片恋少女のバレンタイン

そのへんにいるありさん

片恋少女のバレンタイン

 私の長きにわたる片想いで、少しだけ勇気を出した話をしたい。

「青山くん、食べられないものとかある?」

 二月十六日。この日、私の計画は始まったのです。


「卒業式する前に、お世話になった人にお菓子を配りたいの」

 ものぐさな私が急にそんなことを言うから、母は不思議に思ったかもしれない。第一志望の大学に合格通知をもらい、週に一度だけ学校へ行く日が続いている最中のことだった。

「担任の先生にお礼がしたくて。他にも友だちとか」

 嘘ではない。だけど、これはカモフラージュだった。


「紅茶味かイチゴジャムのクッキーを作ろうと思ってるんだけど、きらい?」

 これは、三日三晩考えた誘い文句だ。この言葉を投げかけた相手はほぼ100パーセントの確率で「嫌いじゃない」と返す。柔らかなイメージを与えるため、変換を甘くして平仮名で投げかけるのがポイント。

 私の釣り竿に、青山くんはすんなりと食いついた。よくやった、私。

 その夜、私はスマホを駆使して最強のレシピを探し出した。その名も「魅惑の紅茶クッキー」。みるからに妖しくて危険な香りがする。これを使えば、青山くんを……。なんて妄想してみたり。

 作り方はとても簡単。マーガリンに砂糖、薄力粉に紅茶葉をまぜる。棒状に伸ばして冷蔵庫で冷やす。包丁で切って一口サイズの生地を百七十度に余熱したオーブンで十五分こんがりと焼く。不器用な私でも難なくこなせる作業だ。

「いい匂いがするね」

 仕事から帰宅した母がキッチンへ顔を見せた。

「もう少しで完成するよ」

 美味しくできるといいな。

 焼きあがったクッキーは生地より一回り大きく膨らんでいた。かじるとサクッと良い音が鳴る。成功だ。紅茶の風味がゆっくりと鼻を抜け、アールグレイの高潔な香りに酔いしれる。


 高二の春、私は恋をした。


 あれは、一目惚れなんかじゃなかった。隣の席に座った君に、私はまだ恋をしていなかった。ぼんやりと窓の外を眺めている君がひどく不真面目に思えて、嫌だなあとさえ思った。

 英語の小テスト。君の丸をつけたのは私で、私のは君が。授業を聞いていた私の方が少し多く正解していた。なぐり書きの名前は酷く不揃いで、辛うじて読めるものだった。

「青山 悠介」

 知らないな。まあ、私は交友関係も狭い方だし当然かも。

 生物の授業にも君はいた。一番後ろの席でやっぱり頬杖をついて。用もないのに何度も振り向いてしまう。

 そして、国語の授業にも。一人挟んだ又隣。君の横顔を見つめてしまうのは何故だろう。次の日もその次も。君のことを目で追っている。そうやって毎日が過ぎていった。

 私、青山くんが好きなのかも。答えは直ぐに出た。本当に?だなんて言葉を繰り返し自分へ投げかける。そうしてしっかり確認した気持ちを持って、私はコツコツと努力を重ねた。


 懐かしいなあ。あの後、私から声を掛けて少し話したんだ。居眠りをしていた彼にノートを写させてあげて、提出期限の過ぎた宿題に口添えしてやったりして。

 手作りのクッキーは喜んでくれるかな。

「はい、どうぞ」

 恥ずかしくてそれしか言えなかった。放課後の靴箱。周りの目から逃げるように渡したそれを青山くんはどう思ったかな。


 好きです、青山くん。


 そう言えたらよかったんだけど。丸とも四角とも分からない不格好な形。私の気持ち。少しでも伝わるといいな。



 二月二十六日。久しぶりに見た顔にドキリと心臓が跳ねる。短い前髪を少し横に流しているのがとても格好いい。距離があるのをいいことにじーっと見とれていた私に、青山くんが話しかけてきた。

「三月は会えないかもしれないから、ホワイトデー」

 夢かと思った。茶色の紙袋を無造作に差し出す仕草に胸がぎゅっとなった。

「あ、ありがとう」

 口下手だって知ってる。だからこれで十分だった。嬉しさでいっぱいでその日の記憶はあまり無い。


 家で秘密のティータイム。包装紙をそうっと開けると甘くて優しい香りがする。

 あれ。そういえば私、青山くんにクッキーを渡すとき、「バレンタインのお菓子」って伝えたっけ?いいや、伝えてない。あの日はなんにも言えなかったんだから。じゃあさ、なんで分かったんだろう?日にちも過ぎてたし、ほんの少しとはいえ他の人にも配ったし、そもそもチョコレートじゃないし。

 いろんな可能性を考えて、嬉しくて恥ずかしくてどうにかなってしまいそう。

 青山くんからの、ちょっぴり早いホワイトデー。二年間大切にあたためてきた想いへのこたえ。このチョコレートにどんな意味を込めてくれたんだろう。私の気持ちには気づいてたの?期待に胸を膨らませ、ひとつパクリ。

 ああ、なんて美味しいんだろう。間違いなく、今までで一番の味。きっと、これから食べるどんな高級なチョコレートだってこれには敵わない。これは世界でたった一人のあなたから、あなたを大好きな私に贈られた特別な味。

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