考古学批判

考古学について① 西郷信綱の考古学に対する批判論

◇「騎馬民族説」に関する西郷信綱の意見

 古事記に関する研究の古典と言われており、同書の研究に必須と言える『古事記研究』(未来社)で西郷信綱氏は騎馬民族説について言及しており、「推理小説的興味も加わり、江上波夫氏著の『騎馬民族国家』が読者大衆にうけるのは、もっともという気がする。一方、その大胆なやり方は、歩というものを使わず、飛車と角だけで将棋をさしている趣に似ていなくもない。時には基盤の上で将棋をさしているのではないかと思える節もあり、だからいよいよ面白くなるわけだが、面白いだけが学問の能ではないので、私はいささか苦言を呈する仕儀にならざるをえない」⑴と述べ、騎馬民族説に関する批判論を展開なさったことがあります。


 騎馬民族説に関しては学術的にとっくに批判されているので、本稿では詳細を取り上げませんが、同書の中で古事記や古代史に関わらず、歴史学を学ぶ姿勢として多く参考にすべき点がありました。


 騎馬民族説を推理小説的興味であるという西郷氏は、この学説の特徴を、つねにあれこれの「点」と「点」との間を大胆につなぎあわせ、それでもって推理的に図形を作りあげようとしていることにあり、「考古学あるいは民俗学という学問の寛大さに、ほとほとびっくりせざるを得ない。その寛大さに私は疑問をもつ」⑵と述べられ、特に考古学に関しては、考古学者G・チャイルド(Vere Gordon Childe)が語った考古学の限界について取り上げています。



◇考古学者G・チャイルドの語る考古学の限界

 チャイルドによれば、ある条件において、しかもつねに遠慮がちに、政府や家族の形態、身分の認知、生産物の分配、戦争等について、何がしか指摘する事ができる、しかし法の内容や実行、財産の相続、首長の権限、宗教信仰の内容などについては何も言う事ができない。⑶とのことです。


 西郷氏のチャイルドがこれを実行したか如何か、またこの制限が妥当かどうか問題があろうという見解は同意ですが、もっと肝心なのは、「騎馬民族説は必ずしも考古学一本やりではなく、もっと総合的な基礎に立っており、しかしやはり寛大な解釈に甘えすぎず、それぞれの学問に要求されるはずの禁欲と自制の枠を踏み越えた節々が見受けられる⑷」という意見です。


 こののタガを外してしまえば、どうとでも都合が良い解釈が出来てしまいかねない事を西郷氏は憂いていたのではないでしょうか。


 当エッセイでは過去に考古学的な知見をほぼ取り入れる事が無い西郷氏の批判を行いましたが、この様な理由があったのかと気付かされ、自分の無知さに反省させられました。




◇参考文献

⑴~⑷『古事記研究』西郷信綱 未来社 111~112ページ

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