考古学について② 考古学偏重による記紀全否定の流れから脱却した井上光貞

◇戦後の考古学偏重主義の流れを変えた井上光貞

 記紀の研究史は戦後十年ぐらいまでであれば『古事記大成 研究史篇』(平凡社)にその歴史が載っているので参考にして下さればと思いますが、ざっくりと言えば、戦時中、津田左右吉の書籍が不敬であるとして検挙された様に、言論統制下に置かれた戦中は自由な記紀研究が出来なかったのですが、戦後に皇国史観から解放されると、戦中の反動も相まって、津田左右吉の研究が見直され、記紀の記述はほぼ全て虚構であり、考古学のみが正しいという風潮を産み出しました。


 そのような流れの中、以前とりあげた「帝紀からみた葛城氏」の著者・井上光貞氏は、津田氏の記紀批判を「古代史研究の資料としての記・紀利用の回避という、一種の偏向を導いた」⑴ことを指摘し、また、古代史学の再建は、この「偏向」の克服の上に行われなければならない。と批判し、記紀の利用が再び見直されるきっかけとなりました。また、大久保正氏、松村武雄氏などが津田氏による記紀の神話批判に対する批判を展開し、家永三郎氏も一定の敬意を払いながらも津田左右吉の行き過ぎた説の批判を行っています。(もっとも事あるごとに当時で言う進歩的文化人であるというイデオロギー的な偏向を隠そうとしていない家永氏の場合、戦後左派により解体を叫ばれていた天皇制を固持することに執着した津田氏の明治人らしい思想に関する反発の様にも見えますが)


 つまり、戦中は権力により消し去られる憂き目にあった津田氏の研究の見直されながらも、今度は行き過ぎた考古学偏重を招き、それを批判する井上氏等により記紀が再び資料として見直され、少なくても歴史学においては主流になりました。


 一方、直木孝次郎氏の大化前代に関する古代史家の文献資料批判の甘さを反省した批判は、戦後の記紀の再評価に対して適切な発言として家永氏は評価しており⑵所謂津田史観あるいは津田学徒などと言われる学者も歴史学会のもう片方の軸となっていきます。


 以降、井上氏と直木氏は歴史学会を代表する存在となっていきます。


 両氏の研究は多くの批判を産み出しましたが、教科書や一般向けの解説書に掲載される様な定説も両氏の研究から発展した内容も少なくありません。


 現代で井上氏的な視座で研究をなさっている方を上げるのであれば、恐らく平林章仁氏であると思いますが、広義の意味では記紀批判の範疇を超えなかった井上氏に対し、より積極的に記紀から史実を解き明かそうとなさっているように見えます。平林氏の特徴としては直木孝次郎氏等、歴史学者が良く行う「反映法」つまり、記紀の記述を後世の出来事の反映とする手法を嫌い、記紀所伝の内部的な分析と考察、即ち内部考証的方法や、時代的な特徴について歴史的な考察を行うスタンスを取られています。


 一方、直木氏に近いと感じるのは加藤謙吉氏でしょうか? ある著書に掲載されていた直木氏に対する持ち上げっぷりなどみると、アカデミックな分野だとここまでやらないと偉くなれないものかと、学会の闇を垣間見た気分になりました。。。



◇参考文献

⑴「日本古代史の諸問題」「大化の改新」その他 井上光貞

⑵『古事記大成 研究史篇』 平凡社 234~235ページ

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