第十話:冬「消えた中学生とコンビニポテト」

 新宿のとある雑居ビルに、探偵事務所があった。

 名前は『安楽庵あんらくあん探偵事務所』。

 だが、お客は滅多にこない。三ヶ月に一度しかこない。


 そして、この冬は、最低でも三ヶ月に一度は来るお客がまだ来ていない。

 たしかについ先日の1月末頃にイレギューラーなお客は訪れはしたが、彼は厳密に言えば「お客」に当てはまらない。


 安楽庵あんらくあん探偵事務所は、異世界に連れ去られる人物を、事前保護する為に設置された機関だ。

 つい先日訪れた人物は、その該当者ではなかった。


 その証拠に、今、安楽庵あんらくあん探偵事務所の電話が鳴っている。所長室の、エグゼクティブデスクの上に置いてある電話が鳴っている。


 プルルルル、プルルルル、プルルルル


 エグゼクティブデスクには、女が座っていた。


 女は、大きなエグゼクティブデスクに頬杖ほおづえをついて、ぼーっとしていた。安楽庵あんらくあんキコだった。


 プルルルル、プルルルル、プルルルル


 電話が鳴り響く中、安楽庵あんらくあんキコはぼーっとしていた。

 グレーのストライプのスーツに身を包み、腰まであろうかと言う黒い長髪をひっつめにして、銀の細フレームのメガネをかけてボーッとしていた。


 プルルルル、プルルルル、プルルルル


 ボーッとしているのには理由がある。


「所長は絶対に受話器をとらないでください!」


と、癸生川けぶかわイツキにきつく注意されているからだ。訳のわからない受け応えをして、電話越しの相手を困惑させてしまうからだ。


 ガチャリ


 所長室の扉が開いて、メイド姿の丁番ちょうつがいコトリがニコニコしながら歩いてきた。そのままスタスタとエグゼクティブデスクに置いてある受話器を取ると、丁寧ていねいな対応で電話に出た。


「お待たせいたしました。安楽庵あんらくあん探偵事務所です」


 電話越しに男の声が聞こえてくる。


(コトリちゃん? 新宿しんじゅく署の八朔はっさくです)


「あ、はっさんでしたか。お疲れ様です」


「ハッサク!?」


 安楽庵あんらくあんキコは、素っ頓狂とんきょうな声をあげた。

 電話越しに男の声が聞こえてくる。


(また、頼めないかな?)


「はい、もちろんですよ。そのための事務所ですし」


「ひい!」


 安楽庵あんらくあんキコは、再び素っ頓狂とんきょうな声を上げて、そのまま机の下に隠れた。

 電話越しに男の声が聞こえてくる。


(すまないね。今からお母さんに、そっち行ってもらうから、よろしく)


かしこまりました。お待ちしております。お母様によろしくお伝えください。……はい。……はい! ほんなら、おおきに」


 ガチャリ


 丁番ちょうつがいコトリが受話器を置くと、回り込んで、机の下に隠れた安楽庵あんらくあんキコを覗き込んだ。


「大丈夫です? 先生」


 よほど、八朔はっさくが怖いのだろう。

 安楽庵あんらくあんキコは、机の下でヒザとヒジをつき、あたまを抱えてブルブルとふるえていた。


「怖い! 怖い! ハッサクはミカン! ミカンは怖い! 酸っぱい! 怖い!」


「大丈夫ですよ先生。その為にわたしがるんですから、バッチリまかせといてください」


「任せる! 酸っぱいはコトリ! 絶対コトリ!」


「任せてください!」


丁番ちょうつがいコトリは、スタイルの良い胸を張った。


 ・

 ・

 ・


 ガチャリ


 安楽庵あんらくあんキコは、非常階段のドアノブを、にひねった。


 ドアをあけると、そこには、長い長い廊下が現れた。

 長い長い廊下の左右には、等間隔でカラフルなドアが並んでいた。

 そして、全てのドアに〝額縁〟が備え付けられていた。

 一番手前の左のドアは、額縁の中に数字の〝1〟が書かれれいた。はっきりした色合いの緑と青のツートンカラーのドアだった。

 反対側の右のドアは、額縁の中に数字の〝60〟が書かれれいた。一面、淡い色をした青いドアだった。


 コツ……コツ……コツ……


 安楽庵あんらくあんキコと丁番ちょうつがいコトリは、ふたりで長い廊下を歩いていった。

 安楽庵あんらくあんキコは、手ぶらだった。丁番ちょうつがいコトリは、手に一升瓶を持っていた。お酢だった。


 ついさっき、安楽庵あんらくあんに訪問してきた母親から聞かされた、〝消えた少年〟を、異世界から連れ戻す為だ。


 コツ……コツ……コツ……

 

 安楽庵あんらくあんキコは、長い廊下を、慎重に注意深く見ながら歩いた。違和感を探しながら歩いた。


 消えた少年は、十四歳の中学二年生。失踪、つまり消えたのは今から二週間ほど前のこと。冬休みが終わってしばらくのこと。いつも自宅でスマホを見入って、夜更かしをしていた息子が突然いなくなったらしい。


「 あ っ た 」


 安楽庵あんらくあんキコは、声を震わせた。


そして、額縁の中に〝24〟と書かれたドアと、〝25〟と書かれたドア〝間〟に立ち止まった。

 淡い色をした、赤と青のツートンカラーのドアと、はっきりとした色合いの、黄色と青のツートンカラーのドアに挟まれた、何も無い、真っ暗な壁の前で立ち止まった。


 安楽庵あんらくあんキコは、震える手で、真っ暗な壁を四回ノックした。


 トン、トン、トン、トン………………ギィィィィィ


 真っ暗な壁は、きしみながら、ゆっくりと、ドアみたいに、おもむろに片開きに開いた。


「ヒィイいいいい! 怖い! 怖い! ミカン怖い!」


 安楽庵あんらくあんキコがうわずった珍妙な叫び声でおののいた。


 壁の向こう側に、西洋風の街道が現れた。平凡な街道だった。


「じゃ、行きましょう! 先生。場所を教えてください」


 安楽庵あんらくあんキコは、震える手で、人差し指を突き出した。


 丁番ちょうつがいコトリは、ニコニコしながら安楽庵あんらくあんキコのおしりの少し上を右手の人差し指で突き刺すと、グイグイと強めに押した。


 すると、安楽庵あんらくあんキコは、まるであやつり人形みたいに、真っ暗な廊下に突然できたドアをまたいで、スタスタと平凡な西洋な街道の中に入って行った。

 丁番ちょうつがいコトリは、そのまま右手で安楽庵あんらくあんキコをグイグイと押しながら、後に続いた。


「あっちがミカン! 怖い! 怖い! あっち!」


 安楽庵あんらくあんキコは、震える手で方角を示すと、丁番ちょうつがいコトリは、左手に持ったお酢の一升瓶をグビグビとラッパ飲みしながら、安楽庵あんらくあんキコをその場所に押し導いて行った。


 ふたりは、平凡な西洋な街道をスタスタと歩いた。

 数百メートルほど歩いただろうか、ふたりは、尋ね人に遭遇した。


 たずね人は、とてもかっこいい平凡なバスタードソードと、とてもかっこいい軽装で平凡なファンタジックな鎧に身を包み、獰猛どうもうそうな平凡な熊と戦っていた。たずね人後ろには、とても可愛い平凡な魔法使いと、とても可愛い平凡なエルフの弓使いがいた。


 そしてたずね人の横には、何故か真っ黒なモノリスが宙に浮かんでいた。

 モノリスには、とても不思議で平凡な単語と数字の羅列が刻まれてあり、一番最後の項目に、スキル名が書かれてあった。スキルの名前は、凸凹凸凹ピーーー。とても最弱そうに見えて、実はチートレベルに強力な、いたって平凡なスキルだった。


 この、とてもかっこよく、可愛く、ユニークで、チートで、平凡な異世界は、時間が止まっていた。


 たずね人も、可愛い平凡な魔法使いも、可愛い平凡な弓使いのエルフも、獰猛どうもうそうで平凡な熊も、平凡な西洋の街道も、とてもチートで強力な、いたって平凡なスキルが刻まれたステータスウインドウも、すべて止まっていた。まるで精巧な石造のごとく、いっさいがっさい時間がとまっていた。


「怖い! 怖い! ミカン! 怖い!」


 安楽院あんらくあんキコは、その場でうずくまり、頭を抱えてガタガタとふるえ始めた。


 丁番ちょうつがいコトリは、スタスタと、たずね人の前まで歩いていくと、左手に持ったお酢の一升瓶をグビグビと飲んで、口の中をお酢でいっぱいにした。そして、


「ブッ!」


と、たずね人の顔に、お酢を思いっきりぶっかけた。


 たずね人の顔が、お酢でぐっしょぐしょになった。


 とたんに、可愛い平凡な魔法使いも、可愛い平凡な弓使いのエルフも、獰猛どうもうそうで平凡な熊も、平凡な西洋の街道も、とてもチートで強力な、いたって平凡なスキルが刻まれたステータスウインドウも、すべて消え去った。


 そしてたずね人の、とてもかっこいい平凡なバスタードソードと、とてもかっこいい軽装で平凡なファンタジックな鎧も消え去って、とても平凡な学生服姿に変わった。


 真っ暗な空間には、学生服のたずね人と、メイド服姿の丁番ちょうつがいコトリ、そして、グレーのスーツで、地面にいつくばって頭を抱えてふるえている、安楽院あんらくあんキコが取り残された。


「あれ? ここは……?」


 たずね人は、突然動き出した。突然動き出して、狼狽ろうばいした。


「お母さんが、めっちゃ心配しとる。帰りましょ」


 丁番ちょうつがいコトリは、ニコニコしながらたずね人に言葉をかけると、肩をやさしく「ぽん」と叩いた。

 そして、つづけざまに地面にいつくばって頭を抱えてふるえている、安楽院あんらくあんキコの背中をやさしく「ぽん」と叩いた。


「先生、帰りますよ〜」


「怖かった。ミカン。怖かった。ミカンは怖い」


 安楽院あんらくあんキコは、うなされるようにつぶやくと、フラフラと立ち上がって、フラフラと歩き始めた。


 安楽院あんらくあんキコ、丁番ちょうつがいコトリ、そして平凡な中学生の三人は、微かにこぼれる光の方向に歩いて行った。


 ・

 ・

 ・


「それじゃ、おおきに」 


 丁番ちょうつがいコトリは、新宿しんじゅくしょ署で取り調べの協力を終えると、くたびれたスーツ姿の八朔はっさく刑事に頭を下げた。


 八朔はっさく刑事は、いかにもベテランといった、貫禄のある雰囲気と、割腹かっぷくのよい体、そして心許こころもとない頭髪をしていた。

 八朔はっさく刑事は、丁番ちょうつがいコトリ、そして、安楽庵あんらくあん探偵事務所と、とても気心が知れた間柄だった。

 

「所長と、癸生川けぶかわ兄弟によろしく言っといて」


「わかりました。あ、でもタクミさんには直接あいさつしてください。はっさん、最近あんまりお店に来てくれないってボヤいてましたから」


 はっさんと呼ばれた、八朔はっさく刑事は、名前よろしく、酸っぱそうな渋そうな顔をして言った。


「だって、ソフトクリームでしょ? オレ、酒飲みだぜ? 辛党だぜ? ポトフや、じゃがいもスライダーは、最高の酒のアテになる! そりゃ常連になるってもんさ! 毎日でも食べたくなるさ!

 まあ、百歩譲ってポテトチップスもアリだ。だが、今置いてるのはソフトクリームでしょ? しかも真冬だよ? そんなんじゃ、さすがに酒のアテにならないよ」


「そんなこと言われてもしょうがないじゃないですか。仕入れが運次第なの、はっさんも、よーく知っとるやないですか」


「そうなんだよな〜。でも、ポテトチップスの後がじゃがいもソフトだよ? でもって今回は収穫なしでしょ? そりゃあ、ますます足が遠のくってもんよ」


 丁番ちょうつがいコトリは、ため息をつくと、口を尖らせて八朔はっさく刑事を責め立てた。


「もう、二月三日の節分で店じまいですよ。あと二日なんやから、顔くらい出して下さいよ」


 八朔はっさく刑事は、腕組みをして首をひねりながら考えた。


「うーん、でもなあ……悪いけど、またにするよ」


 丁番ちょうつがいコトリは、うんざりしながら吐き捨てた。


「ホンマ、薄情な常連さんや! もうええです! 次のは出禁です! はっさんは、もう『ビストロたくみ』を出禁です!

 ワンコさんが常連になってくれましたから、次のからは、経営は安定すると思います! ほなさいなら!!」


 丁番ちょうつがいコトリは、自身の憧れで目標のアイドル、頑固のワンコのように、圧の強いニコニコとした笑顔を作っておじぎをすると、きびすを返してとっとと帰ろうとした。


「おいおい、出禁だけは勘弁してくれよ! わかった、行く、行く!

 今日はもう上がりだから、そのままコトリちゃんについて行く!!」


 丁番ちょうつがいコトリは、再びきびすをかえすと、八朔はっさく刑事にニコニコと微笑んだ。


「さっすが、はっさんや! ほんなら今日は、久々の同伴どうはんや!」 


 ・

 ・

 ・



 丁番ちょうつがいコトリは、八朔はっさく刑事をともなって、薄暗い夜の新宿公園をスタスタと歩いていた。


 新宿しんじゅく署から安楽庵あんらくあん探偵事務所までは、すこぶる交通の弁が悪い。かといって、タクシーを使うのもはばかれる距離だった。とはいえ、普通なら、うら若い女性がこんな薄暗い公園を歩くわけにもいかない。


 丁番ちょうつがいコトリが夜の新宿公園を歩くのは、八朔はっさく刑事をともなって、安楽庵あんらくあん探偵事務所……正確には『ビストロたくみ』のホールスタッフのバイトに出勤する時だけだった。


 公園を抜けると、信号の下に一件のコンビニが見えてきた。

 そこの角を曲がると、安楽庵あんらくあん探偵事務所はもうすぐだ。


「そうや、先生にお土産買って行こう! ちょっとまっとって下さい」


 そう言うなり、丁番ちょうつがいコトリがコンビニにダッシュしていった。


 八朔はっさく刑事は、コンビニに消える丁番ちょうつがいコトリを見ながら、すぐ横にあった自動販売機でホットのブラック缶コーヒーを買った。手袋をしていないかじかんだ手をじんわり温めると、缶の蓋を開けてコーヒーをすすりながら、ちびちびと歩みをすすめた。


 八朔はっさく刑事が、コンビニの前についた時、丁度ちょうど自動ドアが開いて、丁番ちょうつがいコトリがニコニコしながら出てきた。


「先生へのおみやげに、フライドポテトを買いました。塩味と、フレンチサラダ味、あと、なんや期間限定のスパイシー? らしいです。『知らない味』です」


「スパイシー? 所長って、辛いもの苦手じゃなかったっけ?」


 八朔はっさく刑事がたずねると、丁番ちょうつがいコトリはあっけらかんと答えた。


「先生はじゃがいもだったら、少しくらい辛かったり苦かったりしても平気です。でも酸っぱいのはガチでだめです。リアルガチでだめです。せやから、フレンチサラダ味はわたしのオヤツです」


「へー」


 八朔はっさく刑事は、適当な相槌をうった。


 丁番ちょうつがいコトリと八朔はっさく刑事は、再びならんで安楽庵あんらく探偵事務所に向かって行った。




_________________________


幕間劇


 こんにちは。丁番ちょうつがいコトリです。

 ここまで、お読みいただきありがとうございます。めっちゃうれしいです。


 なんや訳わからん話ですみません。

 あ、ちなみに、わたしがさっきが使つこうとった、人差し指で先生のおしりの少し上を押すんは、魔法でもスキルでもありません。


 なんや、わたしがまだちぃちゃい頃にテレビ番組で見た「スゴ技」です。

 これでわたしは、よくおじいちゃんを押してあげてました。坂道とか階段を登るんには、めっちゃ便利です。是非使ってみて下さい!


 でもって、毎度毎度ですけど、お約束をうときます!


【この小説はフィクションです】

*実在の人物や団体、並びに実在のweb小説とは関係ありません。


 毎回毎回、ギリギリやったり、ギリギリアウトやったりしとるけど、今回は絶対に完全に、いっさいがっさい何も関係ありません。

 そこんとこ、キッパリはっきりうときます。何卒、よろしくお願いします。

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