神武天皇と崇神天皇。二人の「ハツクニシラススメラミコト」は同一人物か?

 神武天皇と崇神天皇は共に「ハツクニシラススメラミコト」の訓みで呼ばれることはよく知られています。特に騎馬民族説や王朝交代説ではこの事を根拠に崇神天皇が初代天皇であると指摘され影響力を持ち続けてきましたが、果たして妥当なのか検討していきます。


⑴『日本書紀』巻三神武天皇元年(辛酉前六六〇)正月庚辰朔

辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮。是歳爲天皇元年。尊正妃爲皇后。生皇子神八井命。神渟名川耳尊。故古語稱之曰。於畝傍之橿原也。太立宮柱於底磐之根。峻峙搏風於高天之原。而。號曰神日本磐余彦火火出見天皇焉。初天皇草創天基之日也。(略)

辛酉年かのとのとりのとしの春正月はるむつき庚辰かのえたつのついたちのひ天皇すめらみこと橿原宮かしはらのみや即帝位あまつひつぎしろしめす是歳ことし天皇すめらみこと元年はじめのとしと爲す。正妃むかひめを尊びて皇后きさきと爲したまふ。皇子みこ神八井命かむやゐみみのみこと神渟名川耳尊かむぬなかはみみのみことを生みたまふ。かれ古語ふることめまうして、畝傍うねび橿原かしはらに、底磐之根そこついはね太立宮柱みやはしらのふとしきたて高天之原たかまがはら峻峙搏風ちをたかしりて始馭天下之天皇はつくにしらすすめらみことまをし、みな神日本磐余彦火火出見かみやまといはれひこほほでみの天皇と曰す。初め天皇 天基あまつひつぎ草創はじめたまふ日。(略))



⑵『日本書紀』巻五崇神天皇十二年(乙未前八六)九月 己丑十六日

秋九月甲辰朔己丑。始校人民。更科調役。此謂男之弭調。女之手末調也。是以。天神地祇共和享。而風雨順時。百穀用成。家給人足。天下大平矣。故稱謂也。

秋九月あきながつきの甲辰きのえのたつのついたち己丑つちのとのうしのひ、始めて人民おほみたからかむがへ、更に調役みつぎえたちおほす。此ををとこ弓弭調みはずのみつぎをみな手末調たなすゑのみつぎと謂ふ。是を以て天神地祇あまつかみくにつかみ共に和享にごみて、風雨時に順ひ、百穀もものたなつちつて成り、家給ぎ人足りて、あめした大にたひらかなり。めまうして御肇國はつくにしらす天皇すめらみことまうす。)


⑶『古事記』中巻 崇神天皇

爾天下太平、人民富栄。於是初令貢男弓端之調、女手末之調。故稱其御世。謂也。

かれあめ下太平したたひらぎ、人民おほみたから富栄とみさかえき。於是ここに初めてをとこ弓端ゆはず調みつぎをみな手末たなすえ調みつぎたてまつらしたまひき。れ其の御世みよたたへまつりて。初国はつくにしらしし御真木天皇みまきのすめらみこともをす。)


◇解説

 ⑴で神武天皇は「始馭天下之天皇」。⑵で崇神天皇は「御肇國天皇」。⑶で崇神天皇は「所知初国之御真木天皇」とあり、諸本の何れも「ハツクニシラススメラミコト」(⑶のみハツクニシラシシミマキノスメラミコト)と訓まれており、別人である神武天皇と崇神天皇が共通の訓みで呼ばれている事は古くから議論されてきました。


 本居宣長は『古事記伝』(二三巻)で師(賀茂真淵)の説として「神武天皇を如此カクタタして、更に又 ココにも、如此カク申せる故は、是より先には、いまだマツロはざりし遥の国々まで、ハジメ皇化ミオモムケのゆきたらはして、天下アメノシタコトゴト太平タヒラギぬる御世なればなり」⑷と説明し、崇神朝の特質により称えられたという見方が後世にも影響を与えます。


 二〇二三年現在、専門家によるものでは最新の注釈書である『新釈全訳 日本書紀 上巻(巻第一~巻第七)』によれば⑵の「御肇國天皇」について「「肇」は始める、確立するの意。古訓ハツクニシラスは、神武元年正月条「始馭天下之天皇」の訓と同じだが、「始馭天下之天皇」が初めて天下を治めた天皇の意であるのに対し、「御肇國天皇」は祭祀・税制が確立したかたちをととのえた国家を治めた天皇の意」⑸とあります。


 ⑵の大意が、「人民の戸籍の調査を開始し、あらたに調役を課し、これを男の弭調ゆみはずのみつき・女の手末調たなすえのみつきという。これ以来、天神地祇は皆和らぎ、風雨は時候に従って、種々の穀物が稔り、家々には不足なく、人々は満足して天下は大いに太平になった。そこで褒め称えて『御肇國天皇』というようになった」とあるように、建国の様子を伝える神武紀と国内統治の大事を成した崇神紀では両者の間に区別があるようですが、根本的の意義においては同一に帰すると解釈されてきた様です。⑹


 一方、神武天皇の実在性の乏しさから、両者ともに「ハツクニシラススメラミコト」と呼ぶことを怪しんだ津田左右吉氏は物語の発達の歴史がある事を疑い、綏靖天皇以後開花天皇まで(旧辞的内容が)空白(つまり欠史八代)であることと参照して考えるべきであるとであるかも知れない⑺とし、この発想が主に戦後の歴史学や王朝交代説論者等に多大な影響を及ぼしたようです。


 津田氏の考え方から更に踏み込んだと思われる松本信広・肥後和男の両氏は神武天皇と崇神天皇はもと一体であったものが、二つに別れたと捉え、元々の初代天皇と欠史八代と神武天皇が加えられた過程で両者にこの呼称が残存したと捉えました。⑻


 以降、江上波夫氏の騎馬民族説⑼や水野裕氏の王朝交代説⑽などの関りで説かれる様になり、崇神天皇が初代天皇として位置づけられるようになり、神武天皇と崇神天皇を同一視する見解は勢いを得た様に思えますが、これらの説に対する批判は過去の稿で取り上げた通りなので、そちらを参考にして頂ければと思いますが(「オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判。」・「書評 名著『騎馬民族は来た!? 来ない!?』(江上波夫・佐原真)について」)崇神についてのみ取り上げるならば、考古学的には大和古墳群には崇神天皇陵と言われている行燈山古墳よりも以前の王墓が複数存在し、崇神天皇が初代の天皇とは断言出来ない状況になっています。又、これも過去の稿(「綏靖天皇が何故高志国の王を名乗っているのか? 推測しました(ついでに欠史八代について)」)で取り上げましたが、文献史学的な見解によれば欠史八代の天皇名からヤマトネコなどの後世的な部分を取り去ると、スキトモ(懿徳天皇)・フトニ(孝霊天皇)のような実名と思われる名称が残る天皇は欠史八代の中でも実在の可能性があり得るという見方もできます。その為、⑺~⑽の説は今となっては否定されるので、崇神天皇を初代の天皇と見て「ハツクニシラススメラミコト」と呼ぶのは無理があるかと思います。


 又、近年では「始馭天下之天皇」の従来の「ハツクニシラススメラミコト」という訓義に対して疑問を持たれており、矢嶋泉氏は「天下」は「クニ」と訓め無いという点と、語構成が「始馭天下」と「御肇國」とでは異なる点から、「ハジメテアメノシタシラシシスメラミコト」と訓むべきだものだとしました。そして、「始馭天下之天皇」は初めて「天下を治めた」つまり初代天皇であるのに対し、「御肇國天皇」は「ハツクニ」を治めた天皇であり、初代では無いとして、その意味の違いを明確にしました。⑾


 これは個人的には一番納得のゆく説ですが、残念ながら先に取り上げた最新の注釈書である『新釈全訳 日本書紀 上巻』においてもこの説については取り上げられていない爲、定説或いは過去の諸本を否定し得る様な仮説とまでは至っていないようですが、今後の研究によっては有力な説になり得るかと思います。


 本稿では神武天皇と崇神天皇が騎馬民族説を通して同一視されている問題点を取り上げましたが、次回は改めて騎馬民族説について問題点を見ていこうと思います。王朝交代説と同じく今更感が凄いですが、避けて通れない問題かと思うので……。


◇おまけ

 以下は昔作成した二次ゲームの動画でミマキイリヒコについて解説した動画です。よろしければご覧ください。


「アオイシロWKS~秘曲剣巻草薙篇~第一部ルートB 完全版」

https://youtu.be/L0HfuNffH60?si=11zCFjAkQ6zjYDiv&t=1764




◇参考文献

⑴『国史大系 第1巻 日本書紀』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/991091/1/54

⑵『国史大系 第1巻 日本書紀』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/991091/1/65

⑶『古事記伝略 : 12巻 下 (国民精神文化文献 ; 第19)』吉岡徳明 国民精神文化研究所

https://dl.ndl.go.jp/pid/1918164/1/58

⑷『古事記伝 : 校訂 坤 増訂版』本居宣長 著 吉川弘文館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1041637/1/36

⑸『新釈全訳 日本書紀 上巻(巻第一~巻第七)』神野志隆光 金沢英之 福田武史 三上喜孝・著 講談社 401頁 注二

⑹『古事記新講 改修5版』次田潤 明治書院

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1920824/1/190

⑺『古事記及日本書紀の研究』津田左右吉 岩波文庫

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1085727/1/229

⑻『日本神話研究』松本信弘 同文館・『古代史上の天皇と氏族』肥後和男 弘文館

⑼『騎馬民族国家』江上波夫 中央公論社

⑽『増訂 日本古代王朝論序説』水野裕 小宮山書店

⑾「ハツクニシラススメラミコト」矢嶋泉(『青山語文』十九号、平成元年三月)



◇関連項目

・オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判。

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330657198382518


・書評 名著『騎馬民族は来た!? 来ない!?』(江上波夫・佐原真)について

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330662926834586


・綏靖天皇が何故高志国の王を名乗っているのか? 推測しました(ついでに欠史八代について)

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330650980905873

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