最終章 その2 別離
О・最後の山道へ
ジジイと裕美と三人で、最高峰から少し下った所にある一軒茶屋前の広場に降りてきた。ここは車道に面している。運営スタッフによって大きなテントが張られている。たくさんのランタンが灯されていて、この辺りは明るい。高松慎吾と三好楓のカップル(なんか、くっついててイラっとする。登山中は汗とホコリまみれだぞ。)…そして山路さんもまだいた。
山路さんは、裕美を見ると駆け寄ってきて、少し会話をしていた。そうか、奥さんの手当てをしてくれた事へのお礼が言いたいんだったな。少しすると、山路さんは俺に手を振って先に行くよと出発した。
時を同じくして、広場の前に車が一台止まる。あ、来たな。
ワンボックスの中から、俺の父親…。親父が顔を出した。ガーデンテラスから、ここに歩いてくる途中、高松慎吾を山から下ろしてやる為に電話して来てもらった…。運営の人にけが人を運ぶから頼むと言って、車を駐車させる了解を得ている。まあ、本当はダメなんだろうな。
親父は、俺とじいちゃんを見つけると寄ってきた。じいちゃんも下ろしてやってくれと言うと、「解った」と一言だけ親父は言った。
「ごめん…」
親父に対して、無意識のうちにこの言葉が口をついて出た。親父は不思議そうに俺を見た。俺は一体、何に対して謝ったのだろう。ここに来てもらった事か、いい歳して、家において貰ってる事か、はてまた今までの人生頑張ってこなかった事か…。
親父は、ポンと俺の頭の上に手を置いた。
「次、面白そうな事する時は俺も交ぜろ。まあ、母さんは体力モノにはついて来ないだろうが…俺だって男なんだぞ?」
親父は、それだけ言うと、車に戻った。やべえ、なんか、一連のイベントの中で一番泣きそう。
「今度はアルプス、一緒に行きましょう!」と、高松慎吾は言った。もう、リタイアする事はすっかり割り切っているようだ。一応、連絡先は交換しているのだが…多分、俺がもたんだろうな。そんな2人旅。楓はというと「やっぱり、大人は頼りになりますね」と俺に言った。こんなところまで来てくれるなんて良い親父だろ?と、返すと「違いますよ」と、笑顔で言った。何のこっちゃ?
ジジイは裕美と何か話をしている。裕美が何度か首を大きく振っていた…。少し泣いてるようにも見える…。少し気にはなる…が…。それは、もう俺がどうこう言う所ではないだろう。
そんなわけで、親父とジジイと高松夫妻。4人を乗せた車が出発した。
俺と裕美だけが取り残される。
「アンタも完走するんだろ?急ごう」
「その前に、足…見せてください。」
裕美は神妙な顔つきで言った。
P・彼女の目的地
「こんなになるまで、何でほってたんですか!?」
靴から取り出した俺の左足を見て、裕美は真剣な表情で怒ってる。いや、俺もここまでとは思わなかった。周りにもうまく隠してたつもりだったのだがな。マメが潰れた…のは、掬星台を出た辺りから気付いていた。迷惑かけまいと我慢して歩いていたのだが…。靴を脱いだ足…靴下の4分の1ほどが血で赤黒く染まってる、結構グロい。裕美は患部にガーゼを当ててテーピングを巻いてくれている。どうやら、山路さんがずっと俺の歩き方が、変だって気付いてたらしい。さっき話をした時に見てやってくれって言われたそうだ。あの人、やっぱ、只者ではないな。
「また、2人になっちゃいましたね」
足の手当てをしながら、彼女が言った。
「あ、いや、メンバーですよ。最初は2人だったけど…田口君ががいて、楓ちゃんがいて、高松君に、辰さんに、あとは、さっきの山路さん。結構増えたけど…。結局、最後は最初からいたこの2人です。」
そういや、彼女とはスタート前から一緒だったな。
「いや、足を診て貰っといてなんだが…。こっからは一人だな」
「え…?」
どういう、事ですか?という目で彼女はこっちをみた。
「ジジイに言われたろ?もう、ここへ来ちゃいけない…的な事」
「…本当に…よく似てるんだから」
少し呆れたように…でも寂しそうに…彼女は言った。
やがて、足の手当てが終わった。
…良かった。少し違和感は残るが、なんとか歩けそうだ。
「リタイア…した方がいいと思います」
「ははは、あの会話の後、リタイアできたら、それはギャグだぜ」
「なんでもいいから!心配してるんですよ!」
「…悪かった…でもリタイアは出来ない」
裕美はため息をついた。 全山縦走において、ここは、最後のチェックポイントだ。今まで、チェックポイントを通過する時にスタンプを押してもらっていたが、ここではスタンプカードに小さな番号札をホッチキスで止めてもらう。ここから、2,3時間、真っ暗な山道を宝塚まで歩かなくてはいけない。これが登山届と下山届の役目を果たすのだろう。
そんなわけで、俺達はまだ、こんなにいたのか?っていう大会参加者の列に並ぶ。
「少しは看護師の言う事聞いてください。これでも結構大きな病院につとめてるんですよ」
「元は…だろ?」
「…病院辞めたこと…言いましたっけ?」
「ああ、いや、別に…。大したことじゃない。看護師さんなら、毎週キッチリ金曜日にネットカフェに入り浸るなんて無理だろ?夜勤とかあるだろうし」
「そういう所、ほんと怖いなあ。私の事…もう、全部解ってるんじゃないですか?」
「いや…まったく…。仮説ならあるけど」
彼女の方を見ると、彼女は目を伏せている。そして、そのまま言った。
「列を待ってる間だけでよければ…、その仮説が合ってるかどうかくらい…答えてあげてもいいですよ。変な事言っても、今なら聞かなかった事にしてあげます」
彼女は少し、真剣な目でこちらを見上げた。口調は明るいが視線は鋭くこちらを突き刺している。
俺の話を聞きたいんじゃなく、彼女が何かを話したがっている…。俺は、そう思った。
「そうだな…。やっぱりわからなかったのは、毎週六甲山に登ってた理由だ。全山縦走行くためとはいえ、毎週毎週ネットカフェに泊まってまではな…いくらなんでも変だ。最初は何か探してる物があるのかと思ってたけど…」
「けど、今はどう思ってます?」
「探してたのは、物じゃなくて…、本気で死のうとして…。その場所を探してた。そんな所かなって」
俺は一言一言、言葉を選んだ。
彼女の時間が止まったように見えた。
もちろん、今の彼女はそんな事微塵も思っていないだろう。そう確信できるからこそ、言える言葉だった。
「そんな時、ウチのジジイに会って、山に登る理由を聞かれて…とっさに考えた理由が全山縦走…そんな所じゃないか?」
彼女は少し目線を反らしていたが、少しして明るく笑いだした。
「はっはっは…。すごいですね。よくそこまで飛躍した案を思いつきましたね。作り話とかなら面白かったかもしれません。でも、外れです」
そうか…。まあ、こんな話外れで良かった。失礼な事を言ったと謝らないと…。
「半分はね…」
彼女は笑ったままの顔で言った。
× × ×
彼女も俺も、その後、黙っていた。最終チェックが終わり、俺達は道にでる。ここから、最後の山道に入るまでの少しの間、車道を歩く事になる。
「半分…と、言ったのは、私が昔…あなた達に会うよりもずっと前、本気で…死ぬ場所をさがして…六甲山だけじゃなかったですが、山に登ってた事があったからです。その理由は本当に聞かないでください…。失恋とか、挫折とか、人間関係とか…、適当な仮説をでっちあげといてください。つまんない理由でした。今思えば…ですけどね。本当に生きてて良かったと思ってます。」
さすがに返答に困る告白だ。どう答えたら良いのだろう?
「ほら、絶対引かれると思ったから、言いたくなかったんです」
「いや、別に引いてはいない」
嘘が下手すぎです…と言って、彼女は悲しそうに笑う。
「で、そうやってたまたま六甲山に来た時、出会った人がいました。あのネットカフェで…。彼のおかげで、私はなんとか、まっとうな道に戻ってくる事ができました。」
彼…か…だろうな。まあ、そんな気はしてたし、別に、だったら何だ?っていう話だけど。
「さっきの仮説…本当にびっくりしました。その時、彼に山に登る理由を聞かれて、とっさに出た答えが「全山縦走する練習の為」でした。本当にあの時の私の行動を全部見透かされてたみたい…」
「いや、ほんと、ただの勘だから…。」
「彼も登山が好きな人でした。だから、解ってたのかもしれません。私が死のうとしてた事。」
少なくとも、嘘をついてた事は分かってたろうな。
「彼に登山に連れて行ってもらうようになって…。本当に山が好きになりました。前向きな目的をもって一つ一つの山の自然を楽しむ事がこんなに楽しい事だって。いつか2人で全山縦走も行こうって約束でした」
なるほど、元々ある程度の登山経験はあったのか、そういえばそれなりの登山ファッションしてたし、体力もかなりあったよな。彼女。
「その彼は今?」
「死にました…」
何気に話の流れでした質問を、これほど後悔した事はない。
「交通事故…だったんですけどね。でも、死んだ後で、仕事で色々とトラブルがあったって解って…自殺じゃないか?って彼の周りの人は噂してました」
「そうか…」
「結構ショックでしょ?彼は私を助けてくれたのに、彼は私に何も話てくれなかった。彼のおかげで私は生きているのに、私は彼の事を何も知らなかった…」
務めて冷静を保って彼女は話している。未だ、前後を歩いている大会参加者は結構いる。2人だけなら慟哭しそうな…そんな感情の高ぶりが彼女から感じられた。
「まあ、考えても、もう結論なんて出ないんですけどね。せめて最後に追悼の意味も込めて約束の全山縦走でも歩いといてやるか…って、神戸に来たんです。最初は大会に出ず、一人で歩くつもりでした。でも…偶然辰さんに出会いました。」
そういえば、彼女に最初に会った時…夏だ。ジジイに会ったのは半年前だと言ってた。未だ冬だったんだ。その時。
ようやく、話がつながった。
「辰さんは彼に似てましたし…何より、あの時の私に似てました。だからほっとけなかった…。」
ジジイの為に、自分の予定を変更して…。わざわざ練習だと言って…この晩秋の時期まで毎週神戸まで来てくれていたのか。そうか…。
「でもね。確証はないですけど…、辰さんも当然、色々気付いてたんですよ。私のこと。何かあって前に進めずにいるって。救われたのは、私の方だったんです。知ってましたか?あなたが来るようになってから、あなたに向けて辰さんが言ってたメッセージ…。…もう、ここに来るな…とか精一杯生きろ…とか、生きる事から逃げるな…とか。あれね。皆、私にも言ってたんですよ。あの人…直接言えなくて…それで…」
「そうかもな…。まったく、孫に似て不器用な祖父だ」
「それ逆です」
ようやく、悲しそうじゃない笑顔の彼女が見えた。
「だから、いつしか、この大会に参加するのが次へ進むためのケジメ?みたいなものに変わってました。それから今日まで、短い間ですけど楽しかったですよ。できれば辰さんにも、この話を聞いて欲しかったけど…。まあ、孫で手を打っておきます」
「そいつは、どうも…」
ケジメ…か。なるほど。
最高峰を過ぎて少しの間、車道のアスファルトの上を歩いてた俺達の前に、最後の登山道の入り口が見える。入り口の前に運営スタッフが立っていて「宝塚はこちらです」と案内している。
「先に行ってくれ。足の治療、本当にありがとう…じいさんとの事も含めて…君には本当に感謝してる。大丈夫だ。君はもっと高い山に登れる」
「お?最後に私を口説きますか?」
「いや、それ、仮にうまく行ってしまったら、その後、ジジイと、どうやって接していけばいいんだよ?俺達」
「うーん。あまいなあ…。そういう柵シガラミを飛び越えて自分を求めてくれる男に女はときめくんですよ」
「なるほど…。今後何かあったら、参考にする」
「何かはあるんじゃない。起こすんですよ。頑張って!」
「はいはい。」
「私も…頑張る…私も…あなたはもっと高い山に登れると思います。」
辺りはもう、完全に暗闇に落ちている。
最後の登山道は真っ暗で深い洞穴のように見える。彼女はヘッドライトの明かりを強く設定しなおし、こちらを振り返る事なく、闇の中に消えていった。
しばらくして…俺も最後の登山道へと歩き出した。
登山をしていると…、たまに山小屋なんかで気の合う人に出会ったりする。そう。さっきの山路さんみたいに。自分の登山歴を自慢し合って盛り上がったり。でも、だいたいその人達とは目的地が違っていて…。次の日「また会えるといいね」なんて言って別れても、そのまま一生会う事が無い。そんな人が殆ど…っていうか、全部だ。結局、裕美とも、そんな出会いだったような気がする。そして、そんな山小屋での出会いは…例え、もう、一生会えなかったとしても…、それは、ずっと大切なものだし、の人達のその後の人生の登山がきっと楽しい物になる事を純粋に願ったものだった。
俺も田口も楓も高松も山路さんも…そしてジジイも、彼女に救われた。
もう会う事は無いかもしれない。でも、彼女には幸せになって欲しいと純粋な気持ちで思う。
ジジイもきっとそうだろう。
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