第248話 最後の説得


 これでファウスト・フォン・ポリドロ卿の査閲ができる。

 私は静かにほくそ笑んだ。


「ご機嫌ですね、皇帝陛下」


 横の従者が声を掛けてくる。

 彼女にも伝わるくらいに、どうも喜びが滲み出ていたらしい。


「私の目的は知っているだろう?」


 自分が子を孕む相手としてポリドロ卿が相応しいかどうか、確かめたい。

 彼の噂は聞いている。

 最近ではテメレール公の放った砲弾を撃ち返した。

 一部の者しか知らぬが、マインツ選帝侯の倍軍6000を相手取り、先陣を切って200名ばかりを単騎で殴り殺している。

 そして――かつて悪魔超人レッケンベルを一騎打ちにて破った。

 一番最後が重要だな、うん。

 彼以上の超人など、この世のどこを探してもいないだろう。

 それくらいは確認せずともわかっている。

 だが。


「やはり、眼前で査閲せねばな。ポリドロ卿がどれだけ強いか」

「それで、このコロッセウムですか」

「そうだ」


 すでに場は整った。

 数千人が収容できるコロッセウムでは、沢山のランツクネヒトが詰めかけている。

 今にも暴動が起こりそうなぐらいの熱狂だが、テメレール指揮下の兵がこれをよく抑えていた。

 そのテメレール公に話しかける。

 彼女は指揮を配下に任せ、私の横に座っている。


「これでランツクネヒトに冷や水を浴びせるのか?」

「50人の選抜された古強者を破りさえすれば、バウマンを倒しさえすれば、豪雨を被った火のように鎮火する見立てだ。もはや彼女たちは、行き先のあてどもない少女のようになるだろう。寄る辺なき者たちが、自分たちの誇りとしていた全てを失い、現実を見る」


 彼女が答えた。

 水晶の伊達眼鏡が光っている。

 何もかもテメレール公の思惑通りに話が進んでいるのだ。

 私にとっても都合が良いから、文句など無いがね。


「ファウストの強さを眼前で理解することで、ランツクネヒトどもは納得するのだ。ああ、確かにレッケンベルは死んでしまったのだと。そういう儀式なのだ、これは」


 かつて、ポリドロ卿に抗って鼻をへし折られ、鼻ぺちゃになった彼女が言う。

 自分自身もそうされたからこそ、どうなるかがわかるのだろう。


「儀式ね。儀式か。まさにそうだな」


 自分を納得させるかのように、言葉を二度繰り返す。

 儀式だ。

 これはポリドロ卿という処刑人を眼前にして、ランツクネヒトが目覚めるための儀式なのだ。

 もうレッケンベルなどどこにもいない。

 あのバケモノに殺されてしまったのだ。

 だから、新しい指導者についていかねばならない。

 彼女の娘であるニーナ・フォン・レッケンベルについていく。

 その納得を得るために、古強者50名を供物として捧げるのだ。


「・・・・・・少し切ない気もするがな。そこまでしないとわからんものかね?」

「わからんものさ。皇帝陛下は――レッケンベルとそこまで親しくなかったのだから分からんのだろう」


 テメレール公が、どこか遠い目をしている。

 

「あれは悪魔だった。だから、誰もを魅了した。きっと、騎士物語の主役だったのだろう。私は今でも彼女をそうであったと信じているし、生涯それを忘れないだろう」

「主役ね」


 その主役はもう死んだ。

 どこにもいない。

 だから、端役であるランツクネヒトなどどうして良いか分からなくなるだろうな。

 それだけでは困るが、娘であるニーナと、ヴィレンドルフが行き先を決めているというならば、それでよい。

 皇帝である私はその代わりにランツクネヒトという戦力を失うがな。

 別に構わない。

 身軽になって、この国から逃げ出すには傭兵など邪魔なだけだ。


「――この国をどうするか決めておかねばならんな」


 皇帝としての去就について、曖昧に口にする。

 アナスタシア、カタリナ、オイゲンの三選帝侯はそれを望んでいるのだろう?

 察してはいるし、別に構わない。

 皇帝の座になど執着はない。 


「その話もあるが、まあ後でもよいさ」


 昔のテメレール公であれば、私が皇帝になるとでも言い出したろうが。

 今は棘が抜けたような調子で、周囲を見ている。

 ああ、居るべき人間がいないことを気にしているのか。


「ヴァリエール殿下は?」


 テメレール公はハッキリと口にする。

 本来、私の隣に座っているべき人間の居場所だ。

 私は鷹揚に答えた。


「ランツクネヒト古強者50名の説得に向かった。全ての事情を知り、彼女はランツクネヒトを哀れんだ」

「・・・・・・無駄なことだ。天覧試合の開始まで、もう30分もないぞ」


 テメレール公は首を静かに振る。

 

「死ぬしかないんだよ、それが救いなのだよ。連中は」


 ああ、そうだな。

 私は頷いて、テメレール公に同意して。

 あのポリドロ卿の婚約者も、それについては全てを理解していて。

 それでも立ち上がらざるをえない性格なのだろうなと推測した。

 愚かで、優しい存在なのだ。










「死ぬ心構えはできたか? 単に死ぬだけでは駄目だぞ。勇敢に死ぬんだ」


 私は口にした。

 ランツクネヒトの倍給兵として、下士官として、明確に死を口にする。

 誰からも返事はない。

 50名の古強者は、視線だけで答えた。

 全員の目が据わっている。

 今更確認するまでもなく覚悟はできていた。

 自らの服装を確認する。

 上半身だけは甲冑で身を包み、靴(シュー)を自分の顔が写るほど「ぴかぴか」に磨きあげて、ほつれ一つ無いズボン姿に身を包むもの。

 いつもの姿であった。

 手にはツヴァイヘンダーを握っている。

 よし、いつもの姿だ。

 こうでなくてはならん。

 酒はすっかり抜けていて、完全に正気の姿だ。

 だから、言葉もよく聞き取れる。

 目もパッチリ見えている。


「待ちなさい」


 だから、ヴァリエール殿下が私たちの前に現れた時は瞠目した。

 横にはザビーネとベルリヒンゲン卿が、眉を顰めた様子で突っ立っている。


「・・・・・・何をしに来られたのでしょうか。ヴァリエール殿下」

「止めにきたに決まっているでしょう!」


 開始30分前だぞ。

 何を今更。

 そう笑おうとするが、ヴァリエール殿下は真剣な表情だ。

 この時点で、今更止めろと口にしに来たのだ。

 おそらく、これが最後のチャンスだと思って、席から抜け出してここまで来たのだろうな。


「こんなの無駄死によ! ファウストは、私の婚約者はそれこそ信じられないくらいに強いのよ。50名ばかしが集まったところで勝てるわけがないのよ!」

「・・・・・・優しい御方ですね。貴女は」


 そうだな。

 勝てるわけがないな。

 それは理解しているのだ。

 最初から我らランツクネヒトに勝つ気もないのだし。

 おそらく、我々がただ死んだという結果だけが残る。


「ですが、それでよいのですよ」

「何故!?」

「我々は死にたいのです。レッケンベル様のいない現世に、もう何の未練もないのです。我々は、彼女に肩を剣で叩かれて、初めて生を与えられた気持ちになりました。なれば、彼女がいないなら死んだも同然なのですよ」


 正々堂々の一騎打ちで、レッケンベル様を破っただけのポリドロ卿には迷惑でしょうが。

 ああ、そうだな、本当に迷惑を掛けた。

 きっと、今でも我らをいちいち殺すなど嫌だろうな。

 だから、ヴァリエール殿下のこの行動も止めなかったのだろう。


「きっと生きていれば、レッケンベル卿の娘であるニーナに付き従えば、これから良いことだって」

「ないですよ」


 私たちが返事をしたのではない。

 ヴァリエール殿下の配下である、ベルリヒンゲン卿が答えたのだ。

 ぎょっとした顔で、ヴァリエール殿下が横を見た。


「ヴァリエール殿下、席に戻りましょう。何度も言いましたが説得は無駄です。私がヴァリエール殿下を失えば、立場が同じならば。きっと似たようなことをします」

「でも」

「ヴァルハラに行かせてやりなさい。それが一番幸せだ」


 ベルリヒンゲン卿が、ニコリと微笑むでもなく、冷徹な表情で単に事実を口にした。

 そうだ、きっとそれが一番我らにとって幸せだ。

 だが、ヴァリエール殿下はどこまでもお優しいのだ。


「ヴァルハラなんて、あの世にはないのよ。そんなのただの迷信よ!」


 ヴァルハラの否定を訴えてまで、彼女は私たちが死ぬのを止めたいらしい。

 そうだな。

 そうかもしれないが。 


「殿下、それは違います。ヴァルハラだけはあるのです。それだけは否定しておきたい」


 反論しておく。

 ヴァリエール殿下に逆らいたいわけではないが、言っておくべきことがある。


「我らはなにぶん文字の読み書きも出来ぬ粗忽者、三女四女の貧者が成れの果て。我らがヴァルハラに迎えられることなどないのかもしれませぬ。我らの力を注いで、貴女の婚約者に立ち向かいて一人残らず、ぶち殺されても」


 ぶち殺されても。

 それで、何もかも失ってしまっても。

 もはや悔いは無い。


「誰一人、ヴァルハラには入れぬかも知れません。おまえらは規定基準に達していないから、店じまいだと。おそらく、それはあるでしょう。我らはそこまで世の中を信じていない。私たちより遙かに勇敢で、勇者であった者など、どこにでもおりましょうぞ! きっと本当の騎士様で満席です! 三女四女の貧者が入れる店ではないかもしれませんな!」


 ヴァルハラにもう満席だから帰れと言われるかもしれない。

 なに、そんな経験何度もあるさ。

 我らの席など、この世のどこにもなくて。

 その席を初めて与えてくれたのがレッケンベル様であった。

 でも、彼女はもうこの世にいない。


「私たちが勇敢だったからヴァルハラへ行けるなど、そこまで信じられるほどに愚か者ではありません。それでも! レッケンベル様は本当の騎士だった。私たちに居場所を与えてくれた」


 だから、もう私たちはここまででよい。

 死ねば良い。

 そうして何もかもが飛散してしまえばよい。


「本当の騎士様のために、ヴァルハラは確実にあるのです。そこを否定してはいけません。神様は私たちに酷いことをしたが、本当の騎士にまで酷いことをしないと信じたい。レッケンベル卿は、あの騎士物語の主人公は確かに今もあの世で待っているのです。私たちはそこに手を伸ばして地獄に落ちるのです。結果として我ら全員がヴァルハラに行けずとも、そこは違います。お忘れ無きよう」


 私たちはヴァルハラに行けないかもしれない。

 精一杯、靴を磨いて、ズボンのほつれなど一つもないようにして。

 酒も抜いて、正気になって、ただただ勇敢にあれと死ぬ覚悟も固めた。

 それでも、行けないかもしれない。

 でも、もうよいのだ。

 ポリドロ卿への侮辱に対する責任は背負うべきだし。

 それに、古強者として、ランツクネヒトとしての抵抗をポリドロ卿に示さねばならぬ。

 ヴィレンドルフのように、各々が一騎打ちを挑んでカラッとレッケンベル様の死を受け入れるわけにもいかぬ。

 私たちは粘着質で、どろどろとしていて、愚かなのだ。

 眼前で自分の身内が死ななければ、現実を受け入れられないほどに愚かなのだ。


「貴女は現実の『ぱらいそ』に貴女の兵士を導けば良い。なれど我々は、レッケンベル様の兵士なのです。だから、筋違いなのです。貴女の優しい説得を聞き入れるわけには行かない。届くかどうかはわかりませんが、我らは最後にレッケンベル様の居る場所に手を伸ばしたい」


 ヴァリエール殿下は何もかも諦めたように。

 もうこう言ってあげるのが優しさなのだと。

 そんな顔で、最後の憐れみを口にした。


「・・・・・・私は貴女たちがヴァルハラに行けることを祈っているわ。もう、それしかしてあげられない」

「よろしい」


 私たちは、もはや歩みを止めなかった。

 こんな話をしている間にも時間は過ぎている。

 もうすぐ、接敵だ。


「さて、死ぬか」


一陣の風が吹いた。

コロッセウムの向かい側。

そこに、完全武装のポリドロ卿が静かに佇んでいた。





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ラブコメも書きましたので宜しくお願いします

https://kakuyomu.jp/works/16818093076769027116



久しぶりの更新なので、文章に変なところが無いか酷く気にしております。

問題ありましたらご指摘をお願いします。


書籍版第4巻の発売日は5/25となっております。

電子予約の方も始まりましたので、宜しくお願い致します。


本編に加筆修正を加え、わかりにくいところを色々と調整しました。

また外伝書き下ろし3作「銀をくれてやる(トクトア列伝) 」「ヴァリエールのドサ回り」「四章if外伝 バラ園に歌声を」を加えております。

特典SSペーパーは6作書きました。

現在サイト様が公示されているのは4件

メロンブックス様『ファウストの友人』

ゲーマーズ様『バラ園の管理』

特約店特典『マリーナの愚痴』

オーバーラップストア特典『とにかく筋肉だ』

残り2件はまだ未公表です。

販売店様が公示されて後にしか、当方からお知らせすることが出来ません。随時近況ノートとTwitterにて連絡します。



ではでは

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