後書 紀行文の肉感
ひとつの作品を書き上げた後に残る寂寥感というのは心に堪えるものである。文芸という世界に足を踏み入れたばかりの私はあとがきを残すようなことはなかったが、それは同時に残す必要がなかったということでもある。即ち、当時は前だけを向いて書くことができ、振り返るよりも先に次の文章が出てきたということでもある。だからこそ、寂寥感よりも先に希望の方が前に出て来て追い抜いていた。それが学生時代を経て社会に人ともなると、一つの世界を綴じることに寂しさを感じるようになり、おいそれと遅筆となったことで次の文章が出るのも遅くなり、こうしたあとがきを書いて自慰に耽らなければ耐えられなくなってしまっている。頭の中では次の旅路を描きながら、でありながら。
ところで、この平成から令和に移る八日間に過ごした世界を書くというのは旅立ち前から既に決めていた。あくまでも譲位に伴う変化でしかなく、年号が変わるということに対して大きな感傷があるわけではない。とはいえ、これだけの休暇を得た以上は、知らない世界を覗きたいという欲望が頭を擡げ、知った以上は書くのが当然であるという思いがあっただけである。だからこそ、長年の願いであった東北へ
だからこそ、思いがけない出会いもあり、歓喜も落胆も驚愕も平生も、すべての感情が生々しく生まれた。予定こそ未定であったものの、どこへ行ってもいいように予習をしてはいた。ただ、その座学がいかに無意味であるかを感じるまでに一日も必要としなかった。そうした意味では水戸での立ち食い蕎麦喰い逃し事件が転機であったのかもしれない。当たり前や常識というのは全くの埒外であり、そうしたものを纏めて駅のごみ箱に捨てて進むこととなった。
この決断が英断となり、浪江での散策や平泉での諦観に繋がった。その分、文章にする際には常識的な旅路から外れてしまうため、どのように映すかを相当考えさせられた。そして、旅の最中には文章の組み立てを始めていたのであるが、浅草の酒屋での出会いが枠組みをはっきりとさせた。第六段と七段との間で色合いを変えることも、この時におよそ決まったと言える。この駄文を書きながらでも脳裏にくっきりと映し出される程の影響を与えた親父さんにもう一度お会いして酒を買い求めたいという欲は高まるばかりである。それまでご健勝であれという私の我儘は三百里近く離れた地に届いているだろうか。
それにしても、この拙文は私にとっては大胆すぎる挑戦をした作品でもある。まず以って、初めて原稿用紙二枚の縛りを四枚に変えて全ての章段を書き上げた。既に、前後して書いている作品にて千六百文字の区切りには挑戦していたもの、それを一編で通し切るというのは勇気が要った。長年続けてきたことを変えるというのは、やはり手間取るものである。また、序段を廃したというのもこの作品の特徴となるであろう。戸惑われたり怒られたりする方もいらっしゃるかもしれない。それでも、改めて見返せばこの文に序段を突けることは不可能ごとだと感じる。怒涛の如く駆け抜けた八日間を描き上げるにはこれ以外の書き方が今はもう思いつかないのである。
さて、ここで一つだけ種明かしをすると、私が草加を訪ねたのは文を書く身としての自分を再確認するのが目的であった。高校生の頃に書いた拙文を奥の細道ジュニア文学賞にて表彰していただき、それ以降は書くことに悩み続けていた。上手く書き表せないもどかしさと自分の限界とに挟まれながらの執筆が続いており、立ち止まってしまっていた。その身に命の息吹を吹き込んでくれたのはやはり草加の地であった。これからも不易流行と対しながら、芭蕉を愛した故キーン氏に敬意を表しつつ書き続けたい。
梅雨空に故キーン氏を偲ぶ 二〇一九年六月
徒然なるままに~草青〜陸奥・江戸の旅 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru
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