今夜、夜空をかけて会いに行く

桜ウサギ

第1話



『もしもし、りぃちゃん?』

「もしもーし、聞こえてるよ。」


 いつも早寝な彼はこの日だけは必ず日付が変わるまで起きている。それだけで今日は彼にとっても特別な日なんだと、少しだけ嬉しくなる。


「今ね、ベランダに出て空を見てるの。そっちの天気はどう?」

『ちょいまち、確認確認っと。…………うーん、そこそこ曇ってる。そっちは?』

「綺麗な満月だよ。写真送ろっか?」

『え、いいなみたい。でもスマホのカメラってあんま綺麗に見えないよねぇ』

「あーー、分かる。やっぱり肉眼がいいわ」

『視覚共有、って言うの?そういうの欲しい。りぃちゃんまだ外にいるの?早く家はいりな?』

「んー、後ちょっと」


 梅の花が咲きヒヤシンスの蕾が膨れて、暖かい風が吹き込む日中にコートはもう不釣り合いだ。でも、夜は遠のいた冬が戻ってきたみたいに冷たい風が吹いていてちょっぴり肌寒い。春はまだまだ遠い。


『何考えてる?』

「……別に」


 去年の今日は二人で過ごしていた。今年だってそうなる筈だったのに。


「電話してたらさ離れてても近くにいるように感じられる。凄いよね」

『現代科学の勝利』

「それな。あと数十年後には本当に何処にでもひとっ飛びできるようになるかもね」

『あー、分かる。未来に期待。俺たちが生きてる間に頼む』

「そうそう。できれば……」


出来れば今すぐ会いたい。


 そう言いたいのに、肝心の言葉が喉の奥に引っかかってなかなか出てこない。少しの間、沈黙が流れる。貴重な時間を無駄にしてしまう、ただでさえ時間が無いのに。慌てて別のことを話そうとするよりも先に、彼が口を開いた。


『あのね、りぃちゃん。会いに行くよ。今すぐには無理でも必ず君に会いに行くから。そんな辛そうな顔しないで』

「……くさい台詞。そんなの流行りのドラマでも言わないわ。顔だって見えないくせに」

『だって本当の事だから。それにりぃちゃんの顔が見えなくったってどんな表情してるか想像できるよ。んーとね…………凄い不細工な顔』

「今ちょっといい雰囲気だったよね?なんでそれぶち壊していくの??」

『いや、なんか言わなきゃって思った。ごめんね』

「心のこもってない謝罪はノーサンキュー。出直してきな」

『手厳しい』


 彼の軽口に思わずくすくすと笑ってしまった。電話口でも彼が笑っている声が聞こえてくる。彼は優しい。言葉に詰まってしまった時は何時もこうやって話しやすいようにしてくれる。そのさり気ない気遣いに何度救われた分からない。優しさを、愛を、惜しげも無く与えてくれる彼に何か返したくてほんのひと握りの勇気を振り絞る。


「……私もね、会いたかったの。今日だけは会いたかった。傍に、いて欲しかった」

『うん』

「……悔しいなぁ」


 顔を上げる。夜空をバックに大きな満月と星々が煌めく。去年彼とみた空の色はちっとも変わったようには見えない。でもこの一年で、世界は大きく姿を変えた。

 誰も、何も悪くない。今は我慢しなくちゃいけないのは分かってる。我慢しているのはなにも自分だけじゃない。でも、今日くらいは文句を言いたくなる。


ああ神様はとっても意地悪だ。


『俺だってりぃちゃんに会いたいよ。でもね、会えなくったって俺はりぃちゃんが好きだよ。それは離れてたって変わらない。こうして同じ空の下にいて、同じものを見ているだけで幸せだって思えるんだ』

「……外にいるの?」

『うん、丁度雲の隙間から月が見えるよ。満月だね。りぃちゃんだけ外に出しておけないもの』


バレてた。


『寒いから早く家に入ってっていったのに』

「あはは、ごめんごめん」


 むくれた彼を宥めながら横目で室内の時計を確認する。

日付が変わるまであと1分。待ち遠しい。早く、早く──


30秒


まだダメ。


20秒


まだ、まだ少し。


10秒、9、8、7────


4





息を吸い込む。





3







2








1




「春斗、お……」

『誕生日おめでとう。凛ちゃん』

「ちょ!私が先に言おうと思ってたのに!!!」

『へへ!言ったもん勝ちですー!!』

「あー、また先を越された!生意気!春斗のクセに!」

『今年も俺の方が早かった!』

「くやしぃー!」

『ふふん。まだまだだね、りぃちゃん』


 電話越しでもよく分かる。絶対に彼は得意げな顔をしている。言祝ぎの言葉は全戦全敗。次こそは次こそはと気合いを入れるのに一度として春斗に勝てた試しがないのだ。

 大学が一緒で、生まれた日が同じで、好きな物も似ていて、そうやって意気投合して一緒にいるのが普通になって、気がついたら付き合っていた。

 就職は彼は東京で仕事をみつけ、自分は地方で仕事に就いた。そこでしか出来ないやりたいことがあったから。彼は何も言わなかったし、自分も何も言わなかった。


 付き合って始めて、一緒に過ごさない誕生日。それは初めて彼が会いに来れない日。


でも、それがどうしたというのだ。


次に会える日を楽しみに、今日も、明日も生きていけばいい。


春はまだまだ遠い。でも、来ないわけじゃないのだから。


『誕生日おめでとう凛ちゃん』

「春斗こそ、お誕生日おめでとう」







来年は、きっと微笑みあえると願って。

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今夜、夜空をかけて会いに行く 桜ウサギ @kamonohasi1222

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