外国人による記紀研究⑶ グノーシス神話に擬えられた古事記の神々

◇岐美二神はグノーシス神話のデミウルゴス(世界の形成者)?


 前稿で取り上げた松井嘉和氏の「英訳古事記とチェンバレンの訳業にみる西洋人の日本文化観」によれば、ワルシャワ大学のコタンスキ〈Wiesław Kotański(1915-2005)〉は、ポーランド語訳『古事記』に登場する岐美二神の一対の神々の本性をポーランド語でdemiurg(英語でdemiurge 世界の形成者)と呼んでいるそうです。⑴


 デミウルゴスとは、初期ユダヤ教の周縁に、原始キリスト教とほぼ同時に現れ、キリスト教と接触するに及んで最大の「異端」とされ、その後、3世紀頃まで地中海やメソポタミア・イランで流行した思想・宗教であるグノーシス主義神話に登場する創造主の事です。



◇グノーシスとは?

 1~3世紀頃にユダヤ・キリスト教の異端として出発し、マニ教(ユダヤ・キリスト教的な洗礼主義の改革から出発し、グノーシス主義を根幹としてゾロアスター教や、仏教思想などの東方神学を包摂した二元論的宗教)などにも影響を及ぼした思想で、グノーシスの意味は、現実の人間は居場所を間違っている、それ故に本質を認識(ギリシア語でGnosis)して、本来の場所へ立ち返らなければならないということです。⑵

 もう少し説明すると、人間の救済には、非本質的な肉体や物質内に捕らわれている光、即ち本来的な魂が光の呼びかけで自らが高貴な光の始原性をもつという記憶をとり戻す心の準備を具現化し、救済へ導くものとして、グノーシス(本来的自己認識)が絶対に必要条件になるとの教えです。⑶


 例えていうなら、物質的な肉体は魂あるいは霊的なものを閉じ込めた檻であり(創世記三章21節では「皮の衣」と表現)、人間内部の霊的部分が「本来的自己」であるという事です。この肉体という檻を造ったのがグノーシス神話によれば、至高神ではなく、デミウルゴスという造物主であると伝えています。


 グノーシス主義的な教義は意外な事に「アモルとプシュケー」といった娯楽小説にも影響を与えていますが、遠く離れた日本の『古事記』にもある程度類似性が見られるのが個人的には興味深かったので、少し掘り下げて見ていきたいと思います。



◇グノーシス神話による神々の流出

 グノーシス神話を簡単に説明するのはかなり困難ですが、取り敢えず以下にプトレマイオス派の教説の冒頭部⑷の概略を記します。


 不可視で名付ける事の出来ない高みには、完全なるアイオーン(神的存在)なるものが先在し、これをプロアルケー(原初)とも、プロパトール(至高神・原父)とも、ピュトスとも呼び、把握不可能で不可視、永続的で生まれざるものであって、無限の世において、大いなる静寂と静穏の内にあり、彼とともにエンノイア(思考)もあって、これをカリス(恩寵)ともシゲー(沈黙)とも名付けます。そして、このピュトスから万物の初めを自分の中から流出しようとし、シゲーに種子を胎の中に置き、シゲーを妊娠させると、ヌース(叡知)を生んだ。ヌースだけが父の偉大さを捉えることが出来、モノゲネース(独り子)とも、パテール(父)とも、万物のアルケー(初め)とも呼び、彼と共にアレーティア(真理)が流出され、以上が第一の最初が生まれ、ピタゴラスの言うテトラクテュス(四個組)であり、これを万物の根とも呼んでいます。


 以降、モノゲネースは自分が流出された目的を知覚して、自分でもこの後にくるものの全ての父であるロゴス(言葉)とゾーエー(生命)を流出し、ロゴスとゾーエーからはアントロポースとエクレーシアを流出し、前述の四個組と併せて、オグドアス(八個組)と言います。以降、アントロポース等を流出後のロゴスとゾーエーからデカス(十個組)が流出し、アントロポースとエクレーシアからドーデカス(十二個組)が流出しました。


 なお、これらの存在する世界をプレローマ界と言い、下の世界である中間界との狭間にホロス(スタロウス)があり、中間界の下にこの世界が存在します。⑸



◇日本神話とグノーシス神話の類似性

 上記のグノーシス神話を見て、記紀本文の冒頭に見られる日本神話の内容を思い起こされた方も多いかと思います。具体的に古事記本文を見ていきましょう。


⑹『古事記』上巻 神代

天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。〈訓高下天云阿麻。下効此〉次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並独神成坐而。隠身也。次國稚如浮脂而。久羅下那州多陀用弊流之時。〈流字以上十字以音〉如葦牙因萌騰之物而成神名。宇摩志阿斯訶備比古遅神。〈此神名以音〉次天之常立神。〈訓常云登許。訓立云多知〉此二柱神亦並獨神成坐而。隠身也。上件五柱神者。別天神。次成神名。國之常立神。〈訓常立亦如上〉次豊雲上野神。此二柱神亦。獨神成坐而。隠身也。次成神名。宇比地邇〈上〉神。次妹須比智邇〈去〉神。〈此二神名以音〉次角杙神。次妹活杙神。〈二柱〉次意富斗能地神。次妹大斗乃辨神。〈此二神名亦以音〉次淤母陀流神。次妹阿夜上訶志古泥神。〈此二神名皆以音〉次伊耶那岐神。次妹伊耶那美神。〈此二神名亦以音如上〉上件自國之常立神以下。伊耶那美神以前。幷稱神世七代。〈上二柱獨神各云一代。次隻十神。各合二神云一代也。〉


天地あめつち初發はじめの時、高天原たかまのはらに成りませる神のみなは、天之御中主神あめのみなかぬしのかみ、次に高御産巣日神たかみむすびのかみ、次に神産巣日神かみむしびのかみ。此の三柱みはしらの神は、みな独神ひとりがみ成り坐して、身をかくしたまひき。次に國稚くにわかく、浮脂うきあぶらの如くして、久羅下那州多陀用弊流くらげなすただよへるときに、葦牙あしげごとあがる物にりて、成りませる神のみなは、宇摩志阿斯訶備比古うましあしかびひこ遅神ぢのかみ、次に天之常立神あめのとこたちのかみ。此の二柱の神も獨神成り坐して、みみを隠したまひき。

かみくだり五柱の神は別天神ことあまつかみ

次に成りませる神のみな國之常立神くにのとこたちのかみ、次に豊雲野神とよくにのかみ。此の二柱の神も獨神ひとりがみ成りして、みみを隠したまひき。次に成りませる神のみな宇比地うひぢ邇神にのかみ、次にいも須比智すひぢ邇神にのかみ、次に角杙神つぶぐひのかみ、次にいも活杙神いくぐひのかみ〈二柱〉次に意富斗能おほとの地神ぢのかみに次にいもおほ斗乃との辨神べのかみ、次に淤母陀おもだ流神るのかみ、次にいも阿夜上訶志古あやかしこ泥神ねのかみ、次に伊耶那岐神いざなぎのかみ、次にいも伊耶那美神いざなみのかみ

上のくだり國之常立神より以下しも、伊耶那美神 以前まであはせて神世七代かみよななよまをす。〈上の二柱は獨神 おのもおのも一代ひとよまをす。次にならびます十神とはしらは、各 二神ふたはしらを合わせて一代とまをす。〉)


◇⑹解説

 下位の十神は男性神と女性神の対を構成し、それに対して、そこから上の合計七柱の神は何れも「独り神」であり、「身を隠した」神でもあります。更にその内上位の五柱の神は「別天つ神」、つまり取り分け高いところに住む神であり、これは先述のグノーシス神話と類似性が見出せます。しかし、『古事記』の神々は「天地がはじめて天地となった」後、その天地に生成しますが、グノーシス神話による神々の生成は、世界の創造の遥か以前であるという違いがあります。⑺


 なお、グノーシス主義的な教説において⑷の時点では旧約聖書の唯一神はまだ誕生していません。日本の古史古伝、例えば『宮下文書』においては⑹で最初に登場する天之御中主あめのみなかぬしを遡る古い神が創造されたりしましたが、後世の偽書的な性質を持つ典籍の類は、得てして権威のある書よりも起源を古くして、より権威を高く見せかける傾向がある様です。


 では、グノーシス神話における天地創造に至る概略を見てみます。



◇アイオーンのソフィア(知恵)の行動による影響

 ⑸のプレローマの完成後、ドーデカス(十二個組)の中で、最も若いアイオーンであるソフィア(知恵)は伴侶のテレートス(意欲)との抱擁無しにパトス(情熱)に取りつかれ、父、つまりプロパトール(至高神・原父)に対して探求心を抱きました。プロパトールはモノゲネース、すなわちヌースにのみ認識され、その他すべてのアイオーンには不可視であり、把握不可能であり、ソフィアの行為はわきまえない行動とされましたが、それでもソフィアは父の偉大さを探求しようとしました。その結果、酷い苦悩に陥りましたが、ホロス(境界)によって制止され、固められ、ようやくのことで我に返り、それまでの思い(エンテューメーシス)を、激しい驚きのために後から生じたパトスと一緒に捨て、彼女はテレートスとの対に復帰しました。⑻


 記紀に擬えれば、崇神天皇記のヤマトトトヒモモソヒメが夫である大物主が夜しか逢いに来ないので、ヤマトトトヒモモソヒメがその麗しい姿を見たいと欲して昼間に大物主と逢うと、正体が小さな蛇であったため、ヤマトトトヒモモソヒメが驚いて声を挙げると、恥をかかされて激怒した大物主が御諸山に帰ってしまい、後悔したヤマトトトヒモモソヒメが座った時に箸をついて死んでしまうという話を思い起こします。神の正体を知りたがったヤマトトトヒモモソヒメは不相応にも不可視の父について知ろうとしたソフィアと類似点がありますが、ソフィア、或いはグノーシス主義の影響下で描かれた先述の「アモルとプシュケー」のプシュケー等と違いヤマトトトヒモモソヒメは救われた訳ではありません。


 なお、この後、アイオーンたちがソフィアと似たことを被らない為に、モノゲネースは父の計らいに従って再び別の対を流出し、それが「キリスト」と「聖霊」であり、キリストはアイオーンたちに「対」の本性を教え、聖霊はアイオーンたちに感謝を教え、真の安息を導き入れ、この恵に対する感謝として全プレローマは一致団結し、それぞれのもつ最も美しいものを持ち寄って、ひとつにし、完全なる美、プレローマの星、すなわち「イエス」を流出し、このイエスは「ソーテール」(救い主)とも呼ばれ、その護衛役として天使が流出されました。⑼


 さて、一見元の鞘に収まった上に、同じ様な事件を起こさない対策も行い、プレローマ界に関してはめでたしめでたしと言いたいところですが、この後はプレローマの外の世界に舞台を移す事になります。



◇グノーシス神話による造物神と天地創造

 プレローマ界に戻されたソフィアですが、外部(中間界)に残して来た「思い」(エンテューメーシス)は人格化され、「下なるソフィア」あるいは「アカモート」と名付けられます。⑽


 アカモートはこの時点ではまだ形(モルフェー)がなく、そこで、まずプレローマ内の「キリスト」が憐れんで彼女に「存在に基づく」かたちを与え、その結果、アカモートは自分の惨めな境遇を知り動揺し、悲しみ、恐れ、落胆、無知と言った感情(パトス)に取りつかれ、これらの感情から「物質的なもの」が成立する。他方、自分の出自がプレローマであることをキリストを通して知ったアカモートには、同時に「エビストロフェー」(立ち返り)という性向も生じ、このエピストロフェーから「心魂的なもの」が生み出されます。⑾


 次いで、「ソーテール」がアカモートの元へ遣わされ、「グノーシスに基づいて」彼女にかたちを与え、これによって感情(パトス)から解放され、ソーテールと彼を取り巻く天使たちの姿をみたアカモートは、喜びのあまり「霊的なもの」を身ごもり、出産します。⑿


 こうして「物質的なもの」「心魂的なもの」「霊的なもの」という三つの要素が出揃ったところで、世界の創造が始まり、アカモートが「物質的なもの」から「デミウルゴス」プラトン哲学で創造神の意味の存在を造り、このデミウルゴスが「心魂的なもの」「霊的なもの」から天地を創造します。ただし、デミウルゴスはアカモートの存在や自分の由来については何も知りません。旧約聖書の神はこのデミウルゴスのことに他ならないとされ、デミウルゴスは七層の天(天動説に基づいて、当時は月と太陽を含む土星までの惑星、それぞれ一つに、合計七つの天があると教えられていた)を造るが、自身は「ヘブドマス」すなわち(下から数えて)「第七」の位置に、そしてアカモートはその上、「オグドアス」すなわち「第八」の位置(恒星天)に座を占めたとのことです。⒀


 そしてグノーシス主義において造物主であるデミウルゴスは、霊を肉体に閉じ込め、物質的な悪の世を創造した劣った神格と解釈されました。ヤルダバオート(デミウルゴスの固有名詞)は神を自称した際、権威のある高みよりサマエール(盲目の神)と呼ばれ、万物の神を自称した際にはゾーエー(ピスティス・ソフィアの娘)に縛り上げられ、タルタロス(奈落)へ落とされました。⒁

 

 私はあらゆる宗教も神の存在も、更に言えば霊的なものも一切信じておらず、それらに関する教えは形は違えど、群衆を扇動し、権力や権威を維持するために利用された道具としか思っていないので、個人的にはどうでも良い事と考えてしまいますが、仮に一神教徒の視点に立てば、全知全能たる創造主であり、万物の父である旧約聖書の神(YHWH・ヤハウェ)、つまり呼び方は違えど、ユダヤ・キリスト、そして後のイスラム教で共通する唯一神が、最下位のアイオーンであるソフィアから流出しプレローマ界から弾き出されているアカモートから生じたに過ぎず、自分ではその事すら知らないデミウルゴスであるという解釈は、衝撃的な内容かも知れません。デミウルゴス或いはヤルダバオートは神を自称し、旧約聖書のヤハウェのパロディで妬み深い噓つきの神として描かれています。グノーシス主義は、その厳格な禁欲主義ゆえに人気を得られず廃れたとも言われていますが、神話の概要を見る限りでは、敬虔な一神教徒にとっては耐えがたい内容だったことも大きな理由ではないかと思います。


 後にキリスト教の権威となったアウグスティヌスは青春時代(19歳~28歳)の9年間はマニ教徒として過ごしており、この時点でアウグスティヌスが正当多数派のキリスト教を受け付けなかった理由の一つは、旧約聖書における、神の神らしからぬ行動や、馬鹿馬鹿しいまでの祭祀にあり、このため、旧約聖書を否定していたマニ教がアウグスティヌスの知性を満足させた⒂、という意外な経緯があります。(まぁ個人的にも『ヨブ記』に登場する敬虔な信者であるヨブに対する神の仕打ちは、私が一神教を毛嫌いする原因でもありますが。)アウグスティヌスはミラノにおけるアンプロシウスの説教に介して聖書のアレゴリー的解釈法に触れ、この問題を切り抜けたそうですが、旧約聖書の権威を否定するという発想は、アウグスティヌスの接触したアフリカやイタリアのマニ教徒がそれを継承していったそうです。⒃


 そして、マニ教からキリスト教へ転向した聖アウグスティヌスは、当時のマニ教にとって最大の敵対者となりました。



◇コタンスキが岐美二神をdemiurg と呼んだ理由

 グノーシス神話についてざっくりとですが説明したので、話を本章冒頭のコタンスキの翻訳した古事記に戻しますと、⑹で見たように岐美二神の一対の神々の夫婦から森羅万象が地上に産み出されていることに注目し、「世界は成熟した女性による子宮に形成されて、そこから出生したというのが日本神話の世界観だ」というコタンスキの理解は、 『古事記』の界生成観の特徴を言い当てていると思われる。そして、彼は岐美二神の本性をポーランド語でdemiurgと呼ぶようになりました。自身のポーランド語訳『古事記』の序文では「天の神々は評議して、正式にその二神に対して地上世界の整備と固成化とを命じた。派遣された彼らとその子孫は、生殖行為の鼓舞者の神々であった。造物主の性的行為は天地開闢の行為となり、後世の男と女のあらゆる結びつきは、世界を更新させるこの再生の行為を繰り返しているのである」⒄とのことです。


 コタンスキが岐美二神をdemiurg と呼んだのは、グノーシス的な善悪優劣の世界観とは無縁で、二神が此世の森羅万象を生んだ一対の造物主で、国土も自然も二神の生殖行為から生まれ出ていることをしめしたのであり、コタンスキは、その日本人の世界観は一神教の人々には理解を超えていると実感し、殆どがローマ・カトリックの信者である読者のポーランド人にdemiurgの語を使って『古事記』の世界を語って理解を促した⒅とのことです。


 ⑹の解説で見てきたように、『古事記』の神々は「天地がはじめて天地となった」後、その天地に生成しますが、グノーシス神話による神々の生成は世界の創造の遥か以前であるという大きな違いもある為、両者は「似て非なるもの」と言わざるを得ず、この翻訳に関しては評価が分かれるのではないでしょうか?


 更に言えば、グノーシス神話における世界は、以下の様に成り立っていますが、



プレローマ界(神々的な存在の世界)

  ↓

中間界(アカモートの世界)

  ↓

この世界(物質界。デミウルゴスの世界)



 日本神話では以下のように成り立っています。



高天原(天。天津神の世界)

  ↓

天の八衢やちまた? (天孫降臨神話の猿田彦が登場する辻)

  ↓

葦原中津国(地上。国津神の世界)



 日本神話の世界を垂直構造に分別した場合、「天の八衢」をグノーシス神話でいう中間界的な位置づけと解釈して古典学的に妥当なのか分かりませんが、ニニギノミコト等が天孫降臨する際の通過点なので、中間界的な場所と想定して良いかと思います。

 そして、グノーシス神話でも日本神話でも、上位の世界から下位の世界へ影響を与えても、下位の世界から上位の世界に影響を及ぼす事は基本的にありません。


 こうしてみると神話で語られる世界が三重構造で成り立っているのは共通していますが、創造の神話がグノーシス神話では下位世界である「この世界」において行われたデミウルゴスによる所業なのに対し、日本神話では上位世界である「高天原」の天津神による所業であることや、人間の起源については、前者は物質的な肉体に霊を閉じ込めたことに由来するのに対し、日本神話では特に記されていない事から、やはり両者は別物と言わざるを得ないかと思います。





◇参考文献

⑴『大倉山論集』第六十七輯抜刷 公益財団法人大倉精神文化研究所

「英訳古事記とチェンバレンの訳業にみる西洋人の日本文化観」松井嘉和 104頁

⑵『グノーシスの神話』大貫隆 訳・著 講談社学術文庫

「1 グノーシス主義とは何か」16頁

⑶『総解説 世界の宗教と経典』自由国民社 所収

須長梅男「マニ(マーニ)教」31頁

⑷『グノーシスの神話』大貫隆 訳・著 講談社学術文庫

「Ⅱ ナグ・ハマディ文書の神話」68-71頁

⑸『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』筒井賢治 講談社選書メチエ(電子書籍版)

「ウアレンティノス派プトレマイオスの神話図」121頁

⑹『古事記新講 改修5版』次田潤 明治書院

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1920824/1/362

⑺『グノーシスの神話』大貫隆 訳・著 講談社学術文庫

「Ⅱ ナグ・ハマディ文書の神話」81頁

⑻『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』筒井賢治 講談社選書メチエ(電子書籍版)

(エレナイオス『異端反駁』一・二・二~四)125頁

⑼前掲書

(エレナイオス『異端反駁』一・二・五~六)129-130頁

⑽前掲書

(エレナイオス『異端反駁』一・四・一)131-132頁

⑾前掲書

(エレナイオス『異端反駁』一・四・一~四)134-135頁

⑿前掲書

(エレナイオス『異端反駁』一・四・五)135-136頁

⒀前掲書

(エレナイオス『異端反駁』一・五・一~二)135-136頁

⒁『グノーシスの神話』大貫隆 訳・著 講談社学術文庫

「Ⅱ ナグ・ハマディ文書の神話」110-111頁

⒂⒃『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』筒井賢治 講談社選書メチエ(電子書籍版)

(マニ教とその後)421頁

⒄『大倉山論集』第六十七輯抜刷 公益財団法人大倉精神文化研究所

「英訳古事記とチェンバレンの訳業にみる西洋人の日本文化観」松井嘉和 104頁

⒅前掲書 104頁

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