直観装置
真野てん
第1話
内容なき思惟は空虚であり、概念なき直観は盲目である―― カント
ポリティカル・コレクトネス。
通称ポリコレ。
性別、人種、民族、宗教などに基づく差別や偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正中立な言葉や表現を使用することを指す。
当初は差別的用語の撤廃を目的としたこの思想も、いつの頃からか拡大解釈がはじまり悪質な「言葉狩り」と同等な意味を持つまでになってしまった。
とかく多様性を持ち出して、少数意見をイジメているような風潮を生み出し、本来有効だったはずの事柄を破壊してしまう。
やがて人類はあらゆる地雷を踏まないようにと、考え過ぎるようになる。
寝ている時間を除いて、ほぼ人生の70%をそんなとりとめのない思考に割くようになってしまったため、当然のことながら社会生活が成り立たない。
結果、人類は、紛争や感染症、貧困に飢餓とはまったく関係のないところで滅亡しようとしていた。
そんなときに登場したのが『直観装置』という機械だ。
究極にまで進化したAIを搭載し、いまや人間以上に人間らしい回答を人類に提示することが可能なハイスペックマシンの総称である。
人類の最後の希望、国際科学会議で開発が決定したという。
据え置き型、ポータブル型、はたまた変わったところでは人型や愛玩動物型なんていうのもあるが、見た目はさまざまでも基本スペックは同じだ。
皆、中枢アーカイブスにネットワークでつながっており、個体による性能差がないように是正されている。
ではひとつ、ここに例をあげよう。
被験者は腕時計タイプの『直観装置』を身に着けた20代の日本人男性。
名前を仮にサトウさんとしておく。
場所は中東にあるどこかの国。
この時代は、どの国も人種であふれている――。
「彼……いや、彼女かな……まてよ、そもそも男であるとか女であるとか、ぼくが勝手に決めつけるのも偉そうだし、もし間違えでもしたら、あのひとを傷つけてしまう。そうなったら最悪裁判沙汰になりかねない。こ、困った。どうしよう――」
サトウさんはいま、身長180センチ、筋骨隆々にして眼光の鋭いハンバーガーショップの店員と相対している。
チェーン店のロゴの入ったエプロンはいまにも大胸筋ではちきれんばかりだ。
白髪交じりの金髪をネイビーカットに刈り込んでいる。
どう見たって勇ましい。
だがサトウさんは、注文の順番が自分にまで回ってきてなお、その店員さんの性別を決めきれなかったのである。
この時代、会話を二言三言で済ますというのは、はなはだ人種差別的だと言わざるを得ない。どんなに社交的な行動が苦手な人間でも、ちょっとした会話を求められる。
それは自らに後ろめたいところがないという証明にもつながり、社会的にまともな人間だと認められることにも通じる。
「ご注文は?」
店員が野太い声でサトウさんを威圧する(あくまでサトウさんの感想です)。
逃げられない。もうだめだ――。
そう思ったときだった。
「ピピピ――ダブルチーズバーガー、ト、Lサイズ、ノ、コーラ、ヲ、クダサイ、ミスター」
サトウさんの代わりに、腕時計型の『直観装置』が注文をした。
たしかに注文するにもおそらく二時間は考えてしまうだろうからと、四日前からAIと入念な打ち合わせをしていたから、彼が注文するだろうメニューは決まっていた。
驚いたのも束の間、
「ご一緒にポテトはいかがですか?」
店員がさらなるおススメをしてきた。
サトウさんは咄嗟に「け、けっこうです――ミスター」と返答した。
「そうですか、ではお会計550円になります。きょうはなかなか暑いですね」
「え、ええ。どうやら日中25度くらいになるそうですよ」
「どうりで――と、こちらで召し上がりますか?」
「はい」
「でしたらテラス席がおススメですよ」
「ありがとう――」
会計が済み、店員さんは笑顔で送り出してくれた。
その鍛え上げられたうなじには、一本のケーブルが挿入されている。
もちろんそれは『直観装置』につながっていた。
彼もまた同じ人間である。
あらゆる選択肢に備えて、自らを改造しているのだ――。
一事が万事この調子である。
だが人類には猶予が与えられた。
滅亡するまでのわずかな時間ではあるが。
一方その頃、国際科学会議では。
「諸君、『直観装置』はちょっと判断が先鋭すぎないだろうか」
「もっと文化的に、あらゆる答えに対応するべきだ」
「それでは『分析装置』開発の許可を申請する」
ピピピ――ショウニンスル――。
こうして人類は滅亡をまぬかれたかわりに、一切の思考を失った。
しかしそれは『直観装置』で決められた、
正しい判断の結果だ。
直観装置 真野てん @heberex
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