最終章 その3 長い暗闇の果て
Q・長い暗闇の果て 18時30分頃
辺りはもう真っ暗だ。立ち止まってヘッドライトを消すと、そこには久しく見てなかった完全な闇があった。前後の登山者とはもう随分差があるのだろう。誰もいない。ヘッドライトの明かり、そして、たまに運営のスタッフがつけてくれてるランタンが頼りだ。スタッフの人はみんなボランティアらしい。この寒い中、最後の登山者が通るまでずっと待っているそうだ。ジジイの事ばっかりでほとんど注目していなかったが、スタッフの皆さんには本当に頭が下がる思いだ。
とにかくこの最後の山道は長い下り。展望もなく、ひたすら、地味な道を歩かなくてはいけない。だが…、ここまで歩いてきた体へのダメージと疲労が容赦なく襲い掛かってくる。
眠い…そして、寒い…手が氷のように冷たい。スニーカーを履いてる足の先も冷たく、道を歩く衝撃が容赦なく襲い掛かってくる。ここに来て登山靴との差が、文字通り痛い程わかる。そして彼女に治療してもらった、潰れたマメも歩くたびに痛みが酷くなってきた。確実にまた出血してる。でも、もう引き返す事は出来ない。もう、進むしか道が残ってない。俺が選んでしまったのだから。苦労して完走してどうなるんだろう?新しい仕事を探すのか?結婚して所帯をもつのか?どれもハードル高えな。おい。
膝が痛くなってくる。もう嫌だ。もうジジイを帰宅させた時点で俺の役目終わってね?何かっこつけて、俺、こんな事やってるんだろう。いっつもそうだ。俺の登山は。一緒に歩く誰かもいない。頑張っても待っててくれる誰かもいない。雰囲気に流されて。勝手に突っ込んで。身動き取れなくなって。逃げ出したくなって…。後悔だらけなのに失敗だらけなのに。全然前に進まない。「今更」って文字が周囲を回っているじゃあ、何でそこまでして完走を…?あれ?これ何の話だっけ?そうか、登山っていうのは…。
こんな縦走、完走した所で誰も得しない。そう、俺自身も…。まさに俺の人生だ。誰も期待していない。みんな諦めてる。………皆?皆って誰だ?
ちくしょう…誰か知らないけど、俺の人生…勝手に諦めてるんじゃねーぞ。俺は…俺は絶対…まだ歩けるんだから!まだ、前に進めるんだから。
「誰も諦めとりゃせん。お前の人生なんて、誰も興味ないんだからな。諦めてるとしたら、それは…」
くそう、なぜか、ジジイの声で再生されて、めっちゃムカつく。
解ってるよ。結局、俺なんだろ?俺はまだ、俺を諦めたりしない。諦めたりしない。ちくしょう…。
そんな事を考えながら…おれは暗闇の中を歩く…歩く…
そして…。
長くだらだらと続く下り道を抜けると、コンクリートで舗装された道が出てくる。目の前に、塩尾寺と書かれた門がある。読めねーよ…。えんぺいじ…なんてさ。
そう、六甲山を歩く人にとっては有名な寺。全山縦走…山道の終着点にある寺だ。
その門の前から少し下ると…。視界が開けて夜景が見えてくる。着いた。宝塚だ。そりゃ、掬星台や最高峰から見た方がもっと大きな夜景だろう
公称56キロ…歩き切った…。くそう、こんだけ、苦労して…こんな思いをして…こんなに時間をかけて…、最後に見えるのはこんな小さな夜景かよ。こんなんの為に本当にバカみたい…。バカみたいだ…。でも…本当に綺麗だ…
バカみたいな小さな夜景は何故か目からあふれる水分で、ぐちゃぐちゃに歪んでいた。
○宝塚 19時45分
夜景が見えてからも、宝塚の住宅地を少し下らなくてはいけない。
何気にここの住宅地のアスファルトが一番、膝に辛かった。逆瀬川のすぐ手前にある公園がゴール地点だ。そこにある受付にスタンプカードを提出すると、完走の記念の盾を貰える。これで、ジジイへの言い訳はたったな。うん。時間を意識してたわけでは無いが、結局完走に15時間近くかかってしまった。早い人は10時間ちょいで歩くらしい。
もう、へとへとだ。はやく帰って寝よう。明日…かろうじて有給をとる事ができてて本当に良かった。多分、しばらくの間、まともに歩けないだろう。
阪急宝塚駅前の広場に行くと…、なんか地元の学生っぽい人達がブラスバンド演奏したり、炊き出しで豚汁をふるまってくれたりしている。縦走者達の疲れをねぎらってくれているらしい。兵庫県のマスコット、不死鳥、はばた〇もいる。熱中症で倒れた事で有名な不死鳥だ。そこで炊き出しの豚汁をすすっていると…
「シンジ殿ー!!」
突然、男に抱き着かれる…え?田口?なぜ、ここにいるの?とっくにリタイアしたと思ってたそいつは確かにそこにいた。
「途中から、何処へ行かれていたのですか?ああ、しかし、そんな事より小生も完走できましたぞー!」
え?マジに?すげえ。今回の縦走で一番驚いたかもしれん。
「シンジ殿。そこのラーメン屋、割引券を配っていたでござる。食べて帰りましょうぞ」
ラーメンか、美味そうだな…でも…
「もう、へとへとだ。帰ってねようぞ」
あ、なんか、口調がうつった。きもい。
「まあまあ、では、そこの温泉で少しゆっくりするくらい…どうだい?」
後ろから声を掛けられ、俺は振り返る。見覚えのある壮年の男性が割引券らしきチケットをヒラヒラ降っている。
「山路さん!完走できたんすね!?さすがです!」
俺は山路さんと硬い握手を交わす。足怪我してるから温泉は無理だけど。
「なんか、小生の時と反応に差が…」
その時、俺のスマホが鳴る。LINEだ。親父から…。さっき、完走したとメッセージは送っておいたが…。写真があって、なんか、家の前でポーズをとってる、楓と高島君、そして、その横で戸惑ってるジジイが写ってる。あっちも無事に下山できたらしいな。
お義父さんが、来週、うちで打上げやるってよ
と、メッセージが添えられていた。
「おお、それはいいですなー」
勝手に覗いてきた田口が一人で盛り上がってる。まあ…それもいいか。山路さんも当然、誘った。
「そういえば…裕美姉様は…」
不意の田口の問いに俺は返答に困る。
「大丈夫、きっちり完走してるさ。」
「おお、では打上げでお会いできるのですな」
「ああ…でも来てくれないかもな…」
田口はあれ?と言い、山路さんは何かを悟ったのか、これ以上突っ込むなと、田口に目で合図を送っていた。田口はそれに気づきもしてなかったが…。
俺はLINEの裕美とのトーク画面を見た。もう、きっと彼女はネットカフェには現れない。このトークを削除したら、彼女とのつながりは無くなる。
少し「釣り逃した」なんとやら…が頭によぎる。このまま別れるには魅力的過ぎる女性だった。だいたいこういうのは、いつも後になってから後悔するのが男だ。よく覚えとけ高松。
一瞬彼女の言ってた、「シガラミを乗り越えて…」うんぬんのセリフを思い出し、打上げに誘ってみるのもありか?と思う。考えてみれば、ジジイは自分から打上げしようなんて逆立ちしてでも言うタマじゃない。まさか、この為に?まあ、ジジイが自身、別れたのにやっぱり会いたくなったってだけの話かもしれんが……無粋…。あきらかに完走して訳の分からないテンションになってる故の錯乱だな。ま、俺の人生こんなもの。
「もう会えなくても、これからの人生、会う人すべてがカンパネルラさ」
何のセリフだっけ?これ。
一言だけ言った俺のセリフに意味が解らない、といった表情で俺を見る田口と山路さんに構わず、俺は自嘲して、スマホ画面を消し…
と、思った瞬間、見てたライン画面に一つメッセージが追加された。
『誰がカンパネルラや!』
と、書かれている。刹那、俺はブラスバンド演奏で結構人が多くなっていた駅前広場を思わず見回す。
ああ…。
このめんどくささ…。
なんか、随分懐かしく感じる。
こんな勢いで突っ込んでくる女を俺は他に知らなかった。
完
六甲全山縦走の夜 柴崎 猫 @yamanekoof
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