義弟に監禁されました

鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中

義弟に監禁されました


 妻の一周忌を終えた翌日、義理の弟に監禁された。


「おはようございます、たける義兄にいさん」


 手足を拘束されてベッドに転がる俺を、今年で二十四歳になる四つ下の義弟、瑞樹みずきが椅子に腰かけてニコニコしながら眺めている。


「おはよう瑞樹くん。って新手のドッキリ?」

「手枷ですか? 実はそれ、手作りなんです。義兄さんを縛り付けるものが他人の作った既製品だなんて、許し難くて」

「うーんちょっと驚きの方向性が違うなあ」

「手枷と同じ革で首輪も作ったんですよ。寝苦しいかと思って今は付けてないんですが、後で持ってきますね」

「お気遣いどーも、じゃなくてね。ここ君の部屋? 何で俺は君に捕まってるのかな?」


 寝転がったまま見渡せば、明らかに自分の部屋ではない。仰向けに寝転がった右手の窓からは日が差し、左手には瑞樹の身体越しにカウンター付きキッチンと、玄関に続く廊下への扉が見える。

 足の方には別室に続くドアがあり、その両脇にたたずむ本棚にはジャンルを問わずに本がみっちり。入りきらなかった本が床に積まれ、危うい均衡を保ったまま何本もの塔を作り上げていた。


「はい、向こうの家で酔いつぶれた義兄さんを運ばせてもらいました」

「介抱するのに拘束はいらねえよな?」

「ごめんなさい。他に、引き留める方法が思いつかなかったので」


 何とも意味ありげな意味わからん台詞を吐かれ、思わず首を傾げる。それを見た瑞樹の眉がほんのちょっと下がった。


「僕と健さんって、姉さんがいなかったら赤の他人じゃないですか」

「まあー……そうだね」

「普段から付き合いが有る訳でもないですし、姉さんの一周忌も終わって、これからもっと疎遠になるじゃないですか」

「そうだねえ……」

「……僕が女の子だったら、まだ他に方法があったと思うんですけど。僕にはこれしか思いつかなかったんです。健さんとは、姉さん以外の接点がないので」


 言わんとすることを何となく察してしまった。いや、正直ベッドに転がされていた時点でそんな気はしてたけども。


「つまりアレ? 瑞樹くんは俺が好きって事?」


 瑞樹は何も言わなかった。笑ったままジッと俺を見下ろしている。


 さてどうするか。足は動かせない。手は、身体の前で拘束されてるから振り回して殴るとか、目を離した隙に足枷を外すとかは出来そうだ。


 ただ、隙を突いて脱出したとして、その後どうするって話。瑞樹には職場も家も割れてる。


 なら、ここで向き合って何かしらの結論を出す方が良い。


「瑞樹くんが俺としたいのはわかった。じゃあ一先ひとま拘束コレは外してほしいなあ」

「丹精込めて作ったので、もう少し付けててください」

「もう充分堪能しましたっての。それにお互いの意思を尊重するのが、良い関係を築く第一歩じゃあないかな」


「……それが出来たら、こんなことしませんよ」


 あ、ヤベえ。と思った時には遅かった。笑みを浮かべたまま瑞樹はイスから立ち上がり、俺の上に覆いかぶさる。


「気持ちを正直に打ち明けた所で、僕が望むような関係には、なれないし、なる気ないでしょう?」

「いやいや初手から諦めてたら叶うモンも叶わないよ? 落ち着こ? あ、ちょ、近――」


 い、まで言い切る前に勢いよくキスされた。あまりの勢いにガヂン、と音を立ててお互いの歯がぶつかる。痛え。


「痛……」


 瑞樹も相当痛かったようで、口元を覆いながら俺から離れる。痛みが治まった頃合いを見て、俺は彼に話しかけた。


「……瑞樹くん、ちょっとお話しよう? 暴力は洒落にならんし、俺も警察沙汰にはしたくない」

「……通報しても良いですよ。困る家族も、もういない」


 自嘲を隠そうともせずに、瑞樹はそう言い捨てる。

 彼の祖父母はすでに亡く、両親は幼い頃に事故で他界。俺の妻、夏樹なつきだけが彼に残った唯一の家族だった。

 俺と結婚するまでずっと、夏樹と二人で一緒に暮らしていたと聞いている。


「俺が困るよ、瑞樹くん。さっき赤の他人って言っておいてなんだけどさ、俺、瑞樹くんの事そこまで無関心になれないよ」

「僕が『姉さんの弟』だから、ですよね」

「否定はしない。でも君は、?」


 瑞樹は何も言わなかった。俺を見下ろすその顔に、驚愕の表情を浮かべている。


 片想いこじらせて暴走しただけじゃないのは、さっきのやり取りで確信した。


 性的な暴行が目的なら、通報されても良い、の後に『周りに知られてもいいなら』とか『刑務所なんてすぐに出てやる』とか、そういう脅し文句が出るはずだ。


 『困る相手は居ない』って言うのは、自殺者とか、立て籠もり犯とかの台詞。社会から孤立して、追い詰められた人間の思考だ。


「瑞樹くんは、どうして俺を引き留めたいの? それが分からないと、俺もどうしていいか分からないんだ。言葉に出来る所だけでいいから、教えて欲しいな」


 長い沈黙が、俺と瑞樹の間に流れる。外を通る車の音だけが部屋の中に響いていた。

 やがて瑞樹は、俺を見つめたまま、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。


「――……健さんは、虚しくなったりしませんか?」


 俺は瑞樹を見つめたままジッと、彼の言葉を待った。


「姉さんはもう戻らないのに、姉さんとの思い出が詰まった家に帰らなきゃいけないのは、住み続けなきゃいけないのは、虚しくありませんか?」

「……瑞樹くんは、この部屋で夏樹と暮らしてたんだっけ」


 瑞樹はコクリと頷いた。


「引っ越そうかとも考えたんですけど、出来ませんでした。姉さんとずっと、二人でこの部屋に暮らしてましたから。姉さんと過ごした時間を、誰かに上書きされるなんて冗談じゃない」


 彼はそう言って、キッチンの方に目を向ける。夏樹は料理が好きだった。ここで暮らしていた時も、腕を振るっていたのだろう。


「でも、この部屋で過ごせば過ごすほど、思い知らされるんです。姉さんはもう帰らないんだって。僕はもう、一人なんだって。


 この先ずっと一人でこんな気持ちのまま、この部屋で暮らしていかなきゃ行けないのかと思ったら、耐え切れませんでした」


 瑞樹の視線が、俺の顔に戻った。


「だから健さんを攫ったんです――姉さんはもう、僕とあなたの間にしかいませんから」


 言い終えた瑞樹は再び覆いかぶさって俺を抱きしめる。成人男性の平均体重と決して弱くはない腕力で全身が圧迫されて息苦しい。


 彼の言葉を整理して、噛み砕いて。ふう、とひとつ息を吐いてから、口を開いた。


「んーと確認したいんだけどさ……まず瑞樹くんが俺を監禁したのは、『夏樹との思い出を共有したいから』でオーケー?」

「……下心がないわけじゃないですよ」

「それは一旦置いといて、結論だけ先に言おう。週一くらいでお泊り会しない?」

「お泊り会」

「瑞樹くんが言ってたこと、俺にも当てはまるからさ」


 思いでの詰まった家に一人で暮らすのは、虚しい。


 二人で暮らしていた時に出来ていた家事や片づけが出来なくなったし、DVDを借りて観ても以前のように夢中になれない。

 部屋の隅にはホコリが溜まり、洗濯物も脱ぎ散らかしたまま。夏樹の分まで楽しく生きようと意気込んでは見たけれど、最近では何もしないで寝てばかりの日が増えて来た。


 なんのやる気も起きなくて、何をしても楽しくなくて、それなのに愛しくて離れがたい。


 そんな場所で一人生きていく事の虚しさは、理解できるつもりだ。


「せっかく愛着のあるおうちで過ごすんだ。楽しい時間にしたいだろ? なあにお互い似た者同士だ。仲良くしようぜ、――……なんてな」

「……フフッ。健さん、僕としてくれるんですか?」

「おっとあくまでメンタルケアが第一だからな? 健全な精神は、健全な生活から! という訳で、そろそろ解放してくれない?」

「……もう少し堪能しかったんですが、仕方ないですね」


 瑞樹は俺の上から身体を起こし、本当に渋々と言った体で拘束を外した。


「ごめんなさい。色々とご迷惑をおかけしました」

「うん、これからは実力行使より先に相談しようね? お義兄にいさんとの約束だよ?」

「はい。これからは、同意の上で事に及びます」


 解放された手首をさすっていた俺の耳に、何か今すごく聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。


「瑞樹くんちょっと? え? もう俺を拘束する理由ないよね?」

「それと下心とは別って言ったのは、健さんですよ」

「……え、そっちマジだったの? 俺を監禁する方便じゃなくて、マジだったの!?」


 瑞樹は何も言わなかった。彼はおもむろにベッドから離れて別室に向かうと、手に短い紐のようなものを持ってきた。


「何それ、いや、まさか」

「首輪です。これなら普段使いも出来ますよ」


 あまりの現実に硬直していた俺の後ろに素早く回り込んだ瑞樹は、あっという間に俺に首輪を着けてしまった。


「健さん、今日は泊まって行かれますよね?」

「い、いやその」

「お仕事、おやすみでしょう? 昨日も酔いつぶれるまで飲んだんですから、無理しないで下さい」

「ひょわ」


 耳の裏にムチ、と柔らかな何かが押し付けられた。いや、何かは察せるけども勘弁してほしい。


「朝ご飯用意しますね。食べられないものありますか?」

「…………特にないんで、お任せで」


 有無を言わせぬ圧力を讃えた笑顔の前に、俺は何も言えなかった。少しして、トン、トン、と包丁の音がキッチンから聞こえる。

 一年ぶりの、他人の生活音。誰かが俺に飯を作ってくれる音。


「……まあ、なるようになれ、だな」


 俺はそう独り言ちてベッドから降り、瑞樹に声を掛けた。


「なあ、テーブル拭く布巾ってどこ?」


 義弟の作った手作りの首輪は、付けているのも忘れそうなほど俺の首にピッタリだった。

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