見えない物

「ねぇ、この水槽のなかの魚たちにとってさ。水槽と、それ越しに見えるこの部屋が世界の全てなのかしら」

 下着姿のまま水槽を覗き込む彼女は、魚に話しかけるように話す。魚たちは、餌を待っているのだろうか。あっちへこっちへ、飛ぶように水槽の中を泳ぎ回っている。

「俺たちにとっても一緒じゃないか?今ここにいる俺たちにはこの部屋しか見えない」

「でも、私は外の世界を知ってる、記憶もある。遠くに住んでる家族のことも、会社のことも」

 彼女が振り返る。今更その姿に鼓動が踊ることはない。だが、美しいと思った。

「それに、私は貴方の今見えない場所もたくさん知ってる。貴方も私の」

「…哲学的にいえば、それは今変化してるかもしれないから、確かとは言えないんじゃないか」

 寝起きのコーヒーを啜り、煙草の空き箱を弄んでいる僕へ、彼女はゆっくり近づきながら、

「なら、また確認すればいいんじゃない?今、見ればそれは、今においては確かなこと、でしょ?」

「……二度寝のお誘いかな?」

「眠ったら、何も見えなくなるから、どうかしら」

「でも結局、また眠るんだろう」

「ふふ、それはそれ、これはこれ。大事なのは、今見えるか、見えないか。それだけ」

………

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掌編集 鹽夜亮 @yuu1201

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