Fairies sandwiches~妖精サンドの日常~
長月そら葉
例えこんな日々だとしても
――カランカラン
「いらっしゃいませ! ようこそ、Fairies sandwichesへ」
これは、このお店『Fairies sandwiches-妖精のサンドイッチ-』お決まりのお客様を迎える挨拶だ。常連さんは「フェアリーサンド」と呼んでいる。
数年前まで、この挨拶を一日に何度言えばいいの? と呆れたくなるくらいには言って来た。けれど、この頃はこの挨拶を言う機会はめっきり減っている。
原因はわかっている。世界中で猛威を振るう、新型コロナウイルスだ。
誰もがこの未知のウイルスへの対処方法がわからなくて怯え、正しいかもわからないことを試してきた。最近はマスクと手洗いうがい、換気を心掛けようという風潮だけれど。そのお蔭か、最近はインフルエンザになる人も減っているらしい。
わたし―
なのに……。
「暇ぁ~」
「瑞月、声に出てるよ」
「あ。ごめんなさい、
思わず声に出てたみたい。わたしの失態を苦笑いで指摘したのは、先輩の男性社員である
坊主頭かと思うくらいには髪が短く、パン職人というよりも板前さんの方が似合うと思う。本人もその自覚はあるらしく、時々「俺、転職したら板前の修業しようかな」なんて言うこともあるくらい。
「瑞月がそんなこと言うのも仕方ないわよ。お客様、一時間前に来られたあの常連のご夫婦だけじゃない」
「そうは言うけどさ、レジで
「それは間違いないわ。気を抜き過ぎないでね、瑞月」
「すみません、
売り場で商品を整理していた
長くストレートな黒髪をお団子にして、店の帽子の中に入れている。容姿端麗で綺麗な顔立ちをしているから、近所の男子大学生や若い男性のファンが多い。わたしみたいな童顔で背も平均より低い女には羨ましい。
「優人さん、下ごしらえ終わりましたよ」
「ありがとう、
「いえ。ちゃんとできてるか、確認お願いします」
「わかった」
優人さんを呼びに来たのは、わたしの唯一の後輩である
少し人見知りなのか、直属の上司である優人さん以外とはあまり目を合わせてくれない。わたしも唯一の後輩と仲良くしたけど、これは時間をかけるべきかな。
優人さんと海翔くんがキッチンに戻ると、店内は再び静かになる。
ここは、町中にある小さなサンドイッチ専門店。コッペパンサンドや普通のサンドイッチ、果てはホットドッグやフルーツサンドも売っている。
この県内に、店は十数軒。社長はこの町の出身で、地元を盛り上げたいと幼い頃から好きだったサンドイッチの店を開いたんだって。
サンドイッチ用のパンは、全て店内で手作りしている。その柔らかいパンと中身の相性は抜群で、テレビで紹介されたこともあるんだ。
わたしが暇だと思いつつもトレイを洗ったり伝票の整理をしたりしていると、レジの奥に置いている端末が「ポーン」と音をたてる。
「来た。えーっと……卵サンドとツナサンド、それからコッペパンサンドの苺デラックスか」
時刻は11時半。お昼ご飯用かな。
さらさらと注文内容をメモし、レジに打ち込む。レシートを出して、キッチンに注文を伝えた。
数分後。商品が出来上がり、それらを専用の紙箱に詰める。この瞬間が、わたしは一番緊張する。だってお客様はこの箱を開けて、その日のパンを初めて見るんだから。
「こんにちは。フーデリです」
「こんにちは。これ、お願いします」
「承りました」
フーデリ。最近この店と契約した、食品宅配サービスの名前だ。
もともと宅配サービスなんてしていなかったけれど、お家時間ということで家で仕事をしたり授業を受けたりする人が増えた。更に外出自粛の影響で、こんな小さな店にはお客さんがあまり来なくなってしまった。
外食産業はもっと大変かもしれないな。でも、わたしたちみたいな店も大変なの。
その影響を極力抑えようと、導入したのがこのサービス。お家時間でもこの店のサンドイッチを楽しんで欲しいっていう、社長や店長の思いね。
今、売り上げの六割はこれじゃないかな。良いのか悪いのか定かではないけど。
最初は複雑な気持ちだった。
だって、店にはお客様はいないけど、お家で宅配されるのを待っている人はいるんだよ? なら、店に来て欲しいじゃない。
でも、それはわたしの個人的な我儘。わかってる。みんな、わからないから怖いんだもの。それに、感染を防げるなら防ぎたいからね。
だから今は、宅配のパンにはメッセージカードをつけている。これはわたしか明華さんが書くんだけど、パンの説明やお店の宣伝、新商品の情報を載せることもある。
何より、手書きを大切に。全てが落ち着いたら、来店してもらえるように。
あなたのお家時間が少しでも明るいものになりますように。そんな願いを込めて。
フーデリの宅配員さんを見送って、わたしは「よし」と気合を入れた。
海翔くんは、優人さんと一緒に新商品を開発中だ。お家時間を楽しめるサンドイッチを作り出すんだって、目を輝かせていた。
明華さんは、お店を綺麗にすることに余念がない。ディスプレイには季節の小物を置いて、少しでも買い物が楽しくなるようにと気を使っている。窓ガラスにも動物やパンのシールを貼って、楽しい雰囲気を演出している。勿論、消毒液や密を避ける表示もきちんとあるんだよ。
そしてわたしは、少ないお客様であっても笑顔で接客をするって決めている。
どんなに暇でも、どんなに忙しくても。そのお客様にとっては、わたしとの出会いはその一度きりかもしれないから。
お客様が仕事場で食べるのか、お家で食べるのか、外で食べるのかはわからない。でも、どの場面であっても楽しいご飯の時間を過ごせるように。
マスク姿であっても、声と表情でわたしの気持ちを伝えたい。だから今日も、わたしはお店に立ち続ける。
――カランカラン
さあ、小さなお嬢さんのご来店だ。流行りのマンガリスペクトのマスクが可愛い。
わたしは目じりを下げ、精一杯の明るい声で迎え入れる。
「いらっしゃいませ! ようこそ、Fairies sandwichesへ」
Fairies sandwiches~妖精サンドの日常~ 長月そら葉 @so25r-a
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