再び考古学の話

書評 名著『騎馬民族は来た!? 来ない!?』(江上波夫・佐原真)について

 30年以上前の本なので今更ですが、表題の通り本稿では江上波夫・佐原真の両氏による対談を記した著書『騎馬民族は来た!? 来ない!?』(小学館)について取り上げます。


 本書は騎馬民族説を掲げた江上波夫氏とそれを批判する佐原真氏による対談で、相反する意見の論者による直接対談(対決)と言う、この分野では恐らく稀な書籍であるだけに止まらず、どちらの説を支持するかというアンケート迄行われたという大変珍しい書籍でした。


 結果は江上氏支持の読者が上回り、初版の1989年当時は専門家の見解と相反し、まだ騎馬民族説が支持されていた様です。(と言っても当時の自分は幼過ぎてこんな論議がある事を知る由もありませんがw)只、佐原氏も仰られている様に本書が佐原氏に不利な構成であったので仕方無い面もあるかと思います。


 本書は江上氏の実地体験に基づく、騎馬民族の生活や文化についての説明が主体で成っています。彼のJ・G・フレーザーが「書斎の学問」「安楽椅子の人類学」として批判を浴びていたこととは正反対であり、その豊富な体験に圧倒されますし、批判論者の急先鋒で年下の佐原氏との対談を了承した江上氏の懐の深さや人柄に、多くの読者は魅了されてしまったのかも知れません。この著書を通して江上氏を知る分には騎馬民族説が一世を風靡した理由が分からなくもありません。


 騎馬民族の体験談だけでなく、日本における考古学の黎明期に体験なさった事、当方もお勧めの書籍で過去の稿でご紹介させて頂いたことのある名著、『通論考古学』の著者で日本初の考古学講座を創設した浜田耕作氏との逸話などとても興味深く、これだけでも充分読む価値のある書籍と言えます。

(尚、『通論考古学』はデジタルコレクションで閲覧できるので是非ともご覧ください)


・『通論考古学』浜田耕作 大鐙閣 大正11

https://dl.ndl.go.jp/pid/964457


 ですが、江上氏の話が正しいか如何かはまた別で、如何に当時の読者に支持されていたとしても、現在の知識でみると怪しいと言わざるを得ません。(と言うよりはこれ以前の書籍を見る限り、専門家の間ではこの頃、既にあまり支持されていなかったかと思います)江上説の疑問点は去勢の有無や、崇神天皇を初代の天皇としながら、応神天皇の時代である五世紀に騎馬民族がやってきたという時代のズレの様に挙げていくこともできますが、そう言った個々の問題点よりも、佐原氏は「馴化じゅんか」と表現していらっしゃる様に、ご自身の説に都合の悪い出来事に関して、騎馬民族はそれらをという主張に尽きます。こう唱える事により、どの様な真っ当な反論も佐原氏が仰るように「暖簾に何とか」で、江上氏にかかれば仮説を否定するのが困難になります。過去の稿で取り上げました西郷信綱氏が江上説を批判するのは(「考古学について① 西郷信綱の考古学に対する批判論」)この様な江上説のうさん臭さに起因するのかも知れません。


 又、日本では馬の去勢をしていなかったという騎馬民族文化との違いを根拠に騎馬民族説を批判する佐原氏に対し、騎馬民族は家畜の去勢をしていないという事をご自身の体験から語る江上氏の話が本当に正しいのか、本書では検証されていません。


 奇しくもお二人の対談の中で名前が挙がっていた、元朝日新聞社のジャーナリスト本多勝一の著書『中国の旅』で書いた「万人坑」の内容が中国共産党の主張プロパガンダを鵜呑みにした虚構であったこと⑴はまだ然程古くない記憶ですが、この例を取れば江上氏が現地で調査をしたからと言って、江上氏の話が必ずしも真実とは限らず、当然第三者による検証も必要かと思われますが、紙面にそこまで割かれていないのが佐原氏にとって圧倒的に不利な内容であったと言わざるを得ません。国内の調査とは訳が違うので中々難しい事情もあるのかも知れませんが、どうしても公平性に欠いている感が否めません。


 他にも本書の欠点としては、古い書なので免れ得ない事ですが、両氏の主張とも現在見るとおかしいものがあります。江上説で取り上げるとキリがないので本書をご一読下されば懸命な皆様はお気づきになられると思いますが(笑)、佐原氏の主張でも、例えば吉野ケ里遺跡の戦いの犠牲者を『魏志倭人伝』の「倭国大乱(倭国大いに乱る)」(本書では「倭国乱る」と表現)に対応する可能性を指摘していますが、現在の考古学的な知見では弥生時代の戦闘は紀元前にはじまり、激化していったので、その発端において「倭国大乱」は関係無かった事が明かされており、本書にはありませんが後程佐原氏はこの説を撤回なさったそうです⑵。この様に本書を読むにあたって、現在の考古学的な見解とのズレも把握しておく必要があります。


 とは言え、江上氏の話は興味深く、本稿で取り上げた欠点に目を瞑ってでも読む価値はあるかと思います。満州事変の前年、護証という現在で言うパスポートも無しに蒙古地域に不法入国した逸話や、「土匪」「馬賊」が闊歩する中での調査など、その度胸とフットワークの軽さは(貴方はインディー・ジョーンズですか! と言いたくなります)現在の考古学者には有り得ないものであり、尊敬に値します。(無論、当時とは価値観が異りますし、何回紛争地域で人質にされても懲りることのない某ジャーナリストの様なやり方は迷惑極まりないので、現在の考古学者に同じことをヤレなどと無謀な事は言いませんが)

 

 江上氏は現代人では殆どあり得ない様な特殊な経験と、スケールの大きい発想から唱えた騎馬民族説を世に知らしめ、歴史に興味がある方であれば誰しもその名を知らない者はいない程有名な説になりました。恐らく、一般的には津田左右吉氏の『神代史の研究』や『古事記及日本書紀の研究』と言った上代の歴史を学ぶにあたって必須な本は読んだことが無くても、江上氏の本は読んだ事があるという人の方が多いのかも知れません。


 但し、それが西郷信綱氏も指摘する推理小説的な面白さや、江上氏の人間的な魅力に起因するとすれば、江上説を事実と捉える事は残念ながら違うと言わざるを得ませんし、寧ろ感情的な賛同は抜きに、批判的な見方も忘れない様にしなければいけません。本書は謀らずとも江上氏有利な構成でありながら、よくよく読めば、その怪しさを露呈した本でもあり、それを引き出した佐原氏の偉大さに敬意を表したいと思います。


 因みに、「騎馬民族征服王朝」という言葉で勘違いされやすいのですが、この言葉を使い始めたのは江上氏ではなく、恐らくヨーロッパの学者であるウィットフォーゲルであり、戦争は行われずに、実用的ではなく大きく立派な弓矢などで武威を示し、馬を使いながらも馬で戦うことは殆ど無かったと江上氏が明らかになさっており、佐原氏も驚かれています。私も驚きました(苦笑)。


 手塚治虫の『火の鳥』(黎明編:COM版)の様な創作や、江上氏を批判しながらも江上氏の主張も取り入れている王朝交代説などを見ると、如何やら「騎馬民族征服王朝」を字面通りにのみ捉え、正しく理解していたとは言い難い様です。この「騎馬民族征服王朝」というおどろおどろしくインパクトのあるネーミングこそが江上説を世に広く知らしめる起因となった一方、上記の様な根本的な部分での誤解を生みだした最大の理由であり、都合よく解釈され利用されてしまったことは、この説の悲劇でもあったと言わざるを得ません。

 


◇参考

・『騎馬民族は来た!? 来ない!?』江上波夫・佐原真 小学館


⑴THE SANKEI NEWS 2016/5/15記事『(下)朝日記事「万人坑」はなかったという指摘に本多勝一氏はこう返答した…「中国の主張を代弁しただけ」』

https://www.sankei.com/article/20160515-JLABEWCVXVLJJCB3HGCBUS7NV4/


⑵『倭人争乱』田中椓 集英社 76-78頁


◇関連項目

・考古学について① 西郷信綱の考古学に対する批判論

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330653270767699

・オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判。

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330657198382518

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