海外の記紀研究

外国人による記紀研究⑴ 韓国の記紀神話研究

 前稿の騎馬民族説では日本神話と朝鮮神話が共通する事は、騎馬民族による支配の結果であるというトンデモな説を取り上げましたが、韓国の記紀研究でも日朝の神話の同類性に関して研究が行われていた歴史があります。それは騎馬民族説を髣髴とさせるような呆れた主張や、一方で冷静な議論も行われており、参考になる点もあるので、取り上げてみます。又、これを機に外国人による記紀研究をテーマとして本稿から数回取り上げようと思います。



◇崔南善による類似性の指摘と、同源論の否定。

 韓国の研究者として初めて記紀に関心を示した人物として崔南善氏が挙げられます。崔氏は記紀の中から韓国神話に類似している神話に注目し、イザナギ・イザナミの神話を始め、スサノオ・ニニギ・ニギハヤヒなどの天孫降臨神話は、古朝鮮の檀君神話や夫餘・高句麗・新羅・伽耶などの建国神話と類似しており、その類似性は、後来者が先住者から権力を譲り受ける国譲りの神話にみられること、また神武の東征神話は、韓国の夫餘の遷都、高句麗の東南進、沸流百済の東遷と同じである事を指摘しています。⑴


 こうした共通点について崔氏は、朝鮮と日本が文化的同源関係にあることに起因する事は認めていますが、「民族的な異同という点については、学術的にまだ不明であり、むしろ軽率に同源論を論ずることは、大変不謹慎であり、不充実だ」⑵と言い、日韓の文化的類同性は認めながらも、民族的な類同性は認めていません。その理由としては、西西と説明し、あくまでも文化の伝播と受容する民族は別個のものとして考え、民族的に違っていても、同じ文化を持つ事は可能であると考えました。


 これは極めて現実的で理知的な解釈であり、日本の騎馬民族説論者と研究課程は共通性があっても、騎馬民族説論者の様にいたずらに空想で断言をしない研究姿勢は参考にすべきであると思います。但し、これは1930年代の話です。Wikiを見る限り(SAPIOの様な怪しい出典も含まれていましたが)、崔南善氏は度々思想の転向を繰り返しており、幾ら時代の流れに翻弄されたとはいえ、あまり信用できない人物と言わざるを得ません。以下の著書より「不咸文化論」の内容を確認してみても妄想としか思えませんが……。


・『内鮮一体論』姜昌基 国民評論社

https://dl.ndl.go.jp/pid/1460588/1/90



◇朝鮮半島からの文化の伝播という意見

 崔南善氏以降、韓国で記紀神話研究が積み重ねられ、李英蘭氏は脱解神話と日向神話を比較し、両者の神話の主人公がともに海上来臨と山神的な性格をもっており、それは韓国から伝来した可能性を示唆しているとみなし⑶、これに対し、張徳順氏は、夜来者説話と日本の三輪山神話を比較し、二つの説話が持っている内容の類似性、特に三輪山伝説の部分が弥生時代の遺跡と一致する点に着目し、これらは韓半島から弥生文化が日本に伝播する際に一緒に日本に渡って来たと解釈しました⑷。


 又、玄容駿氏は、神話の構成要素に着目し、天降者の建国、海洋原理者の敗北と死亡、天孫から国譲り、などの様々な神話素を比較検討し、韓国と日本の構造面でもよく似ていることについて、「両国神話の構造的一致は、偶然ではない。百済が日本文化に及ぼした役割が至大であったことを想起するとき、この建国説話の構造的一致は、両伝承が同一系統のものであり、百済から日本に渡ったことを示しているとみなすべきである」⑸と主張するように、韓国では両国神話の類似性を韓半島の文化が日本に伝播した結果とみなす研究が非常に多いそうです。



◇民族の移動という意見

 このような研究状況の中で、日韓の神話の類似性を具体的な民族の移動によって生じた結果と解釈する研究者も出てきます。彼らを移動論者と言うらしいですが、言わば韓国版の騎馬民族説であるといえば想像しやすいかと思います。


 孫大俊は、天日槍の伝承が、神功皇后の系譜や応神天皇の誕生形式と関連しているだけでなく、皇統部分にまで深く関わっているのは、大和朝廷と天日槍に象徴される移住集団との特別な関係があったからと主張し⑹、蘇在英は、天日槍とツヌガアラシトの説話が類似している事を確認し、これは文化と民族の移動が大陸から半島へ、半島から列島へ長い歳月に渡って行われた結果であり、二人は韓日間を往来した抽象的人物に間違いないと解釈しました。⑺


 金宅圭は、日本神話と高天原系と根国系の二つに大別し、「高天原系の神話の経路とその分布が、夫餘-高句麗-百済-韓半島の西南海岸-北九州-畿内大和と仮定できるなら、根国系は(出雲系)は、濊(貊)-新羅-山陰-畿内大和に分布した可能性を示している」⑻と指摘しました。


 金和経も金宅圭と同様に、日本神話を高天原系と出雲系に分け、この二つのグループの対立・葛藤は、単に神話上の問題ではなく、異なった神話を持つ集団同士の葛藤を表すものとみなしました。日本の学会では、前者を内陸アジアから韓半島を経て入った民族、後者を日本に元来住んでいた種族と認識しているが、実際は基礎文化を形成する出雲系も韓国と不可分の関係にあり、後者の神話は韓国の東海岸沿いに降下し、新羅を経て出雲地域に入った集団が持っていたもの、前者の神話は西海岸沿いに降下し、駕洛国を経て九州地域に入った集団が持っていたものであると主張しました。⑼ そして、出雲神話系の集団が高天原系よりも先に東海岸から出雲地域に入り、そこで相当な勢力を形成し、後に玄界灘から九州に入った高天原系が東方に進出して彼らを統合したとしました。


 この様に、韓国の研究者は神話の類似性を民族の移動によって説明しようとしましたが、崔南善が一九三〇年代頃に唱えていたのは、文化的には同根かも知れないが、民族的には違う事もあるといい、征服説を警戒したのに比べ、崔南善氏の視点を一八〇度転換させたかのごとく(まぁ崔氏の思想信条も転向しますが)、韓半島文化の日本列島への移植と日本民族の起源が韓国にあることを明らかにするための研究をしている様な状況になっていったそうです。これはかつて、西郷信綱氏の懸念を嘲笑うかのように、騎馬民族説が周知されていった日本国内の状況に似ているかも知れません。


 騎馬民族説と共通した移動論者の主張は、戦後から現在にまで至る極端な反日政策によるナショナリズムの高揚などに起因することが考えられますが、厳しい言い方をすれば、移動論の根拠が、元より空想に過ぎない神話の断片から細かな共通点を抜き出し、大袈裟に解釈したに過ぎず、神話の如きファンタジーではなく、現実の世界で行われた、古代における地政学の力関係を無視した一種の妄説に過ぎません。


 例えていうなら『旧約聖書』はエジプトやシリア、バビロニアの神話等をモチーフとした話が多いですが、神話も人種も性質が全く違うのと同じ事が言えます。それに日本神話は何も朝鮮神話とだけ同類性がある訳ではない事と、朝鮮神話との類同性程度であれば、他の国の神話にもみられる程度のものに過ぎず、寧ろ似ていない点の方が多いのは前稿で述べた通りです。


 それに、朝鮮半島が起源であるとすれば、四世紀頃は九州の半分ほどの勢力しかなかった百済や更に勢力範囲が狭かった新羅、或いは一国一国がせいぜい大和王権の大豪族程度の勢力にすぎなかったという加羅諸国の住民がどうやって倭人を支配するのか、仮に倭国を占領するだけの力があるとすれば、海を隔てた倭国を占領するよりも隣国を攻めて半島統一にエネルギーを費やした方が遥かに効率的であることは子供でも想像出来る事です。史実としては、七世紀に至り、大国唐の力を借りて、ようやく三韓統一出来たのに過ぎず、その程度の武力でどうやって倭に侵攻するという発想になるのか疑問です。それに鮮卑の様に民族の大移動があれば中国正史に何らかの記述があるかと思いますが、魏志などを読んでもその様な形跡は見当たりません。


 恐らく、これらの主張がされ始めた頃の日本にはまだ所謂「ウリナラ」という気質があまり知られておらず、韓国起源説を日本統治による罪悪感という心理的な要因から許容していたと思われる、日本のお偉いセンセイ方(無論学者以外にも政治家を含む)にも責任があると言わざるを得ません。



◇テキスト論と形態論的比較研究

 しかし、近年は日本で記紀を勉強して帰って来た留学生により、記紀をそれぞれ独立したテキストとして研究する方達も居るようです。


 例えば崔元載は、草那芸剣に関する記紀の記述を比較して、『古事記』は伊勢神宮との関係の中で神代巻の高天原神話と結び付けて説明しようとするものだが、『日本書紀』はあくまでも史実化に重点を置いて熱田神宮と関連付けて説明しようとする傾向が強いと分析し、特に『古事記』の草那芸剣は言語によって相手を服従させる「ことむけ」と密接な関連を持っていることに特徴があると述べました。⑽


 朴美京は、記紀に記載されている天照大神と須佐之男の神話を比較し、『古事記』と『日本書紀』では「ウケイ」の判定基準が異なっている事に注目し、『古事記』では、女神を生むことにより自分の潔白が証明されて勝利し、須佐之男から生まれる女神を「手弱女」と表現している点に注目して、手弱女に関する用例を『萬葉集』から取り出して分析した結果、そこには相手との関係維持を望む意味が入っていることを発見し、『古事記』がそのように表現したのは、天照大神との関係維持を望む須佐之男の心情を効果的に表現する為の編者の創案であると解釈しました。⑾


 姜鍾植は、『日本書紀』の仁徳天皇の時、治水工事が難航を重ね困っていたので河伯に祭祀を行ったという記事に関心を持ち、河伯の用例を中国や韓国の古代文献を渉猟して検討した結果、『日本書紀』に河伯が登場したのは、治水に成功した中国の禹のように、また河伯の協力で高句麗を建国した朱蒙の様に、河伯の協力で治水工事に成功する仁徳天皇の姿を描きたかったからであると解釈しました。⑿


 記紀をそれぞれ一つの独立したテキストと見なし、その内容をそれぞれのコンテキストに忠実に読んで行こうとする動きは、両者をあまり区別していなかった従来の学会にはなかった姿勢らしいですが、日本でも記紀神話を従来の姿勢の様に同列に扱わず、区別したテキストと見なして研究を行ったのは神野志隆光氏からであり、実は然程古くない手法であると言えます。



◇魯成煥氏の危惧

 本稿を作成するにあたり、論文を参考にさせて頂きました魯成煥氏によれば、「これまで見てきたように、韓国の神話学者による記紀研究には大きく二つの流れがあり、一つは記紀神話が韓国と如何なる共通点を持ち、またそれの起源を追求することによって、古代韓国が日本列島に多くの文化的影響を及ぼしたのかを究明することであり、もう一つは記紀を個別のテキストと見なし、記紀の特殊性を理解しようとする態度であり、前者と後者の間には大きな隔たりがあるにも関わらず、記紀神話の特徴を日本と韓国の中だけで考察しており、記紀神話が持っているアジア神話における日本的特徴にまで目が向いていないのが誠に遺憾である」と述べています。


 又、「文化伝播論について言えば、半島から列島への文化流入だけを想定するのではなく、逆に列島から半島に流入した要素についても確認する必要があり、又、テキスト論の場合には、より正確に原典を読み解き、誤った恣意的な解釈を正す作業が必要であり、更に、自分達の研究が、日本人研究者による研究方法や結論とどう異なるのか、また韓国内における学問的位置づけを考えてみることも大切だと思われ、形態論的な比較研究においても、研究対象をテキストだけから口承文芸にまで拡大し、その特徴が他のどの地域と親縁性を持っているのかという問題まで探ってみる必要がある」と締め括ります。


 これを日本側に立場を置き換えてみれば、韓国の状況を笑う事も出来ません。日本の研究者から倭人が朝鮮半島に及ぼした影響を論ずること、例えば朝鮮半島内の前方後円墳を、朝鮮の王に仕えた倭人によるものという韓国側の解釈(同意している情けない日本人学者もいますが)ではなく、倭人による南朝鮮への影響と結び付けて語る事は一種の禁忌タブー化しているように思え、まともな議論にすらならないであろうことを想像に難くなく、ネット空間を含め、この閉鎖的空気に暗鬱たる気分にならざるを得ません。(過去にヤフコメで井上光貞氏の引用を明記し、古代の南朝鮮が日本に支配されていた史実を書いたところ、日を置かずに削除されました。別にヘイトの類ではなく、きちんとした学説に基づき出典も明らかにした学術的な引用であったにも関わらずです。無意味な言論弾圧を行うヤフコメの管理者に、日本を代表する歴史学の大家である井上光貞氏以上の知見を以て判断したとは思えませんけどねぇ……。)


 とはいえ、魯成煥氏の論文を読むまでは正直なところ、どうせ韓国学会では移動論者の様な方ばかりだと思い込んでいたのですが、一方で記紀の特殊性を理解しようとする研究者が居られるのも興味深いものであり、この様な見方もあるのかと気付かされることもあり、参考にすべきであると思いました。



◇参考文献

『国文学 平成18年1月号 古事記・日本書紀-比較-』学燈社 142-147頁

「神話学から見た韓国の記紀研究」魯成煥


 上記魯成煥氏の論文の参考文献は以下になります。


⑴『六堂 崔南善全集⑸』崔南善 玄岩社 37頁

⑵前掲書 45頁

⑶『韓国伝統文化研究⑷』暁星女大韓国伝統文化研究所 164頁

「韓日神話の比較研究-脱解神話と日向神話を中心に」李英蘭

⑷『韓国文化⑶』ソウル大韓国文化研究 13-16頁

「韓国の夜来者伝説と日本の三輪山伝説の比較研究」張徳順

⑸『済州大 論文集⑻』135頁

「韓日神話の比較」玄容駿

⑹『古代日韓関係史研究』孫大俊 京畿大学校 学術振興院 109頁

⑺『韓国説話文学研究』崇実大出版部 244-245頁

「日本神話の韓来人」蘇在英

⑻『韓日文化比較論』金宅圭 文徳社 37頁

⑼『日本の神話』金和経 文学と知性社 291-292頁

⑽『日本語文学(21)』日本語文学会 201頁

「草那芸剣の機能-『記』、『紀』の比較を通して―」崔元戴

⑾『日本語日本文学研究(42)』韓国 日本語文学会

「手弱女論―うけい神話の再考のために」朴美京

⑿『日語日文学⒁』大韓日語日文学会 183頁

「仁徳記 11年条の〈河伯〉小考」姜鍾植

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