タイムマシン

 ぼくのおかあさん

       一年三くみ 中田 ゆうま

 ぼくのおかあさんは、ぼくが三さいのときぼくのかわりにしにました。おばあちゃんは、ぼくのなかにおかあさんはいつもいるよっていうけど、ぼくにはおかあさんはみえません。どうしたらみえるのかな。



 ◇◇◇◇◇        



「出来た…今度こそ成功だ!」


 完成したばかりの腕時計型タイムマシンを前にして、様々な思いが込み上げる。

 僕の母は、幼い僕を連れての散歩中、車同士の交通事故の巻き添えで命を落とした。

 咄嗟に僕を庇ったため、僕だけは生き残った。逆に言えば、僕を助けなければ母は死なずに済んだのだ。

 父も祖父母も、いや、周りの全ての人間が「お前のせいではない」と言った。

 けれど僕はあの日から、ただ一つの目標のために生きている。


 −僕が、お母さんを助けるんだ−


 友人を作ることもなく、ひたすら独学でのタイムマシン研究と、その研究資金を稼ぐためのバイトに明け暮れた学生時代。その努力がようやく今、実を結ぼうとしていた。

 これまでに行ったテストでは、時間の誤差はいずれもプラスマイナス二秒以内。大成功と言っていい。


 やっと母を助けに行ける。

 興奮で震える指を何とか押さえつけて、タイムマシンを起動する。設定した時間は、あの事故が起きる一時間前。場所はもちろん、事故現場だ。


 過去を変えれば未来は変わる。ただ、それはパラレルワールドに過ぎない。母を失って育った僕の過去が書き変わるわけではない。

 それでも、別の世界で母と幸せに暮らす僕が存在するのならそれでいい。

 そう思っていたのだが。   




「…くそっ、どうなってんだよ!」


 僕は呪いの言葉を吐いていた。

 これでもう十五回目のタイムトラベルになるが、未だに母は救えていなかった。

 事故自体を回避する事は出来ても、そのすぐ後で必ず別の凶事が起き、母は命を落としてしまうのだ。その中には事件事故だけでなく、母自身が急性心臓麻痺を起こしたものもあった。


 死は避けられない。

 そんな絶望が僕の頭をよぎる。

 …いや、待てよ。死が避けられないとしても、母の死はもしかしたら避けられるんじゃないか。もしも別の誰かの命でも代わることができるのならば。

 それは僕でいい。

 というより、僕にしか出来ないことだ。

 僕は、あの日皆からあの人を奪ったことをずっと後悔していた。

 だから全く迷いはなかった。

 例えここで僕が消えたとしても、元の世界は何も変わらず、明日を迎えるだろう。



 ◇◇◇◇◇



 実に清々しい気分で最後のタイムトラベルを行い、僕は五分前の現場近くに立っていた。少し先から、母に連れられた幼い僕が歩いてくる。

 お前はどうか幸せになれよ。

 そう心の中で声を掛けて、タイミングを見極める。左右から、速度を緩めない車が走って来た。


「……!!」


 飛び出そうとした瞬間、突然背後から強く引っぱられた。完全に体勢を崩した僕はそのまますぐ脇の路地に倒れ込み、直後、辺りに凄まじい衝撃音が響いた。


「何するんだよっ…………え?」


 声を荒げたまま振り返り、そこに居た相手の姿に息が止まる。


「……お、かあ、さん?」


 僕の目の前にいたのは、まさに今そこで命を失おうとしている母、その人だった。いや、よく見ると僕が知る母よりかなり歳を取っている。


「あなたを止めに来たのよ」


 混乱する僕にそう言うと、母は片腕を僕の目の前に掲げた。そこにあるのは、僕が作ったタイムマシンだった。

 慌てて自分の腕を見れば、ちゃんとそこにも同じものがある。


「あなた、悠真でしょう」


 思わず胸が震える。あの日からずっと聞きたかった声が、僕の名前を呼んでいた。


「私はここであなたに助けられた。…あなたのことは結局、警察でも身元が分からなくてね。見ず知らずの人なのにどうしてってずっと思っていたんだけど…成長した悠真を見てようやく気づいたの。あれは悠真自身だったんだって」


 ああ、僕は成功したのか。

 歳を重ねた母と幸せに暮らす僕は、確かに存在していた。


「あそこに残っていたこの機械ね、警察の人に頼んで私が貰い受けたの。壊れてはいないようだけど、使い方はよく分からなかった。でもね、大人になった悠真がどうしてあそこにいたのか考えたら答えは一つだったし…それに何とロックも解除できちゃった」


 そう言って、母は戯けたように笑った。

 そう、僕はこのタイムマシンにロックをかけていた。パスワードは母の誕生日。それを今、心の底から後悔していた。


「悠真の気持ちはとても嬉しいけどね…こんなことをしちゃ駄目。あなたは生きなきゃ」

「僕は…僕はお母さんの命を奪ってまで生きていたくない!お母さんの幸せを奪って、皆からお母さんを奪って…そこまでして生きる価値なんて、僕には」


 言い終わるよりも先に、母に強く抱きしめられた。温かい、そう思った。


「馬鹿ねぇ。もっと周りをちゃんと見てご覧なさい。あなたが生きていることを喜んでくれる人、きっと沢山いるはずよ」

「お母さん…」

「私がいなくても、こんなに優しい子に育ってくれた。私ね、それがとっても嬉しいの。…あなたにもう一度会えて、本当に幸せよ」


 そう言って僕を抱きしめる母の力が、急に弱まった。よく見ると、その姿が透けるように次第に景色の中に溶けていく。


「嫌だ…待って、行かないで」


 慌てて母の腕をつかもうとしたけれど、僕の手はその腕をすり抜けてしまう。


 頭では理解している。

 母の犠牲で生きている僕。

 僕が身代わりとなり生きている母。

 僕らは本来交わるはずがない存在だ。

 そして今いるこの世界は、母を失った僕の時間軸。母がいてはならない世界なのだ。


 分かっていても、僕は泣いた。

 消えゆく母の前で、子供のように。

 母も涙をいっぱい浮かべた顔で、一生懸命に笑顔を作っていた。


「ありがとう。大好きよ、悠真」


 母の姿が完全に消えた空間で、その優しい声が最後に聞こえた。



       ◇◇◇◇◇



 どれだけ時間が経ったのだろうか。

 いつの間にか辺りは茜色に染まり、車両も人もいなくなっていた。涙が枯れるほど泣き尽くした僕は、ゆっくりと立ち上がり、タイムマシンを設定した。そして真っ直ぐに顔を上げる。


「帰ろう」


 母のいないあの世界で、母の望んだ新しい明日を迎えるために。




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