神託の巫女は蚤心臓男子を将軍にする

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神託の巫女は蚤心臓男子を将軍にする

「次の将軍は、あなた様です。現将軍様の八男であらせられる、芳久よしひさ様」


 努めて神妙な顔を作り、私は告げた。とんでもない騒ぎになったのは、言うまでもない。当然だ。末弟である八男坊の芳久が任命されるなど、誰も想像していなかったはずだから。


「ああ……」


 当の本人はと言うと、弱々しい声でそれだけ言った後に失神した。うん、良かった、一応生きている。ショック死しようものならどうしようかと思っていた。


 これで、遠くない未来、将軍家は倒れるだろう。私の役目は——とんだ大役だと思っていたが——ほぼ終わったも同然だ。


 私は顔の前に捧げ持った桜の枝の陰で、ひそかにほくそ笑んだ。


 ■


 鎮守しずもり神社を守る私たち鎮守一族は、代々『神託の巫女』を輩出し、長らく国政に携わってきた。その期間といったら、何代か続けば滅んで入れ替わる将軍家よりもずっと長い。それは世間が信じ込んでいるように、神よりお言葉を賜る一族だから——というわけでは、実はない。


 私たち鎮守一族は、全員が記憶を共有できるのだ。亡くなった者も含めてだ。どうしてそんなことができるかは定かではないが、どうやら神社でまつっているご神体が関わっているとかなんとか。大きな石で、ご先祖様がどこかで拾って来たらしいが、詳しくは知らない。とにかく、そうやって得る膨大な知識と経験から、私たち一族が卓越した直観能力を持つことは確かだ。その能力を以って行う将軍への助言が、『神託』に見えるゆえに、私たち一族は代々権力をほしいままにしている。ただ石を拾っただけなのに、ありがたい話だ。


 さて、今代の巫女は私である。そして私には、家からある指令が下った。現幕府を倒せという重すぎる指令だ。次にこの国を牛耳りたいというある一族から、莫大な献金をもらったから、らしい。仕える将軍家が倒れてもなお、私たち一族がこうして権力を持ち続けられる理由はここにある。いつも誰かに乞われ、倒幕に加担しているのだ。当然それを警戒して将軍家に始末されかけたこともあるが、そこは直観能力でいち早く察知ししのいで来た。結局将軍家も国も、我々鎮守一族の手のひらの上というわけである。それだけこの能力はすさまじいということだ。


「でも、今の幕府はまだ力があるわよ? どうやって倒すの?」


「そろそろ世継ぎを決める頃だ。八人いる世継ぎの人間性をよくておいで。一番将軍に向いていない者を、次の将軍に任命するんだ。悪政によって国が荒れれば、自然と討幕派に大義が生まれ、声が高まり、次々動きが出て、幕府は倒れる。我々は、後は座して待っていればいいんだよ」


 なるほど、父の言うことは正しい。先人たちの記憶と経験もそう言っている。私はただ、それらしいインチキ儀式をり行い、将軍候補をそれぞれ観て、最も不向きな人間を選ぶだけでいい。意外と、簡単な仕事かもしれない。


 ■


 桜の枝を手に、神楽と称して適当な舞を披露しつつ、私は候補全員をそれぞれ観た。膨大な人間観察の記録とその分析結果が私にはついている。


 長男、敦重あつしげ。ああ、この人相の悪さ、これは狡猾で生き上手な証拠だ。不適合。


 次男、敦智あつとも。一目で分かる。不適合。あの目は、今なお名を残す数々の名君たちと同じ目だ。


 三男、敦規あつのりいかめしい人相。うーん、悩ましい。厳格な人で規律にうるさいが、取り立てた才はない。まあ、ありかな。


 四男、敦治あつはる。あの体格、確実に優れた武芸の才をお持ちだ。不適合。


 五男、芳之よしゆき。着物のセンスが群を抜いている。こういう人は過去の例に照らし合わせると、割に人気が出る。不適合だ。


 六男、芳清よしきよ。柔和な表情で、気立ての優しさが伝わってくる。忠臣を多く得るタイプだ。こちらも不適合。


 七男、芳松よしまつ。この人は、甘え上手だ。あの目映い笑顔、愛想の使い方を心得ている。傾国張りの人たらしだ。不適合。


 もし私が本気で将軍家に尽くすつもりなら、次男を将軍に任命しただろう。しかし今の私の使命は別のところにある。この分だと三男がいいか。これだけいて、ほとんどが不適合とは、この将軍家を潰してしまうのは少々もったいない気がしてしまう層の厚さだな。ああでも、子息はもう一人いたはずだが? 視線をあちこち彷徨さまよわせて、ようやく木の陰にいる人物に気づいた。そして私は、息を呑むことになる。


 八男、芳久。思わず言葉を失うほどの逸材だ。何だこの人は。私の中の記憶たちまで驚いているような気がする。落ち着かない視線、必要以上に長い前髪、驚くべき角度で下がった眉、貧相な身体、悪すぎる姿勢、無意味にそわそわ動く指、人の視線を極力避ける位置取り——こんなにも、気弱な人間の特徴を網羅した人間は観たことがない。のみの心臓、なんて言葉があるが、これはこの人のための言葉じゃなかろうか。いや、蚤ほどの大きさがあるかすらも疑わしいほどだ。


「芳久様こそ、将軍としての器を持つお方。ぜひ、芳久様を次代将軍に。神もそう仰せです」


 即決だった。


 ■


 座して待てと言われた通り、私は実家でのんびりと座して待った。しかし、あれから一年経とうと、二年経とうと、全く倒幕のしるしがない。


 おかしい。西部の農民たちはこれまでにかなり憤懣を抱えていて、近いうちに一揆が起こることは観ていた。それが火種となって、討幕は成るはずだったのだが。


霞深かすみ。お前は本当に、将軍に相応ふさわしい者を指名したのか? 八人もいれば、一人くらいは無力な者がいただろう」


 ついに父に疑われてしまった。これは、このままにはしておけない。渋々、私は城に出向くことにした。


 ■


「うええええええん! 無理! 無理だよ無理! そんなことをしたら、農民が一揆を起こすに決まってる! それで僕の首を取りに来るんだ! いやだ! いやだよ! 僕はまだ死にたくない! しないぞ! ぜぇったいに税を上げたりしない! 死ぬくらいなら僕は毎日草を食べて生きる! ボロを着て生きてもいい! 何なら裸でいい! ようし、決めた、決めたぞ! 城内での食事は家臣も含め全て雑草! そして城内で服を着ることを禁じる! 将軍命令だー!」


 将軍芳久のいる部屋の前まで通されて来ると、中から喚き声が聞こえてきた。聞くなり私は胸を撫で下ろす。これは、前に観た一揆で国が傾くのとは違った方向になりそうだが、このすがすがしいほどの悪政っぷりならば、近々家臣に首をねられよう。


「いいえ、なりませぬ将軍。そんなことをしては、不満の溜まった家臣の方に首を刎ねられますぞ。というより、私が嫌だな。芳久、今ここで首を刎ねていいか? そして私が次の将軍になろう」


 ん? おかしい。この声の持ち主は大変聡明だ。そういう声をしている。それにこの口の利き方は、もしや。


「失礼つかまつります、将軍様! 鎮守の巫女にございます。至急、お耳に入れたいことがございまして」


 私は慌てて部屋に踏み入った。神の言を賜ったことにして、今の声主を追放させよう。でなければ、まずい。あの人に国政を任せたら、国が傾く未来が観えない。


 だが、続けようとした言葉は出てこなかった。部屋をぐるりと見渡して、私は愕然としてしまったのだ。


 な、何だこれは。


 現将軍芳久と、元将軍候補の兄弟たちが、部屋の中に勢ぞろいしていた。彼らが仲良くなんて、絶対にあり得ない光景だったのに。そんな結果、全く観ていない。


「おおこれは、鎮守の巫女殿」


 次男敦智がにこやかに私を出迎える。おかしい、おかしい。この人は私を恨んでいるはずだ。本来一番将軍に相応しかったのはこの男だったし、本人もそう信じていた。私のせいで将軍になれなかったこの男こそが、一番私を恨むはずなのだ。だって、そう観えていた。それなのに、なぜだ?


「いや、真にあなた方一族はすばらしい。お恥ずかしながら、私は最初、あなたを恨みました。私こそが将軍に相応しい器だと思い上がっていたのです。許されよ。しかし、やはり正しいのはあなたの方だった。将軍に最も相応しいのは芳久でありました。今となっては、疑いようがありません」


「い、いえ……」


「あなたは、いいえ、神は、見抜いていらっしゃったのだな。最も頼りない芳久をこそ将軍に据え、その補佐を我々がするのが国にとって一番よいと。芳久が将軍になり、そのあまりもの無能さに、我々はつい黙っていられず、知らない間に手を貸してしまっていました。これまで競ってばかりいた兄弟が、みるみる仲良くなりましたよ。いや、本当に神はすばらしい。そしてその言葉を我々に伝えてくださるあなたもまた、同じようにすばらしい。本当に感謝していますよ」


「お力になれたのなら、大変光栄で……」


「そして、今もまた神のお告げを伝えに来てくださったのでしょう。ありがたいことですが、巫女殿、此度こたびは結構です。私は、芳久の素質に気づけなかった私を恥じています。今度は神からご指導を頂く前に、我々で正解を見つけたい。そうだろう、芳久」


「うええええん、僕には兄さんたちがいてくれないと駄目なんだー! 何でも兄さんの言うとおりにするぅ!」


「ということらしいので。せっかくご足労頂いたのにすまない、巫女殿」


 無様に寝そべって喚き散らす将軍を眺めたまま、私は何も言えなかった。この将軍家を今代中に滅ぼす方法を、何一つひらめかなかったのだ。この体制は、盤石すぎる。私の、私たちの直観能力は一人の蚤心臓男によって敗北したのである。


 私は、私の過ちを認めよう。我々の強さは、過去の膨大な経験の蓄積によるもの。観たことがないほどの小心者の男を選んでしまったのが、間違いだった。


「やだあ、やだあ!」


 こんなどうしようもない男にしてやられたのが、悔しくて悔しくてどうしようもなかったが、今となっては最早どうしようもないことであり。しかしあのひどい醜態を思い出すと、まあ仕方ないか、という気になって来る。とぼとぼ帰路を行きながら、私まで現将軍芳久にほだされているのを、思い知らされるのであった。

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