立春

最終話:「消えた安楽庵探偵事務所」

 今日は二〇二〇年二月四日。特に変わったことはない、普通の日だ。

 だけど、今日から年が変わる。年柱ねんちゅう庚子かのえねに変わる。そして今までの常識がひっくり返る。生活様式を大きく変える世界変容が、少しずつ音もなく迫っていた。


 新宿の雑居ビルの八階ににある『ビストロ匠』は、昨日の節分で閉店をして、もぬけのカラになっていた。

 七階にある占いの館 安楽椅子あんらくいすも、昨日の節分で閉店して、もぬけのカラになっていた。

 六階にある、安楽庵あんらくあん探偵事務所の倉庫も、もぬけのカラになっていた。あらゆる異世界に対応するため、大量の衣装や武器などの装備品を、所狭しと収納していた倉庫も、もぬけのカラになっていた。


 これらの店舗及び施設は、全て空き家になっていて、今日から不動産屋の貸し物件に登録されてある。

 交通の便は良くないし、築年数もすこぶる古い。だが、なかなかのオススメ物件だ。とにかく家賃が安かった。


 そして、もぬけのカラの貸し物件の六階に、五人の男女が立っていた。


 一人目は、グレーのスーツと銀の細フレームのメガネが似合う絶世の美女。

 二人目は、メイド服の女性。

 三人目は、黒スーツで短髪を整髪料でテカテカにしている青年。

 四人目は、和食料理人の調理白衣を着たガタイ良く大柄な青年。

 最後の五人目は、くたびれた背広姿の中年刑事だった。


 一人目は、手ぶらだった。特に何にも持っていなかった。

 二人目は、大量のお酢が入ったリュックと、トートバックを両脇にかかえていた。

そして手には、水墨画の描かれた半紙を持っていた。

 三人目は、ノートパソコンと、習字道具一式。そして、船の形をした、昔ながらの製法で作られた松煙墨しょうえんぼくが、大量が入った紙袋を持っていた。

 四人目は、調理道具一式と、命の次に大切にしてる、異世界のじゃがいも料理のレシピを記したメモ帳を、ズボンのポケットに忍ばせていた。

 最後の五人目も、手ぶらだった。しいていえば、手錠と警察手帳を携帯していた。


 五人目の刑事は、特に変哲もない腕時計を見ながら言った。


「節入りは何時だっけ?」


 三人目の黒スーツは、目眩めまいがしそうな高級腕時計を見ながら言った。


「午後六時三分です。あと十秒、九、八、七、六、五、四、三、二、一、零」


 一人目のメガネの絶世の美女が珍妙に言った。


庚子かのえねが来た! 庚子かのえね庚子かのえね!」


 二人目の大量のお酢を持ったメイドが言った。


「あ〜〜〜、めっちゃ緊張する。これで四回目やけど、何回やってもめっちゃ緊張する。先生はこれで、十三回目ですよね」


 四人目の、和食料理人が言った。


「そう。先生は十三回目。っさんとオレが十回目。そしてイツキが七回目」


 二人目の、大量のお酢を持ったメイドが言った。


「でも、やっぱりめっちゃもどかしいですよ。春夏秋冬、年四回の土用どようの時しか、を変えるチャンスがないなんて」


 三人目の、松煙墨しょうえんぼくを大量に持った男が言った。


「しょうがないよ、こればっかりは。こよみことわりは、いくら先生でも変えようはない」


 四人目の大量の、じゃがいもメモが言った。


「だから、あがく。何度でもあがく。時間はいくらでもある。俺たちはいくらでも一年前に行ける。先生がいれば、キッカリ一歳若返って、無限に二〇十九年をやりなおせる」


 最後の五人目の、背広姿の刑事が言った。


「余計なこと言ってないで、そろそろ行こう。にしばらく用はない」


 ひとりめは、珍妙に言った。


「了解。了解。了解。じゃ、行きますか」


 ひとりめは、非常階段のドアを、に回した。 



 ガチャリ


 ドアをあけると、そこには、長い長い廊下が現れた。

 長い長い廊下の左右には、等間隔でカラフルなドアが並んでいた。

 そして、全てのドアに〝額縁〟が備え付けられていた。

 一番手前の左のドアは、額縁の中に数字の〝1〟が書かれれいた。はっきりした色合いの緑と青のツートンカラーのドアだった。

 反対側の右のドアは、額縁の中に数字の〝60〟が書かれれいた。一面、淡い色をした青いドアだった。


 コツ、コツ、コツ……


 一人目を先頭に、五人は長い廊下を歩いていった。そして、額縁の中に〝36〟と書かれたドアの前で立ち止まった。淡い色をした、オレンジと青のツートンカラーのドアだった。


 一人目は、おもむろに手を差し出した。

 そしてその手に、二人目が絵の描かれた半紙を渡した。


 一人目は、おもむろに水墨画をドアの額縁にはめ込んだ。

 淡い色をした、オレンジと青のツートンカラーのドアがぼんやりと光った。そして、水墨画にじんわりと色がついた。

 色がついたとおもったら、水墨画はたちどころに写実的になった、いや、実写になった。額縁は窓になっていた。額縁窓になっていた。そして、窓の奥は、見慣れた安楽庵あんらくあん探偵事務所の所長室だった。


 三人目は言った。


「よし、行こう。を少しでもマシな未来にするために」


 四人目は言った。


「ああ、自分の領分で、できる範囲で」


 二人目は言った。


「わたしは、とりあえずワンコさんにスカウトされる所からや。

 ワンコさんが『ビストロたくみ』の常連さんになってくれたから、今までよりは、めっちゃ簡単や」


 五人目は言った。


「はー、仕事したくないねぇ」


 最後に、一人目が珍妙に言った。


「ハッサクは、仕事無用! ハッサクは酸っぱい! ミカン!

 そして、じゃがいもを持ってこない。というか、わたしが行かなくてはならない。

 おまえは仕事をするべきではない!」


 一人目は、つづけて珍妙に言った。


「タクミは仕事をするべき! もっと、じゃがいもをたくさん料理するべき! おいしい」


 一人目は、さらに珍妙に言った。


「イツキの仕事はよくわからない! 何をしているのか、わからない。ぶっちゃけ、ちょっとなにやってるか、わからない!」


 一人目は、さらにさらに珍妙に珍妙に言った。


「コトリは、早く、一人前になる。

 酸っぱいは怖い。怖い! 酸っぱいは全部コトリ。全部コトリにあげる! ミカンは全部、コトリにあげる! 早く自分でドアを見つける! 修行が足りない! 早く一人で見つけてください……お願いします……」


 一人目は、さらにさらにさらに珍妙に珍妙に珍妙に言った。


「そして、コトリはわたしを、ワンコに紹介するがいい!

 わたしもアイドルやりたい。歌う。踊る。笑う。みんなを幸せにする。生きる勇気を与える! 尊い! やりたい! やりたい!

 わたしは、いのしし担当! イメージカラーは淡いオレンジ!

 衣装はふりっふりのあまっあま!!」


 一人目は、長々としゃべったあと、最終的には単なる夢みがちで不思議ちゃんな願望を語った。


 二人目は、答えた。


「はーい!」


と、ニコニコと無責任に答えた。


「頼んだ!」


 一人目は、「むっふー」と息を吐きながら、得意げに胸を張った。スレンダーな胸を張った。


 一人目の、珍妙な話を延々と聞かされた五人目は、しびれを切らして言った。


「おしゃべりはここまでだ。早く行こう」


「ハッサクは、せっかち。そして酸っぱい」


 一人目は、珍妙な悪口を五人目に投げつけると、ドアノブをにひねった。

 淡い色をした、オレンジと青のツートンカラーのドアの向こうには、見慣れた安楽庵あんらくあん探偵事務所につながっていた。

 

 五人は、まっすぐ歩いて、そのまま去年、つまりは二〇十九年二月四日に戻ると、ゆっくりとドアを閉めた。


 長い廊下は、一瞬で消滅した。

 そこには、二〇二〇年二月四日の、新宿のぼんやりとした夜景が広がっていた。生活様式を大きく変える世界変容が、少しずつ音もなく迫っていた。


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安楽庵あんらくあん探偵事務所』

 二〇十九年二月四日午後十二時十四分につづく。

https://kakuyomu.jp/works/16816452220084056475

 

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安楽庵探偵事務所 〜尋ね人は異世界です。〜 かなたろー @kanataro_

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