男エルフ魔導士と女騎士の結婚

十和田 茅

月の下にて候

 月の綺麗な夜だった。

 夜に紛れそうな濃紺のマントを羽織ったエルフの青年は、夜露を避けて花を摘んでいた。青年はそれを器用に編んで花冠を作っていく。今夜の自分の花嫁のために。

 エルフの結婚式は夜に行われる。

 夏至の夜、花嫁は月の光を紡いで織ったような白い薄手のドレスをまとい、主役である証の花冠をかぶる。同じく花冠をかぶった花婿に手を重ね双方の一族の長老に終生共にすることを誓うことで結婚の儀とする。花が舞い、一族の祝福に包まれて、花婿と花嫁はその夜初めて床を共にするのだ。

 が、今は夏至ではない。

 一族の長老もいなければ、皆の祝福もない。おそらく誰も祝福してくれる者はない。

 彼の選んだ花嫁は、人間であったから。

 だから、これは形だけの結婚の儀の真似事。

 この日のために彼が選んだのは白いドレスと花冠、そしてもうひとつ、人間の結婚の習慣であるという銀の指輪。材質は別に銀に限らないそうだが、エルフの彼には金属を身につける習慣がない。妥協できるところが銀だったのだ。


 青年は二つの花冠を手に、宿に戻った。

 田舎の、小さな宿だった。

 やや緊張した面持ちで扉を叩く。

 中から、はい、と小さな返答。やはり緊張したような声で。

「開けますよ? 失礼しま……」

 と、扉を開けると青年は息をのんだ。

 部屋の明かりは落とされていたが、エルフ族は人間と違って暗闇を見通す目を持っている。しかもこの部屋は天窓がついていて月の光が差し込んでいた。猫の目のような細い月ではあったけれど、エルフには十分な光源だ。

 花びらを撒いたベッドの上に、彼が選んだドレスを身に纏った彼女が座っていた。

 いつも太陽の下で見ている彼女とは別人のようだった。日に焼けた枯れ藁色の髪は月光を透かし、普段は白銀の甲冑で隠されている豊かな胸は薄手のドレス越しにはっきりとわかる。あと見慣れないところといえば、エルフの花嫁姿によくある、背を覆う長い髪がない。彼女の髪は肩口よりも短いからだ。

「あ、の……?」

 彼女が小首をかしげてこちらを窺ってきた。

「あの、やっぱり変でしょうか? エルフの衣装は薄くて……似合いませんよね。私、首は太いし、肩も広すぎるし、う、腕なんかも」

「綺麗ですよ、花嫁さん」

 後ろ手で扉を閉め、ぽん、と青年は彼女の頭に持ってきた花冠のひとつを乗せた。

「貴女があんまり綺麗で、見とれていたんですよ」

「……あなた、そういう歯の浮きそうな褒め言葉をいうような人でしたか?」

「皮肉屋は認めますが、私だって素直に褒めるときは褒めます」

 特に目の前の相手は、自分の容姿に徹底的に自信がなく婉曲的な褒め言葉など通じそうにないのだから。

 聞き慣れない褒め言葉を聞かされた為か、彼女は顔を真っ赤にして黙りこんだ。

「その衣装は薄すぎて落ち着きませんか?」

 青年は彼女の隣に腰を下ろす。

 彼女は、大きな体をますます小さくした。

「その通りです……私の感覚だと寝間着と変わりないです。薄い生地もですけれど、肩や襟ぐりが大きく開きすぎていて……恥ずかしくて灯りの下でこれを着る勇気はありません」

 青年は、エルフの私にははっきり見えていますけれどね、とは、あえて告げない。

「華奢なエルフの女性なら着こなせるのかもしれませんが、私みたいな……」

 それ以上はいわせない、というつもりで台詞を遮った。

「貴女がそれをいうなら私なんかどうします? 花嫁を抱き上げるだけの筋力もない、体力もない。背はあってもひょろひょろで、人間はどうだか知りませんがエルフ族では女性の後ろに隠れるだけの男は価値が下がりますよ」

 というところまで一気にしゃべりきる。

「あなたはそのままでいいんです!」

 むきになった彼女が断言する。そう答えるだろうと青年は予想していた。彼女はそういう人なのだ。

「私も貴女に同じ言葉を返しますよ」

 そういっても信じないだろうけれど。

 思わず、青年は微笑んでいた。


 と、いっても彼女が自分の容姿に自信がなくなるのは、自分が女性であることを強く意識したときだけに限られた。

 普段はとても誇りに思っている。

 ずっと騎士になるのが目標だった、と語ったときの嬉しそうな瞳。そのために体を鍛えているのだと。

 白銀の甲冑に身を包み、教会の紋章が入った巨大な盾を構え最前線で敵の攻撃を引きつける。たとえそれが人間ではなく怪物相手だろうと。それが彼女の仕事だった。何度も傷つき、血を流し、甲冑や盾がぼろぼろになっても攻撃を受け、耐え抜く。その背中に仲間たちの命運を背負って。

 青年は、不本意ながら何度その背に守られてきたことか。

 最初は不思議でたまらなかった。どうして他の人間たちは、うら若き女性が傷つくのを黙認しているのだろう。女性の背に守られるなどというのは、少なくとも青年の中の常識に照らし合わせると信じがたい話だった。そのうち理解する。この「役割」は、彼女の能力がもっとも長けていることに。


 それと、エルフには人間の宗教観は理解しがたい。

 教会に入った娘は一生結婚しない、と聞いたときには頭がおかしいのではないかと本気で思った。


 愛し愛された人と幸せな結婚をし、いずれは可愛い子供を抱く、青年が理想と掲げるそんな未来を、自ら捨てた彼女の気が知れなかった。

 けれどそのときは「若い娘さんが、もったいない」くらいの、叶わないことを夢想するようなその程度の感情だったのだけど。

 あるとき彼女が、冷たい声で言い放った『貴族の娘に、自分の意志など必要とはされません』の一言で自分の考え違いを知った。

『もし教会に入っていなければ今頃、意に沿わぬ相手に嫁がされて、子供のひとりやふたり産んでいたでしょうね』

 彼女の結婚観には始めから恋愛という選択肢がなかった。それは青年にとって想像したこともない話で、聞いたときは無性に悲しくなった。それから怒りがわいた。もし彼女が教会に入っていなかったら……もし好色な狒々爺の嫁にされていたら……と思うと空想の相手に嫉妬すらした。

 そして「おや? なぜ彼女に対してだけ、こんなふうに考えてしまうのだろう?」

 その感情の大元になったものは何なのか……突き詰めていった答えが意外すぎて七転八倒したのは、今ではいい思い出だ。


「どうかしましたか?」

「あ……いえ。こんな性格の悪いエルフと一緒になろうだなんて、貴女も随分思い切ったなぁと」

「それこそ、今更でしょう」

「『性格の悪い』に訂正は入りませんか?」

「それもまた今更でしょう」

 くすくすと彼女は笑う。一緒になって青年も吹き出した。

 が、それもすぐ引っ込んで、真顔になった。

「……私と一緒にいると、貴女にも嫌な思いをさせますよ」

「それをいうなら私こそ、あなたに嫌な思いをさせましたよ。父はあんなだし、教会はいい顔をしませんし」

「神の花嫁が還俗してエルフなんかと一緒になると聞いたら、了見のある人なら止めますよ普通」

 彼女が自分の容姿に劣等感を感じているのと同様、青年もまた自分に劣等感を募らせていた。生い立ちのことなので、結婚となるとどうしてもその劣等感を避けて通れない。

 しかし彼女は、それでもいいというのだ。そのままでいい、と。

「私が心配なのはあなたのこと。私は人間だから、あなたを置いてすぐに死んでしまいます。あなたは私を、その、綺麗だと、いってくれましたけれど、人間は若さも美しさもすぐに失われてしまう。知性さえそのうち変質するかもしれません。そういう生き物なんです。一人になってしまうあなたのことを思うと……」

 彼女は、ベッドの上にあった青年の手の上に、自分の掌を重ねた。そのおぼつかない手つきから、そういえば人間はこの暗さではほとんど見えていないのだと青年は気づく。

「そうですね。残されるのは私の方でしょうね。貴女はどうして欲しいですか? 死してなお永遠の愛を誓って欲しいですか。それとも、自分のことなど忘れて欲しい?」

 再び答えを予想しながら青年は聞いた。彼女はというと、微笑みながら予想通りの答えを返してきた。

「私が死んだら、どうぞ私のことは忘れてください。あなたが新しい幸せに巡り会えることを墓の中から祈っています」

 やっぱり、と思いながら青年は口元をゆるめた。

「じゃあ、ずっと思い続けることにします。エルフは気が長いんです」

「なんとなくそう答えると思いました。ですが、それはとても寂しいですよ? 話しかけても返ってくるのは風の音だけ、あたためてくれる腕もない。ましてあなたの寿命は、私が死んだ後もとても長いのに」

「貴女の死んだ後のことなど今は考えたくありません。花はとても美しいと思いますが、摘んだ花はすぐに枯れます。枯れるのを見るのは嫌だというエルフもいますけれどね、私は、花を見るのは好きです。短い間でも花を見ると、心が浮き立ったり、癒されたりします。種を残していればいずれまた新しく花が咲くでしょう」

 そういって青年は、彼女と手を重ねている反対側の手で、花婿の証である花冠をかぶった。


 花が種を残すように、彼女はいずれ子供を産むかもしれない。

 人間を伴侶に、と決めてから青年がそれを考えない日はなかった。自分との間に生まれる子供なら高確率でハーフエルフ。ハーフエルフは人間からもエルフからも迫害される。生まれた子供は自分の出生を呪い両親を憎むだろうか。

 それでも。


 青年は彼女の左手をとって、用意していた銀の指輪のひとつを取り出した。

「え? あの?」

 とまどう彼女に構わず、教えられた通り薬指に輪を通す。

 彼女は左手を大きく開いて、それから明かりを欲した。おぼつかない月光だけが光源の薄暗がりでは、やはりはっきりとは見えていなかったらしい。枕元の小さい卓からランプをとり火をともす。月光に慣れた青年の目には一瞬、まばゆいばかりの光に思えたがすぐに順応した。ランプの明かりで、彼女の姿に陰影が落ちる。月の下のはかなげな様子とはまた違って見えた。

 彼女は左手を広げ、薬指に嵌った銀色の光をうっとりした表情で見つめていた。青年にとっては彼女の花冠姿こそ「花嫁」といった感じがしているのだが、彼女にとってはあの小さな指輪で「花嫁」の実感がわいているのかもしれない。

 そして、青年を見て笑顔になった。

「お花、似合いますね」

 花冠のことだろう。男がいわれて嬉しい褒め言葉でもないので、青年は口角をさげた。

「結婚の儀の主役は花嫁でしょう。男はおまけです」

「花婿は十分、主役だと思いますけれど……そうですね、人間の結婚式でもそういう言い回しをすること、ありますよ。特に女性が目立つので。私は貴族の結婚式しか知りませんが……裾を長くひいたドレスを着て、共地の靴を履き、ドレスに合わせたベールにブーケ……教会の司祭様の司会進行で神の前で誓いを立て、指輪を交換するんです」

 こんなふうに、と彼女は青年の左手をとった。青年の右掌からもうひとつの銀の指輪をとり、左手薬指に嵌める。上手くいかなくて指の途中で止まってしまったけれど、青年が自分で指の付け根まで押し込んだ。指に食い込むような金属の感触はとても妙な感じがする。

 その青年の左手を、彼女の左手がとり、右手は彼の手の上に重ねた。

「『私、シルヴァーナ・フォン・シュタインザルツは汝ハルラスを夫とし、幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います』」

「なんですか? 儀式の呪文?」

「みたいなものです」

 青年はあきれかえった。

「人間は、結婚の儀のときに皆そんな大げさな誓いを立てるんですか? そのわりには愛人やら浮気やら暴力やら枚挙にいとまがないような気がしますけど。慈しみとか貞節は口先だけですか?」

「それをいわれると返す言葉もありません。神の前での誓いは、そんなに軽いものではないはずなんですけど」

 と苦笑するのは、彼女が教会に所属していたためだろうか。

 だが同時に確信を持った。彼女は、誓いの言葉を口先だけのものにはするまい。

「人間の結婚式では、花嫁はお世話になった方にベールをお借りしたり、母親から譲られた宝飾品を身につけたりするんです。私たちの結婚式は誰からの祝福もない、借り物もできない、教会に入るとき身を飾るものは持ってゆけなかったから母の形見は手元に何一つ残っていないけれど……」

 彼女は青年と一緒になるために、色んなものを諦めた。

 思い描いていた花嫁姿も、親も、故郷も、信仰の場も、誇りを持っていた仕事も。

 エルフと人間、誰も幸せにならない恋なのに、破滅に向かう道しか見えないのに。

「私は、あなたに決めたのです」

 どんな愛の言葉よりも誓いの言葉よりも、それは青年に強く響いた。


 青年は上下に重ねられた彼女の手をふりほどき、しっかりと彼女の手を両手で握りしめる。

 見つめてくる瞳をのぞき込んだ。

「エルフは森を守ります」

 彼女の瞳に青年の姿が映っている。ああ、彼女の瞳の色は、緑を含んだ金色だったのかと今更ながら知った。

「シルヴァーナ。貴女が、私の森です」


 それから。

 意を決して、彼女に口づけた。

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男エルフ魔導士と女騎士の結婚 十和田 茅 @chigaya

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