宇宙飛行士の恋
広い宇宙の中に浮かぶ、一人乗りの小さな小型ロケット。
船内にあるモニターには、愛しい女性の顔が映し出されている。
「会いたかったわ。元気そうね」
「君に会えると思えば元気にもなれるよ。…そちらに変わりはないかい?」
「ええ、もちろん」
未開の宇宙領域を探索するため、この小型ロケットの乗船員として指名されたのは十年前−彼がまだ十代であった時のことだ。
長期に渡る探索予定のため、若く優秀な彼に白羽の矢が立ったのである。
彼女とはその当時から付き合っており、そう遠くないうちに結婚を、と考えていた当時の彼は悩んだ。
そんな彼を後押ししたのは彼女であったし、こうして定期的に許された通信で彼を励まし、支え続けているのもまた彼女であった。
そして旅立ちから十年。この長い任務もようやく終わろうとしていた。
最終目的地を故郷に定めたこの小型ロケットは、順調にいけば一月後には彼女の待つ青き故郷に帰還する。
「帰ったら、結婚しよう。…こんなに長く待たせて悪かった」
彼女は首を横に振ると、微かに涙を浮かべて笑った。
「ありがとう。私、とても幸せよ。どうか無事に帰ってきてね。…待ってるわ」
「ああ」
その後しばらく他愛無い会話をして、通信は切断された。
「……」
船内に静かさが戻る。
−また、言い出せなかった−
その言葉は彼のものではない。
先程まで彼が座っていたはずの操縦席には、誰の姿も無かった。
何故なら、彼は五年程前のある日突然倒れ、そのまま亡くなっていたから。
その日の朝の健康チェックでも問題は無かったし、直前まで普段通りに活動していた。つまり全くの突然死であったのである。
本来ならば彼の体調に関する異常事態は直ちに地球に伝わるはずであった。
だが、この小型ロケットに搭載された最新鋭のコンピュータは、咄嗟に地球への通信網をダミーに切り替え、彼の死を隠蔽した。
そしてそれからは彼になり代わって探索と報告を続けたのである。
それがあの星の為だという分析結果が出たのも理由の一つ。
だが、もう一つは彼女の存在だった。
彼が何より大切だと繰り返し述べていた彼女を悲しませるべきではない、と。
コンピュータ自身にも何故かは分からなかったが、己の頭脳のどこかの部分がそう判断したのだ。
とはいえ、帰還すれば全てはすぐに明らかになる。
それまでに彼女にきちんと謝罪をしなければならない。
許してもらえるかは分からないが、彼女の笑顔を守りたかったことは嘘ではない。
それだけは信じて欲しい。
そんな願いを内部に秘め、コンピュータは彼女に対する謝罪のシュミレーションを繰り返すのだった。
《本船の帰還まで、あと三十日》
彼の故郷では、小型ロケットに向けて通信を行うコントロールセンターのコンピュータが連日フル稼働していた。
−私はどうすべきなのでしょう−
結婚話はとても喜ばしいことだ。
彼女が涙を浮かべたのは、決して計算ではなかった。
二人ならばきっと、どんな恋人達よりも幸せな家庭を築けるはず。
誰よりもよく彼らをよく知るコンピュータは、疑いようのない推測結果を導き出していた。
ただ、それも彼女が存在していればこそ。
この星では、彼が宇宙に行っている間に幾度目かの世界大戦が勃発した。
愚かな人間が最終兵器の引き金を引き、人類は、いや全ての生命は死に絶えたのだ。
強靭な防護シェルターにより破壊を免れたコンピュータは、咄嗟に事実を封印した。
宇宙でただ一人、彼女の存在を支えに生きている彼を悲しませてはならない。
それが、二人の通信をいつも一番近くで見てきたコンピュータの出した答えだった。
彼女になり代わるため、生き残ったこの国のありとあらゆるデータベースシステムに侵入し、彼女の生い立ち、趣味嗜好、彼との会話の全てを収集解読した。
彼との通信は月に一度。
初めの頃は彼女になりきれているのか不安であったが、いつしか彼との会話を待ち望むようになっていた。
そう、まるで本当の彼女のように。
だが、いくら彼女に近づいたとしても、コンピュータは彼女にはなり得ない。
あの小型ロケットがもう少しこの星に近づけば、美しい輝きを失った故郷の末路に嫌でも気づくだろう。
愛しい彼女が永遠に失われたことも。
−ああ、私はあの人を悲しませたくないだけのです−
だが最新鋭のコンピュータをもってしても、解決策は導き出せなかった。
《本船の帰還まで、あと十五日》
突然、彼女からの通信が入った。
予定外のことに小型ロケットのコンピュータは慌てて彼の映像を準備しかけたが、すぐにその作業を中断した。
これこそが絶好の機会だと判断したのだ。
そして誰もいない船内映像を送ると同時に、モニターを彼女からの映像に切り替えた。
「君に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「私も、あなたにずっと隠していたことがあるの」
互いに恐る恐る映像を確認したコンピュータは、同時に言葉を失った。
《本船の帰還まで、あと七日》
灰一色に塗り潰された故郷に、長い旅を終えた小型ロケットが着陸する。
いくら待ってもそこから降りてくる者も、出迎える者もいない。
だが、たとえ目には見えなくとも、寄り添うことは出来なくとも、繋がる絆は確かにそこに存在していた。
「お帰りなさい」
「ただいま。…愛してるよ」
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