第140話
「今回こそ八つ橋以外!」
東京駅で太陽は、スマホを見ながら苦笑していた。
鈴里からの連絡だった。お土産の催促である。
「百合草さんもしょっちゅう東京来てるだろうになあ」
ぶつくさ言いながら、何がいいかと物色する。
賞金が貰えたので、新幹線で帰ることにした。お土産の予算も増えた。それはそれで迷う原因となる。
「これは鈴里さんで……これは……」
太陽はいくつもの箱を抱えて、レジに向かった。
「久しぶり」
「太陽……」
畑仕事の手を止め、太陽の方を見つめる男。久々に見る息子の顔に、なかなか次の言葉が出てこなかった。
「元気にしてた?」
「あ、ああ。お前はどうだ」
「元気だよ。東京行ってきたんだ」
「そうか」
父親は帽子を脱いで、太陽を手招きした。二人は、家の中へと入っていく。
名古屋から約一時間電車に揺られ、そこからローカル線に乗り換えて二十分。さらに三十分歩いたところに纐纈家はあった。畑は広いが、家は大きくない。近所には何件か親戚の家があり、太陽の曽祖父が戦後「親戚に何とか譲ってもらった」土地だった。
太陽は一人でここに来たのは初めてだった。母親は、ここに来るのを嫌がった。山間の集落は、「逃げ場のなさを感じる」と言っていた。
「ばあちゃんが入院しているから、誰もおらん」
父親は、麦茶をコップに注ぐ。
「ちゃんと暮らせている?」
「はは。太陽にそんな心配されるとはな。なんとかな」
「僕は、大学に行くことにしたよ」
「そうか」
「まだ悩んでるけど、将棋推薦以外で行きたい」
「大丈夫なのか」
「成績はいいんだよ。問題は……」
「お金か。何もしてやれなくてすまん」
「奨学金とかいろいろ調べてる。国立に入って、バイトして、何とかならんかなって」
「教師になるんだったか」
「うん。学校で将棋部の担当になりたい」
木造の家には、独特のにおいがあった。蝉の鳴き声が聞こえる。幼い日にも確かにここに来ていたことを、太陽は思い出していた。
「夢ができたんだな」
「そうだね。あ、金本さんに会ったよ」
「おお。元気だったか」
「うん。前より将棋強くなってるし。お世話になった」
「よかったな。あの人に会わんかったら、今のお前はないもんな」
太陽は深くうなずいた。
「あの……良かったんでしょうか?」
月子が、上目遣いで三東に聞いた。
「纐纈君のこと?」
「はい」
「まあ、しょうがないよ。本人がはっきりと目標を持ってるんだから」
「会長には……いろいろ言われそうです」
「しょうがないね。まあ、また気が変わって、編入試験とか受けることになるかもね」
「実は……三東先生がいないときに、『お父さんにお世話になりました』って言われたんです……」
「そっか。金本のおじさん、元気かな」
「今度……会いに行ってみます」
三東は、真顔で月子を見つめ、次第に口角をあげた。
「そうか。そういう気になったんだね」
「なんか、不思議な感じで。同じ将棋の世界にいるんだなって……。纐纈君が凄く尊敬してて、別の人みたいだけど……別の人になら、ちゃんと会えるかも」
「うん、確かめてみるといいよ」
月子は、目を閉じた。暗くて寂しい、幼い日のことを思い出した。そこから救い出してくれた日の、三東の笑顔を思い出した。纐纈太陽にとってはそれが金本貴浩の笑顔だったとしたら、何と不思議なことだろうと思った。
父親の笑顔をもう一度だけ観て見たいと、月子は思っていた。
四割・八分・九厘 清水らくは @shimizurakuha
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