外国人による記紀研究⑵ 世界初の古事記の英訳 The kojiki( KO-JI-KI or “Records of Ancient Matters” )

 外国人による記紀研究のテーマとして、欠かせないのは世界で初めての古事記の英訳書として著名な”The kojiki”( KO-JI-KI or Records of Ancient Matters )だと思います。これは国立国会図書館の利用者登録をし、デジタルコレクションの個人送信サービスを利用すれば閲覧可能ですが、当方の貧弱な語学力では解するのは困難であるかと思いますので(過去の職場でイギリス人上司やスリランカ人の方と仕事をさせて頂いた事はありますが、全て日本語で会話していた上に、特にスリランカ人の方は私よりも日本語の語彙が豊富だったぐらいなのでw)、主に利用者登録無しでもデジタルコレクションから閲覧可能な”The kojiki”の序文を日本語に翻訳した『日本上古史評論』と、松井嘉和氏の論文「英訳『古事記』とチェンバレンの訳業にみる西洋人の日本文化観」(『大山論集』)を参考に本稿を書き進めていきたいと思います。



◇The kojiki(英訳古事記)の概略

 本書はイギリス人のバジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)により明治16年に刊行されました。本書は序文と本文より成り、序文は前書きに該当する内容と以下の五項目から成り立っており、古事記研究の観点からすれば、その序文が特に注目されました。


第一 古事記の信ずべき事及び其性質又異本評説

第二 翻訳の方法の事

第三 日本紀の事

第四 日本古代の風俗習慣の事

第五 日本古代の宗教及び政治思想日本国の起源及び日本古伝説の信ずべき事

(”The Kojiki”日本語訳『日本上古史評論』より)


 この序文において、チューラニアン・シイシアン・アルタイック等の種々の名称を以て呼ばれている一大人種の最も古い典籍であり、且つこの人種の最上の古書であると説き、また古事記と日本書紀を比較して、これをラテン語の書と古代英語の書に例えました。因みに、後程説明しますが、本文ではある部分を英語ではなくラテン語で翻訳されています。


 又、結論部では日本の古事を十分に考究するには古物学者(考古学者)の助けを借りざるを得ず、日本の国書を蒐集して悉くこれを批評し、ありとあらゆるものを校閲して、その事実の知識を捜出するのみならず、中国朝鮮の記録にも注目すべきことを述べています。


 『日本上古史評論』に関しては、日本語とは言え翻訳も明治期に行われたものということもあり、現代人には読解がやや困難であることと、チェンバレンにせよ、彼の説に対して反証する頭注の内容にせよ、まだ日本においては考古学や人類学・民俗学(当時は土俗学)も成り立ってから日が浅く充分に利用されていなかったであろうことから、当時の未熟な文献学の限界もあり、今から見れば的外れな見解も多いので、古事記に関して基礎的な知識が無い場合は鵜呑みして悪影響を及ぼす可能性も無きにしも非ずですが、当時の外国人からみた日本文学や文化の理解度や、当時の古典学者の知識の偏りを伺い知るには最適であり、カクヨム的には近代の小説を書きたい方などには参考になる部分もあるかも知れません。



◇本書の評価

 本書は古事記研究史面でみると「著者の訳文が原典の内容にどれ程忠実に伝えているかどうかは別問題として、序文にみられるように、古事記を広い視野の下に対象化し、これに近代科学の光をあてて研究しようとした意見は、古事記研究史に一時期を割するものとして特筆する価値がある」⑴と絶賛されています。神話に否定的なぐらいで、一体どの辺が科学的内容なのか科学者が聴いたら怒りそうな気がしますが、それはとにかく、過去を振り返ってみると高評価ばかりであるとは言い切れません。


 "The Kojiki"序文の日本語訳である『日本上古史評論』は序文を翻訳だけでなく、『標註古風土記』をはじめとする風土記研究や『新撰姓氏録考証』など現在でもその研究成果がよく利用されている粟田寛や、平田篤胤の弟子であり、『日本書紀通釈』の著者としても知られる飯田武郷など当時の著名な古典学者の評語が頭注に掲げられているのが特徴で、チェンバレンの解釈の誤りを度々指摘しています。


 例えば、天照大神が石窟に隠れた伝記を以て日本人の祖先は上代この如き岩窟に住居したと想像したことに関し、粟田寛は平常の坐す所にあらざる故と、古語拾遺に大峡小峡の木を伐り、瑞殿を造る事も見え、殿門を守衛をする事もありと批判しています。


 或いは、現在でも議論がありそうなものとしては、論語及び千文字が応神天皇の時、紀元後284年に日本に取り入れられたという記事に対し、千文字はこの時より200年後に出来たことより、当時の日本史家の説を容易に信じるなと主張をしました。『千字文』とは、子供に漢字を教えたり、書の手本として使うために用いられた漢文の長詩で梁(502年 – 549年)の武帝の時代、周興嗣が肯定に進上したものと言われ、文字は、能書家として有名な東晋の王羲之の字を、殷鉄石に命じて模写して集成し、書道の手本にしたと伝えられ、日本でも平城京址から論語や千文字が写された習書木簡が見つかっています。古事記伝でも「論語はさることなれども、千文字を此時に貢りしと云うことは心得ず。此御代のころ、未此書世間に伝はるべき由なければなり。【中略】されば、此は実にはハルカに後に渡参マヰ来たりけめども、其書重く用ひられて、殊に世間に普く習誦む書なりしからに、世には応神天皇の御世に、和邇吉師が持参来つるよしに、語り伝へりしなる」⑵と、古事記の内容を否定しています。


 ですが、木村正辞は、魏の鍾繇しょうようの原本で周興嗣韻前のもので疑いなしと批判し、古事記伝やその他諸説の皆この年代の調粗にして誤りであると主張します。鍾繇は三国志の武将としてだけではなく書家としても知られており、王羲之も鍾繇体という書体から学んだと言われています。日本古典文化大系の倉野憲司・武田祐吉の両氏校注の『古事記祝詞』(岩波書店)⑶では本居宣長の『古事記伝』の説を取り入れていますが、中村啓信による近年の注釈書『新版 古事記 現代語訳付き』(角川文庫)⑷では魏の鍾繇説を取り上げています。


 つまり、千文字が伝わった時期に関しては、本居宣長やチェンバレンの様に後世に伝わったという説と、木村正辞や中村啓信の様に魏の鍾繇のものが伝わったという説があり、恐らく近年でも議論に決着がついていない問題かと思いますが、私見を言えば、七支刀以降の纏まった文章による文献銘文資料が、近い時代のものでも5世紀の江田船山古墳出土鉄刀や稲荷山古墳出土鉄剣ぐらいしか無い事や、何より千文字の習書木簡が見つかるのが平城京からであるという、現在までの考古学的な結果から判断すれば、チェンバレン説の如く、後世に伝わったものであると判断せざるを得ないのではないでしょうか。


 他の書による批判を挙げると、山田孝雄は『古事記概説』⑸で、記紀の神の話というものを見る時に、イギリス人なり、ドイツ人なりがギリシアやインドの神話を見る時と同じ態度に我々(日本人)が同じ態度が出ることに問題があるとし、チェンバレンやアストン〈William George Aston(1841– 1911)チェンバレンの英訳古事記の再版本に注釈を加えた〉、フローレンツ〈Karl Frorentz(1865-1939)記紀と『古語拾遺』のドイツ語訳を収載した大著”Die historischen quellen des Shinto-Religion” 邦題『神道宗教の歴史的源泉』の著者〉のような外国人が日本神話をギリシア神話やローマの神話を見る様な眼で解釈した様に、我々日本人がそうしなければならない必要があるのか、ないのか反省を要するとし、それは西洋文化がギリシアやローマのは引き継いだとはいえ、現在のヨーロッパ人が直接関係を持っているかというと、全く血の繫がりが無く、日本の此の神代の話は決して我々と無関係では無いとします。


 これを違った言葉で説明すると、過去の稿でも見てきたように、ギリシア神話やローマの神話は多神教ということもあり、日本神話とも共通性を見出せるので、そこに西洋人は着目して両者は同様のものと考えがちですが、ギリシアやローマの神々は現在信仰されておらず、例えばパルテノン神殿のような立派な遺構があっても、そこで且つて祀られていた神に祈りを捧げるものは現在では誰も居ません。つまり、それらの神々は死んでいるとも言えます。一方の日本神話の神々は現在でも信仰され続けており、伊勢神宮や出雲大社などを始め、神社に祀られる神々は未だに多くの人々に崇められており、それは神様は現在でも生き続けていると表現することも出来ます。


 言わば、ギリシアやローマの神話は「死んだ神話」であり、日本神話は「生き続けている神話」なので、両者を同様のものと考えるのは間違えだという事を恐らく山田氏は伝えたかったのではないかと思います。チェンバレンは日本文学に対して見下していたらしく、それは19世紀頃の人類学、よく知られている例を挙げるのならば、フレーザー〈Sir James George Frazer(1854-1941)〉の『金枝篇』などにもみられる未開文化や多神教に対する露骨な蔑視と共通しているのかも知れませんが、これは本書が書かれた頃の状況を考慮する必要があります。


 19世紀の頃は文化や社会を原始から文明に至る直線的な進化の過程として捉える進化論的な考え方が広まるようになり、これはダーウィンによる動物の進化論と時期が重なり、西洋では社会を進化論的に捉える必要があったのは、同時代の「未開人」と、ヴィクトリア王朝期のイギリスや工業化の時代を迎えたアメリカとを関連付ける必要があり、つまりイギリスやアメリカを文明化した人々は「未開人」から現在の「文明人」に至った自分達の歴史を、進化の過程として捉えようとしたらしく、この時代の人類学者たちもまた、進化論的な立場をとっていたらしく⑹、「典型的なヴィクトリア朝の紳士」⑺であるチェンバレンも池田雅之氏から同様の指摘があり、又、西郷信綱氏によれば、人類学の祖と呼ばれるタイラー〈Edward B. Tylor(1832- 1917)〉の書を読んでいたらしく⑻、その影響が推察されます。



◇チェンバレンの英訳

 海外の方からすれば、他の言語に比べて日本語が難しいという話は聞いた事があるかと思いますが、日本人が読んでも困難な古事記を英語に翻訳するとなれば、どれ程困難な事であったのか、想像に難くありません。


 その為、原文は同じでも訳者により、同じ言語でも訳文の内容は異なって来ます。松井嘉和氏の論文⑼によれば、かの有名な小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)がチェンバレンの英訳を引用した際に、そのまま転記せず、原語の日本語を生かす姿勢で改変を加えていました。


 例えば、須佐之男命と言った神名の場合、チェンバレンは「His-Swift-Impertuous-Male-Augustness(素早くて激烈な高貴な男性)」と自身が解釈した名前の意味の英訳表現をしていますが、ハーンは一般的に訓まれてきている音をそのまま転写してTake-Haya-susa-no-wono-mikotoと表記しました。


 これは中々難しい問題で、例えば仮に「山田太郎」という神様が居た場合は、通常、"Taro Yamada"あるいは"Yamada Taro"と表記するのをわざわざ"Fat man in the mountain rice field."(山の田の太った男)、あるいは平安末期以降の長男から順に太郎・次郎・三郎と名付けた習慣から太郎を長男とする場合、"The eldest son of a mountain rice field."(山の田んぼの長男)と訳す様な感じでしょうか? こんな簡単な例でも実際にやってみると回りくどい感じは否めませんが、漢字を解さない海外の人に意味を伝えるにはこうした方が分かりやすいのかも知れません。


 又、神名と同じく、和歌に関してもチェンバレンは意味を示すべく英語に訳して示しましたが、ハーンは三一音をそのままローマ字で音写し、チェンバレンの英訳を章末の注で示して読者の意味の理解に資していたそうです。



◇ラテン語使用の理由

 邦題では『英訳古事記』ながら、その実、英語ではなくラテン語で訳されている部分があるそうです。


 複数ありますが、一つ例を挙げると、速須佐之男命が誓約に勝ったとして暴れた後。

「天衣織女見驚而於梭衝陰上而死(天衣織女見驚きて陰上ほとを衡きてみせき)」の場合。


impegerunt privatas partes adversis radiis et obierunt

The heavenly weaving maiden, seeing this, was alarmed and struck her genitals against the shuttle and died.


「天之機織り娘は、それを見て驚き、。」⑽


 まぁ、詳しく説明しなくても、何の事だか分かりますよね(滝)。


 ラテン語で表記した理由は「『古事記』は、奇異で露骨な感じがする日本語の表現がある。そこを英語に訳すると、文体の観点からも、奇異で露骨になる。日本語そのままに英語にしない箇所は、明らかに卑猥な箇所である。従って、そんな箇所をラテン語で翻訳することへの異議は私には認められない。しかし、そのラテン語の部分は英語の部分と同じように厳密に逐語的に訳した」⑾との事で、卑猥な部分をラテン語訳を行ったようです。もしチェンバレンが『古事記』以上に直接的かつ猟奇なエロティシズムが含まれる『日本霊異記』を翻訳するとしたら、やはりあんな話やこんな話辺りはラテン語に翻訳されてしまったのでしょうかねぇ……。


 それはとにかくとして、卑猥な部分以外にも、植物学的な用語の説明には正確性を求めるためにラテン語を使用した文もある様です。


 例えば天岩戸の段「天香山之五百津矣根許士爾許士而於上枝(天香山の五百津を根こじにこじて) 」の場合


and pulling up by pulling its roots a true cleyera japonica with five hundred[branches]from the Heavenly Mount Kagu.


と英訳し、「眞賢木」はa true cleyera japonica と訳し、イタリック体で表示しました。⑿

 

 この事を松井氏は「このようにチェンバレンのラテン語を駆使した訳は、植物種を厳密に示そうとしている、と理解できる。現実に証明しうる正確性を重視して、 『古事記』の歴史性には疑念を抱いていたチェンバレンにとって、動植物種の特定も厳密にしなければならなかったのだろう」⒀と推測なさっています。チェンバレンが言語学や日本文学のみならず、植物学まで造詣が深いことには感服するばかりですが、原典を軽視していると言わざるを得ません。


 なお、人類学が進歩し、フランス人の人類学者クロード・レヴィ=ストロース〈Claude Lévi-Strauss(1908- 2009)〉は、遠く離れた辺境の地に住む人たちを、「文明から取り残されている人」として「野蛮人」や「未開人」呼ばわりして、劣等者扱いするような偏見の目を持って見下して語る考え方こそが非科学的だと言い放ち、「未開人」の洗練された思考を人類学的に明らかにし⒁、その考え方はその後の外国人から見た古事記の評価にも影響を与え、『古事記』にも新たな視点を提供しました。その姿勢を明確な言葉として発され、チェンバレンが卑猥としてラテン語で訳された同じ部分が、人の情意を率直かつきれいに表現した例だと評価されてきているそうです。



◇参考文献

・『日本上古史評論』チャンバーレン 著, 飯田永夫 訳 史学協会出版局 明21.4

https://dl.ndl.go.jp/pid/772280


⑴『古事記大成 研究史篇1』平凡社

「古事記研究書解題」萩原淺男 「英訳古事記」306-307頁

⑵『古事記伝 : 校訂 坤 増訂版』本居宣長 著 吉川弘文館 

「古事記伝三十三之巻 明宮中巻」注〇論語千文字

https://dl.ndl.go.jp/pid/1041637/1/277

⑶『日本古典文化大系 古事記祝詞』倉野憲司・武田祐吉 校注 岩波書店 284頁 注10

⑷『新版 古事記 現代語訳付き』中村啓信 角川文庫 167頁 注7

⑸『古事記概説』山田孝雄 中央公論社 9-10頁

https://dl.ndl.go.jp/pid/1047104/1/10

⑹『はじめての人類学』奥野克巳 講談社現代新書

「1章 近代人類学が誕生するまで」電子書籍版26-27頁

⑺『大倉山論集』第六十七輯抜刷 公益財団法人大倉精神文化研究所

「英訳古事記とチェンバレンの訳業にみる西洋人の日本文化観」松井嘉和 92頁

⑻前掲書 97頁

⑼前掲書 71頁

⑽前掲書 83頁

⑾前掲書 78頁

⑿前掲書 79頁

⒀前掲書 80頁

⒁『はじめての人類学』奥野克巳 講談社現代新書

「3章 レヴィ=ストロース――「生の構造」」電子書籍版124頁

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