世界五分前仮説

「私たちが生まれたのは五分前かもね」

 ベランダ、隣で煙草を吹かす彼女は呆けたように呟く。吐き出された紫煙が、眼下の街を朧げに覆い隠す。

「ああ、思考実験か」

「そ。あれって否定できないでしょ?」

「私が煙草に火をつけた五分前の記憶も、このベランダに貴方と出てきた十分前の記憶も、全部捏造だったりして、ね」

 また煙が揺蕩う。それに僕の吐いた煙が混ざり、絡み合いながら中空へ消えていく。

「だったら何か変わる?」

 彼女は短くなった煙草を細い指で摘みながら、最後の一息を吐いた。

「いや、なんにも。否定も肯定もできないことなんて、どうだっていいじゃない。世界に決して抗えない何かがあるのなら、それは無いに等しい。だって、抗えもしなければ見ることもできないんだから」

「…なら、何でその話を?」

「単純よ。貴方との一服、一人の時より五分長いの」

…………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る