第九段 終点~江戸
浅草演芸ホールが近くにあることは気づいており、寄席に行きたいという欲は十分に高まっていた。しかし、柳家さん喬師匠が出られると知って、矢も楯もたまらなくなった。五月の上旬の公演はひどく豪華であり、なんといっても三遊亭歌之助師匠改め圓歌師匠が襲名披露公演の真っただ中というのに昼の部の真ん中で短く話をされている。これだけで期待が膨らむというものであるが、実はこの日の主任はさん喬師匠ではなく、林家木久扇師匠である。これを期待していらした方が大半を占めるのであろうが、私は旅程の都合もあり、さん喬師匠を拝聴しての退館となった。
それにしても、照明や緞帳などは文明の利器であるものの、寄席の舞台はあくまでも座布団の上であり、その上に正座する噺家は着物に扇子に手拭いだけでこの空間を江戸に染め上げてしまう。ただ、これは噺家単独で描くものではなく、聞き手の妄想力を借りて初めて成り立っている。この日は子供の日ということもあってか、子供が多くみられたが、立ち見の傍で彼らは疲れた顔を抱え、座り込んでしまっている。即物的な音楽や映像に慣れ親しんだ今の子供達ではそれが難しいのかもしれない。そのような中で短くした真田小僧をやるさん喬師匠は小遣いをせびる嫌味な子供をこの世に招く。そして、サゲの瞬間に小遣いをせびる親父を描き切って、私の背筋を見事に凍らせたのであった。
常に子は 未来を追うと 白昼夢 鏡を見よと 笑う
この日を含め、私は三日続けて並木の藪に通った。この店では初日から好ましい給仕を受けたのであるが、二日目にして連日ありがとうございます、三日目にして毎度ありがとうございます、とこの旅人には分不相応な待遇を受けるという僥倖を得た。無論、味については語るまでもなくよい。姿勢を正してもりを手早く手繰れば、引き締まった汁と口腔を満たす蕎麦の香りに幸福がすぐに押し寄せる。酒が樽酒であることも好ましく、また、酒肴も奇を衒ったものは一つもない。思わず女中の方にお品書きはこれだけですかと尋ねたほど。時節柄鴨南蛮もなく、酒肴としては並みの居酒屋であれば寂しいものばかりである。ただ、蕎麦屋としてはこれ以上ないほどに完成されており、いずれの酒肴も黄金に輝くのではなく、銀色の好ましい光を放っていた。ただ、これは甲殻類でアレルギーを起こす私に限った話であり、天婦羅があればそれだけで独演会が開けたはずである。特に、小海老の摘み揚げは美しく、それを単なるかき揚げと混同して食べる客に歯ぎしりしつつ、花巻の芳香を慰みにするより外になかった。
それにしても、この並木の藪では勘定のみをする淑女がいらっしゃる。花番と比べれば、無駄を削減しようとする今の世に不釣り合いとも言える。ただ、ある意味ではこの冗長がここが並木藪たる所以なのかもしれない。そのようなことを考えながら蕎麦湯を猪口に注げば、店主の見事な仕事ぶりが私を魅了した。
江戸の風 今に残して
思い返せば、英語の品書きを用意しながらも、食べ方の説明はない。野暮と知りつつ拙い英語でお伝えしたが、外国の方にも等しく応じるのは一つの在り方なのかもしれない。
そして、千住に至る。この地で芭蕉は門下の人々に見送られながら、死出の旅をも覚悟して陸奥へと向かった。行く春やの句で有名であるが、今ではその旅も気軽なものへと変わり、道も舗装されて味気ないものとなった。そして、矢立の初めの地に近いすさのお神社では、その再興の歴史も知らぬ巫女が御朱印をのみ求める参拝者にせっせと対応していた。
旅の終わりに残る寂寥感というのは格別であるはずなのであるが、この時ばかりは次の夢路へと心が既に向いていた。
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