文献解析のコツ

ITエンジニアの考えた、記紀分析の第一次切り分け

 2024年1月23日に放送された「クローズアップ現代」でロングインタビューを受けた元外交官の佐藤優氏の著書には「内在的論理」という言葉があるらしく、相手の価値観や善悪、好き嫌いなどの「信念の体系」を知ることで外交、人間関係において深い洞察が出来るといいます。⑴


 このインタビュー自体がロシア寄りのプロパガンダ的な内容であり、個人的には同意しかねる箇所が多く、実際批判もされているようですが、「内在的論理」の考え方自体は同意できる部分もあり、これは歴史学でも適応できるのかなと思いました。


 即ち、自らと相反する主張に対し、論者の立場で考え、そのような思考をなぞるには研究過程を辿る事により、理解が深まる部分も出てくるのでは無いかと思い、これは賛成するにしても反対するにしても基本的な事であるのかも知れません。まぁ、当たり前といえば当たり前のことですが……。私事ですが、私は社会学科出身で政治学を専攻していました。学生当時は所謂オピニオン誌が沢山あって、『諸君!』・『正論』・『Voice』・『文藝春秋』・『中央公論』・『論座』・『世界』といった右から左まで全てのオピニオン誌を読む事で、両陣営の識者の意見とそれぞれの問題点について考えていたので、「内在的論理」についてうなづけるものもあります。


 歴史学に限らないと思いますが、特に初学者は自分と相反する意見に耳を塞ぎ、目を閉じる傾向にあり、私見に近い意見しか取り入れない傾向にあるのかも知れませんが、いくら個人的に嫌だろうが、有力な説であった場合、自身の研究がひとりよがりで遠回りなものになりかねません。気を衒ったとっぴな説を頭の中で思い浮かべる前に、先ずは歴史学の研究者が意識せずに自然と行っている常識的な手順を踏まえてみた上で、肯定なり批判なりの研究を行う必要があると思います。


 記紀研究に於いて、一般的な文献史学的な方法を取るとすれば、先ずは以下にご紹介する手順で記紀の元となった出典を分析することで、史料の信憑性の高さを検討することから、ある程度史実性を探ることが出来るかと思います。



◇記紀文献の一次切り分けの手順。

 ITエンジニアの用語として、システムトラブルが発生した際、先ず最初に原因を探る事を「一次切り分け」と言います。例えばお使いのパソコンでインターネットにつながらなくなった場合、先ずはLANケーブルが抜けていないか確認し、抜けていない場合はLANケーブルの差込口のLEDが消えていないか、消えていたらLANケーブルをしっかりさすか、それでもLEDが付かない場合、LANケーブルか差込口の故障を疑う。消えていない場合、pingコマンドでルーターへのIPアドレスに接続できるか……といった手順でトラブルの原因を追究していきます。この様な手順にはトラブルごとに大体セオリーがあって、セオリーにしたがう事により無駄な作業を省き、迅速なトラブル解決を可能とします。


 この様な「一次切り分け」の手法は記紀文献を考察する手順にも当てはめられると思い、システマティックに一次切り分け出来る様に手法を以下に手順化してみました。



➀取り扱うのは記紀の天皇の系譜に関する記事か?

Yes→応神以降であれば史実性が高い可能性があり。他にも古墳など考古学的な成果、系譜学などを利用し慎重に検討する必要がある。

No→➁へ


➁記紀間で共通の伝承がみられるか?

Yes→『旧辞』が出典の為、史実性が低い。記紀両書の内容を分析して、どちらが正伝なのか検討すると物語の祖型が見えて来るかも?

No→③へ


③別の文献で類似の伝承がみられるか?

Yes→④へ

No→⑤へ


④それは海外の文献?(『日本書紀』が引用している典籍も含む)

Yes→史実性が認められる可能性があり。該当文献の資料性の検討と、併せて考古学的な根拠なども必要。

No→国内文献の資料性(一次資料か、時代が少しでも近い物か等)によっては史実性を認め得る。こちらも考古学的な根拠など確認する。


⑤『書紀集解』『日本書紀通証』『日本書紀通釈』といった注釈書類を参考にし、漢籍との類似性が指摘されているか?

Yes→オリジナルの記事でなく、日本書紀編纂時の潤色の可能性が高いが、何らかの史実に基づく可能性もある。

No→⑥へ


⑥天皇以外の何らかの古代豪族(地方豪族の祖とされた皇子を含む)の活躍が記されているか?

Yes→持統天皇五年の18氏に献上させた『記』が出典。一般的に史料性は低いとされ、特に古い時代の記事は史実性が低いが、大化後であれば史実性は認め得るか?

No→⑦へ


⑦考古学的な成果(銘文・木簡・古墳・墳墓の副葬品など)に即しているか?

Yes→史実性が認められる可能性があり。但し、当該記事に肯定的な説だけでなく、批判的な学説も照会し、客観性を留意する。

No→⑧


⑧当該記事よりも後世の記事で似た内容の話があるか?

Yes→後世の記事の反映である可能性があり、少なくても当該記事の史実性は低い。

No→史実性が低い。



 津田史観、或いは実証主義に寄せた手法を追うと大体上記のような形になるかと思います。試しに、過去にも取り上げたことがある神功皇后六二年条をこの方法で分析した場合、結果が如何なるか考えてみましょう。



⑵『日本書紀』巻九神功皇后摂政六二年(庚午二六二)二月

六十二年。新羅不朝。即年遣襲津彦撃新羅。〈百濟記云。壬午年。新羅不奉貴國。貴國遣沙至比跪令討之。新羅人莊餝美女二人。迎誘於津。沙至比跪受其美女。反伐加羅國。加羅國王己本旱岐。及兒百久至。阿首至。國沙利。伊羅麻酒。爾汶至等。將其人民。來奔百濟。百濟厚遇之。加羅國王妹既殿至。向大倭啓云。天皇遣沙至比跪。以討新羅。而納新羅美女捨而不討。反滅我國。兄弟人民皆爲流沈。不任憂思。故以來啓。天皇大怒。既遣木羅斤資。領兵衆來集加羅。復其社稷。一云。沙至比跪知天皇怒。不敢公還。乃自竄伏。其妹有幸於皇宮者。比跪密遣使人間天皇怒解不。妹乃託夢言。今夜夢。見沙至比跪。天皇大怒云。比跪何敢來。妹以皇言報之。比跪知不兔。入石穴而死也。〉


(六十二年。新羅しらきまうでこず。即の年に襲津そつひこを遣して新羅を撃つ。〈百濟記云く。壬午の年、新羅しらき貴國かしこきくにたてまつらず。貴國かしこきくに沙至比跪さちひこを遣して討たしむ。新羅人しらきひと美女をみな二人を餝莊かざり、とまりに迎へをこづる。沙至比跪さちひこ其の美女を受けて、反て加羅國からのくにつ。加羅國からのくにのこきし己本旱こほかむ及びひゃく久至くちしゅこく沙利さり伊羅麻いらましゅ爾汶にもむち等、其のおもむたからを將ゐて、百濟に來奔ぐ。百濟厚く遇ふ。加羅國の王のいろも殿でん大倭やまとに向ひてまうして云ふ、「天皇沙至比跪を遣して以て新羅を討つ。しかるを新羅の美女を納れて、捨てて討ず、反て我が國を滅ぼす。兄弟いろえいろと人民ひとくさみな流沈さすらへぬ。憂思うれへおもふしのびず、故に以てきたまうす」とまうす。天皇大にみいかりて、既ちもくこんを遣して、いくさびとひきゐて來り、加羅に集ひて、其の社稷くにを復したまふ。一に云ふ、沙至比跪天皇のみいかりたまふを知りて、敢てあらはに還らず。乃ち自ら竄伏かくる。其のいろも皇宮みかどつかまつる者有り。比跪密に使人つかひを遣して天皇のみいかり解くるやいなやを間はしむ、妹乃ちいめけて言す、「今夜きぞいめに沙至比跪を見る」とまうす。天皇大に怒りて云はく、「比跪何ぞ敢て來る」とのたまふ。いろも皇言おほみことを以てかへりことす。比跪ひこゆるさらざることを知りて、石穴いはつぼに入て死すなり。〉)



 如何でしょうか? 下にスクロールする前に、本文を上記手順で分析を行ってみて下さい。



 まぁ、過去に触れた井上光貞氏の「帝紀からみた葛城氏」で取り上げている話なので最初から答えはお解りだと思いますが(笑)。分かりやすい例だと思うので実際に見てみましょう。


 では、答えは以下になります。


 先ず、①の質問は本話は天皇の系譜の話ではない(帝紀の記事ではない)のでNoなので、②へ進み、葛城ソツヒコが新羅、或いは加羅を討つ記事は古事記に存在しない(旧辞の記事ではない)のでNoなので③へ進み、別文献に関しては、本話の場合は「百濟記」の引用がある為Yesの④へ進み、それは海外の文献である為、Yesの結果、史実性を認められる可能性があるということになります。これは過去にも取り上げた「帝紀からみた葛城氏」で井上光貞氏が行った手法をシステマティックに追って行くと大体この様な感じになるかと思います。


 当然のことながらこの手順は完璧なものではなく、当て嵌まらない例外もあるかと思いますし(例えば大伴氏の一部伝承の様に⑤でYesの漢籍の引用でありながら、⑥もYesである墓記とも認められる内容等)、上記の手順で史実性が認められる結果であっても、深く掘り下げていけば実際は史実性が認められない場合も沢山ありそうですし、逆に上記手順で史実性が認められないという結果であっても、史実性が認められるということもあるかも知れません。ですが、概ねこの手順に当て嵌めることが可能であり、とっぴな発想による無駄な研究を避けられるかと思いますし、逆に例えば敢えて旧辞の史実性を求めて、重ねて③~⑧の方法で分析するというのもアリだと思います。(もっとも、個人的な研究成果としては、旧辞的内容から幾ら史実性を求めても、史実性が認められそうなのは葛城氏滅亡の記事ぐらいであったのは過去の稿で見て来たとおりですが……。)


 ですが、あくまでも「一次切り分け」なので、ITエンジニア的にはこの先から修復作業に入るのと同じで、資料研究の場合でも、研究開始の第一歩に踏襲する手順にすぎないと覚えておいてください。





◇参考

⑴佐藤優ロングインタビュー スクープの舞台裏、混迷する世界・新時代への思い

https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic050.html


⑵『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/pid/991091/1/96

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