎馬民族説同調者の主張

 又、考古学者の岡正雄氏は日本神話の複合性を主張し、弥生時代以来、先住民族として幾つかの種族があったと言い、東南アジアの母系的稲作民。ポリネシア・ミクロネシア・メラネシアなどの南太平洋系イモ栽培民。そして東南アジア・オセアニア系の父系的漁撈民で、それぞれの種族に固有な文化や信仰伝承があったとのこと。


 すなわち皇祖神のアマテラスオオミカミの崇拝と神話は母系適稲作民。

 イザナミ・イザナギの神話などは父系的漁撈民。

 他にも折口信夫氏などが『古代研究』⑵のなかで唱えた海の彼方から神が訪れて豊作をもたらすという、いわゆる「マレビト」の崇拝行事、あるいは『古事記』に出て来る食べ物の神のオオゲツヒメをスサノオが殺したら、その体の中からいろいろな五穀類が出て来た話などは、オセアニア系の母系イモ栽培民の伝承にあて嵌ります。


 そして、騎馬民族は日本に北方系の信仰文化を持ち込み、王朝的な職階性や軍隊組織、父家長制、五部制といったものを持つ父権的な支配民族であり、天のタカミムスビの崇拝や、その神がホノニニギを天降らせるという天孫降臨神話の伝承などは、この新しい民族に属するものであると言います。


 日本に居たもともと南方系のいくつかの先住民族を、のちにやってきた北方系の騎馬民族が征服支配し、そして日本神話の中には、その二重性があると考え、その理論は、日本の神話の系統的研究にはたいへん大きな道標となり、以後、いろいろな学説がこれを出発点としているそうです。⑶


 こういった主張は神話研究者に多大な影響を与え、松村武雄氏は天孫系神話群は遊牧アジア系文化の産物、出雲系神話群は先住東南アジア系文化の産物、筑紫神話群はインドネシア系漁撈文化の産物であるとし⑷、大林太良氏は神武東征と高句麗の高朱蒙という英雄の建国伝承と比較し、朱蒙の子の温祚オンジョが南に移動し、百済王朝の始祖になったという伝承と比較し、その構造に類同性を認め、これを「内陸アジアの遊牧民」の所産であると論じました⑸。又、吉田敦彦氏はギリシアのデメテル神話と日本のアマテラス神話との類似性を指摘したり⑹、イザナキ、イザナミの黄泉国訪問とオルフェウス神話やペルセフォネ神話の類同性を論ぜられ、それらはみな印欧系の神話で、たぶんスキタイ族というヨーロッパに近い小アジアあたりにいたトルコ系の騎馬民族による媒介や運搬によって中央アジアにもたらされ、それが中国・朝鮮・日本というルートを通じ、夫余族によって入って来たと想定されました。⑺



◇騎馬民族説に対する批判。

 これらの要点を纏めていくと

➀4・5世紀頃の旧南満州にいたツングース系の夫余族の騎馬民族の一派が朝鮮半島を南下し、高句麗・百済・新羅・伽羅の国々を建設した。

②ミマキイリヒコは「任那の宮殿におられた方」つまり、「伽羅の国の王」の意味。

③任那の一族が日本列島に侵入し、先住の農耕民族であった倭人を征服、支配し、後の大和朝廷をめぐる貴族の祖先となった

④「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれた、崇神天皇こそが真の創業の主

⑤④と同じ称号の天皇が二人いる理由は、実在は崇神天皇だが、大和朝廷の創業を十代遡らせ、もう一つの架空の天皇を設定した

⑥日本の先住民族である南方系の先住民は北方系の騎馬民族に支配されたことにより、日本神話の二重性が生じた。


 この様な感じになると思います。➀については国外のことであって、本エッセイの守備範囲外なので省略します。③~⑤に関しては別稿(「オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判。」)で既に批判しているので、詳しくはそちらをご覧頂ければと思いますが、②についてなど新たな批判を行うとともに過去の内容も簡単におさらいします。騎馬民族説で影響を受けて出来たのが王朝交代説であることはよく知られていますが、王朝交代説に関しては過去にも述べました様に既にオワコン化しています。ですが、騎馬民族説が神話学に与えた影響は思いの外根強いようなので、⑥を中心に見ていきたいと思います。


 先ず、②に関してはこの様な主張をするには何らかの証拠が必要なハズですが、江上氏が根拠としたのは「御間城」という諱から、当時の天皇の諱は天皇が住んでいた宮殿に因んだものが多く、「城」が王城、宮殿という意味だから実際の地名が「御間」であるからと推測するのみで⑻、説を裏付けする文献が一切無く、一体どうしたらこんな妄想が出来るものかと不思議に思います。


 「御間城」の本来の意味は、『日本古語大辞典 [正] (語誌篇) 増補版』⑼によれば、崇神天皇の皇后である大彦命の御女(娘)の御間城姫(記では御眞津比売命)とあり、御間即ち御領地の城の姫君という意味で、これに就かれたので(天皇は)ミマキ入彦と申し上げたのだろうとのことです。因みに第5代天皇である孝昭も『古事記』では諡号を御真津日子訶恵志泥命といいミマが含まれていますが、この事に関しては江上氏はどう説明するつもりだったのでしょうかね?


 それに、『日本書紀』巻六垂仁天皇二年(壬辰前二八)是歳の分注には「汝不迷道。必速詣之。遇先皇而仕歟。是以改汝本國名。追負御間城天皇御名。便爲汝國名(いまし道に迷わずして、速詣はやくまヰいたらましかば、先皇さきのみかどに遇ひて仕へまし。是を以て汝本の國の名を改て、追て御間城みまきの天皇の御名をりて、便ち汝國の名にせ)」⑽とあります。原文の省略部分を合わせて要約すると、「大加羅国の王子で日本に帰化したツヌガアラシトという人物が崇神天皇の死後、垂仁天皇の三年間仕えていましたが、天皇に帰国の意志があるか尋ねると、帰国を願い出たので、ミマキスメラミコトの御名をとってお前の国の名を改めよと詔され、任那の名がついた」と書かれており、


 紀の文章が信憑性にかけるからと言って勝手に内容を捻じ曲げ、話を創作する江上氏の様な手法が許されるとしたら、自分にとって都合の良い説を幾らでも創造出来てしまい、それこそ学者等不要で小説家の独壇場となり、最早学問とは言えなくなってしまうのではないでしょうか? 虚構を綴るのは小説家の仕事であり、学者の仕事ではありません。


 ③については江上氏は五世紀の事としていますが、誉田御廟山古墳の築造時期が五世紀初頭なので、既に応神天皇の時代となってしまい、崇神天皇の時代とズレが生じます。また、同範鏡や古墳が畿内を中心に全国に展開するのが三、四世紀頃からであることは過去の稿(「オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判」)でも取り上げている様に、江上氏の想定よりも早く大和王権は発展しています。又、佐原真氏により騎馬民族が行っている家畜の去勢が日本では行われていなかった事が指摘されています⑾。江上氏は『騎馬民族は来た!? 来ない!?』(小学館)で行われた対談の中で、騎馬民族は去勢を行っていなかったと主張しましたが、一方の佐原氏は騎馬民族と関わった複数の日本人の証言や外国人の文献を取り上げ、騎馬民族が去勢を行っていた事実を指摘しています。江上氏の主張を証明する手段は無く、寧ろ複数証言を取り上げた佐原氏の方が客観的な説得力を持つと言えます。


 ④⑤に関してはつまり崇神が初代天皇であるということですが、これも過去の稿(「オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判」)で述べた様に、崇神天皇陵とされている行燈山古墳よりも以前に箸墓古墳、西殿塚古墳、外山茶臼山古墳、メスリ山古墳と言った王墓が造営されており、初代天皇が崇神であるとは言えない状況になっています。又、ハツクニシラススメラミコトに関しても前稿(「神武天皇と崇神天皇。二人の「ハツクニシラススメラミコト」は同一人物か?」)で述べたばかりなので繰り返しません。


 又、⑤に関して西郷信綱氏は「もっとも致命的な難点は、それによって日本古代における政治・社会構造を説明できないことであろう。支配階級が内部において自制してきた場合と、外部から征服者として臨んだ場合とでは、当然、政治・社会構造はちがってくる。日本古代の政治と社会の、あらゆるレベルを通して見られる構造的同質性は、支配階級が外部からの、少なくとも今来の征服者でなかったことははっきりと示しているのではないだろうか」と疑問を持たれ、「記紀の天孫降臨と神武東征の物語を、それぞれいわゆる第一次建国、第二次建国に結び付けて説くのは、自己の仮説の帳尻を合わせようとするあまり、他の学問の水準を少し無視しすぎているのではないだろうか」「記紀の本文からそうした歴史的事件を読み取ろうとするのは、相当無理な注文であり、高天原は満州だといった式の読みかたと大差ないもののように思われる」⑿と仰られる様に随分と辛らつです。


 ⑥に関しては松前健氏は、「例えば大林氏が指摘した神武東征と高句麗の高朱蒙という英雄の建国伝承の類同性に対して、この程度の類似なら世界の多くの民族の建国伝承にもあるから、必ずしも同一の系統であるとは思っていないと主張し、説話の構造が全く違ったものであること、古代の王者がこうした山野や河海の精霊などを支配するという観想の現れですが、そうした観想なら、必ずしも日韓だけに限らない」とのことです。


 また、吉田氏の説に対しても古代ギリシアの神話と日本神話との一、二のモチーフの類似点を取り出して、それらがすべて騎馬民族の媒介によるという仮説では説明できるものではないとし、説話のモチーフが似ているのは、その母胎としての祭式が似た構造と機能をもっているからであり、必ずしも騎馬民族の伝承の結果とは限らないこと、イザナキ・イザナミの黄泉行き神話とオルフェウスの神話で、共に夫婦仲が破局となる話は一見似ているが同じ話とは思えない事、イザナキ・イザナミ神話にみえるヨモツヘグヒのモチーフと、ペルセフォネがザクロを冥府で食べた為に帰れなくなったというモチーフは似ていますが、アジアやヨーロッパだけではなく、メラネシアやニューギニアなどの未開民族にもあり、これも必ずしも騎馬民族のせいにする必要もないこと、吉田氏はイザナキ・イザナミ神話にみえる「覗き見による破綻」はヨーロッパと日本だけが一致していると言い、伝播の可能性を述べましたが、このモチーフは古くはオルフェウス譚にはなく、アレクサンドリア時代に付加されたもので、古くはオルフェウスが宣託の洞窟で、亡妻の幻覚に会ったという、一種の霊験譚であったというガスリー(W.K.C.Guthrie)という古典学者は論じており、ヨモツヘグヒの話と似た「死者の食物型」の話のモチーフは世界的なもので、必ずしも日本とギリシアだけではない等のことを述べ、「騎馬民族による伝播」説は承認できないとしました。⒀


 ですが、松前氏は北方系の要素が日本神話に存在することまでは否定せず、例えば天孫降臨神話や物部氏の降臨譚が、百済の都城制に関わっている五部制の思想に基づいていることや、朝鮮語であるソホリとかソポリ、亀旨峯クシムルというものと似た名前のクシフルなどの語が出て来ることなどは、みな百済や伽羅などの影響だということは認めない訳にはいかず、そこまでの一致は偶然とは考えられないと言います。しかし、これらの伝承をもたらした民族集団が大量にある時期に一挙に侵入し、支配者になったということを必ずしも意味しないとも主張しました。


 まぁ、単純な話、本当に騎馬民族に征服されて居たら日本語も朝鮮語も満州語も同じになっていたハズですが、全く似ていませんしねぇ。それでも他の言語よりは類似性はあるらしく、例えば「氏」の場合、発音のdをrに置き換えて韓国語と共通し、日本語ではudiで韓国語ではuriとなります。しかし、ゲルマン語派、例えばドイツ語とポーランド語、或いはロマンス語派ではスペイン語とポルトガル語程似ていません。これらの国々と違い、地続きではなく海を隔てていることと、年月を経て変遷したとも考えられなくもないですが、欧州の植民地であった国々の現状、具体的に言えばインドやスリランカが英語、ラテンアメリカの国々がポルトガル語やスペイン語を植民地支配から脱却して年月を経てさえも解する事実から想定すれば、両者が全く異なるものであることは言うまでもないです。


 若干趣旨と話がズレますが、松前氏の説に対して(というか多くの学者に対してもそうですが)首を傾げざるをえないのは、ある古語と朝鮮語の読みの類似性から起源を朝鮮に求めるという手法にはかなり疑問をもっています。理由は、その朝鮮語が本当に当時使われていたものなのか分からない為です。


 私見の根拠は、『三国史』辰韓伝によれば「其言語不與馬韓同(其の言語は馬韓と同じからず)⒁」つまり、辰韓(後の新羅)の言葉は馬韓(後の百済)と異なり、一方、弁辰(後の任那・加羅)については弁辰伝に「衣服居處與辰韓同。言語法俗相似(衣服、居所は辰韓と同じ。言語、法俗は相似たり。)⒂」つまり、辰韓の言葉と似ているという意味の事が書かれていますが、衣服や住居が「同じ」と記されている事から、同じであれば言葉も同じと書かれるはずが、「似たり」と書かれている事は異なった言語であることは間違えなさそうです。つまり、南朝鮮の新羅・百済・加羅(任那)で言葉がバラバラだった筈であり、それ等が如何なる言葉であったか分からない限り、真相究明は不可能であると考えられるからです。


 現在となっては古代朝鮮語について分かる文献も十二世紀を遡らないという限界もあり、それが例え新羅時代の言葉をある程度反映していたとしても、日本に影響を及ぼしていたと思われる百済の言葉とは大きく異なることが辰韓伝より伝わる為、こう言った手法がどの程度正確なのか分かったものではないのですが、これ以上の指摘は本稿の趣旨とかけ離れてしまうのでこの程度に止めておきます。(但し、百済語は幾らか日本書紀に伝わっており、それらが中世朝鮮語と共通するという見解もあります。例えば「熊・久麻」の仮名は百済語では「kuma」中世朝鮮語では「know」などがあります。しかし、百済語に関する知識(分かっている言葉)が乏しく、他の言語との比較が非常に困難であるのが現状であるとのことです。⒃)


 話が長くなったうえに横道にそれましたが、松前氏の説を極々端的に言えば、日本神話と朝鮮神話の類同性程度であれば、世界各国の神話、それこそ日本とは関係のなさそうな地域でもみられるものであり、この程度の根拠で騎馬民族を日本人の源流とするのは誤りだということです。


 そもそも日韓神話の共通分があるのは一部分を切り取っての話であって、朱蒙と違い、瓊瓊杵尊は卵から生まれた訳では無いですし、朱蒙は弓で川面を打ち敵を退けましたが、神武の場合は弓に金鵄が止まり稲妻の如き輝きを発した後に勝利を治めたので同じ弓を使っていても勝利の治め方が異なる事、何より、日本神話が騎馬民族由来であれば、日本神話にも朱蒙が馬飼をさせられていたが如き話が存在してもおかしくないはずが、それらしい話は全くなく、寧ろ肝心な馬の存在は記紀全体を見てもかなり希薄で、神武が朱蒙の如く不遇な目に遭っていたという逸話もありません。ご説明しましたように個々を分析していけば似ている点よりも似ていない点の方が多く(例に挙げた以外にも幾らでもあります)、類似点があるとすれば、それは他国の神話でもあり得る程度の共通性に過ぎません。即ち、神話の如き世界中で共通性をもつ物語ツールをもって、日本人のルーツを探るのは現状では不可能と言わざるを得ません。





◇結論

 恐らく40代以上の方はサッカー日本代表がワールドカップ初出場時に全敗した際、まことしやかに語られた「サッカーは狩猟採集民族が得意な競技で日本人のような農耕民族には向かない」という説を聞いた事があるかと思いますが、今や日本代表はワールドカップでベスト16の常連国であり、特にここ数年においてはドイツやスペインといった強豪国を倒すのも決して「まぐれ」とは言えない現在において、この様な主張をしていた方々は都合よく忘れ去ってしまっていることでしょう。騎馬民族説も根は似た様なものであり、民族で単純に区別するのはナンセンスとしか言いようがありません。


 戦後の米軍による占領や、戦中の神聖視された記紀への反発から考古学分野が重視されたという、時代の流れと特殊な状況による想像力が生み出した、一見説得力はある様で、その実、根拠の乏しい主張であり、信じたい人には一種の受けの良い小説ストーリーの様なものだったのかと言わざるを得ません。曲学阿世とはまさしくこのことを言います。


 幸いなことに、今となっては少なくても歴史学の分野では騎馬民族説は支持されていませんが、何年か前、朝日新聞で「騎馬民族説のようなを望む」といった内容の記事をみかけました。この軽薄な記事に見られる様な(面白ければ史実などどうでもいい?)無知な上に無責任な願望が招いたのか? アマチュアが書いた書籍の中には騎馬民族説や王朝交代説などを折衷させ、更には言語学や民俗学を捻じ曲げて解釈し、悪用した様なものが未だに書店の本棚の片隅を占めているように、その推理小説的な面白さは、ある一定の層のを叶え、魅力的に映るのかも知れません。


 しかし、それは奇想天外であったり、大胆であるほど事実からかけ離れ、遠ざかっていくものであり、点と点を結び付け、推理小説的に面白くすることは、かつて西郷信綱氏が厳しく批判なさったものです。(「考古学について① 西郷信綱の考古学に対する批判論」参照)騎馬民族説の亜種的な著書の作者は『古事記』を飯のタネにしながら、『古事記』の古典と呼ばれ、同書を学習するものにとっては基礎教養の範疇と思われる西郷信綱氏の『古事記注釈』すら読んでいないということでしょう。或いはその主張の裏には不純物―例えば反天皇・反国家・反日といったイデオロギーによる一種のプロパガンダ的な意図が作者の名字・出身、経歴や活動、著書のタイトルなどからも透けて見えるので、注意が必要です。(ここまでお読みになられた方がそんなものに騙されて手に取る訳が無いですが)


 古代日本が騎馬民族文化を受け入れたのは否定のしようのない事実ですし、本エッセイでもご紹介させて頂きました田辺氏(「田辺氏と馬に関わる伝承」)などもその末裔と思われますが、馬具がみつかったからと言って日本人が騎馬民族に占領されていたという極端な発想は、例えるならばヨーロッパで日本の江戸時代の美術品が見つかったからといって、ヨーロッパが日本に占領されていたという発想に等しいです。何を馬鹿なと思われるでしょうが、少し頭を柔らかくして考えれば、考古物と美術品を置き換えて例えただけで、本質的には大差がありません。つまり、その位トンデモな発想なのです。


 事実は『古事記』で神功皇后が新羅王を「御馬甘みまかひ(馬飼)」にしたという話の信憑性はとにかくとして、騎馬文化に対する態度を端的に表すとしたら強ち間違えではなく、倭国王権が優位に立っていた南朝鮮諸国家に対し、積極的に騎馬文化を供給させ、接収した比喩的表現とも取れます。


 それに、何も騎馬文化だけを受け入れていたわけではなく、日本神話の多様性から、それこそ有史以前から長年をかけて、様々な国々の文化的な影響を受けていたことが想定されるのは本稿で見てきたとおりです。ある一時期、ある一点だけを注目して、それを拡大解釈し、マクロなものと捉える行為は、一見発想が豊かに見えるのとは逆に、その実は大切なものを見落としてしまうような視野狭窄に陥りかねないと言わざるを得ません。





◇参考

⑴『日本民族の源流』江上波夫 講談社学術文庫

⑵『古代研究 第1部 第1 民俗學篇』折口信夫 著 大岡山書店

「まれびとのおとずれ」

https://dl.ndl.go.jp/pid/1449488/1/32

⑶『日本神話と古代の信仰』松前健 大和書房

「日本神話の複合性」「騎馬民族説の反響」20-22頁

⑷『日本神話の研究』松村武雄 培風館

⑸『日本神話の比較研究』大林太良 法政大学出版局

⑹『ギリシア神話と日本神話』吉田敦彦 青土社

⑺『日本神話と印欧神話―構造論的分析の試み』吉田敦彦 弘文堂

⑻『騎馬民族国家』江上波夫 中公新書  325頁

⑼『日本古語大辞典 [正] (語誌篇) 増補版』松岡静雄 編 刀江書院

https://dl.ndl.go.jp/pid/1870643/1/624

⑽『国史大系 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/pid/991091/1/67

⑾『騎馬民族は来た!? 来ない!?』江上波夫・佐原真 小学館

「日本人は去勢を知らない」155-160頁

⑿『古事記研究』西郷信綱 未来社

「神武天皇」184頁

⒀『日本神話と古代信仰』松前健 大和書房

「騎馬民族説の問題点」25-31頁

⒁『漢・韓史籍に顕はれたる日韓古代史資料 3版』太田亮 編 磯部甲陽堂

https://dl.ndl.go.jp/pid/1917919/1/27

⒂『漢・韓史籍に顕はれたる日韓古代史資料 3版』太田亮 編 磯部甲陽堂

https://dl.ndl.go.jp/pid/1917919/1/28

⒃『国文学 平成18年1月号』学燈社

「言語学的な宝を秘める日本書紀」ジョン・ベンデリー 135頁


◇関連

・オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判。

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330657198382518

・書評 名著『騎馬民族は来た!? 来ない!?』(江上波夫・佐原真)について

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330662926834586

・神武天皇と崇神天皇。二人の「ハツクニシラススメラミコト」は同一人物か?

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330660197419236

・考古学について① 西郷信綱の考古学に対する批判論

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330653270767699

・田辺氏と馬に関わる伝承

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330649539903854

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