Eat it up!!
藤田大腸
Eat it up!!
新型コロナウイルスが猛威を振るい続ける中、緑葉女学館中等教育学校もその影響をモロに受けていた。大きな行事は軒並み中止もしくは規模縮小を強いられ、自由闊達な校風の下で育まれた緑葉の少女たちは不自由な学校生活を送らざるを得ず、日々悶々としていた。
新型コロナウイルスが日本に上陸して一年経ったが、日本人の心はすっかり荒れ果ててしまった。やれ政府の対応が悪いだの、やれ感染する奴が悪いだのと、常に周りの何かを責め立てようとする。だがそもそもの悪の根源は新型コロナウイルスなのである。この憎きウイルスに対してほんの少しだけでも反撃してやりたい。そう考えた一人の生徒がいた。
令和3年度生徒会長、
そして迎えた任命式。大学受験で自主通学となった後期課程6年生(高校3年生)を除く全生徒に向かって、萌は演説した。人の集まりを極力減らすために、動画を撮影し教室に配信するという形を取って。
このとき萌はスクールカラーである深緑色のマスクを着けていたが、他の役員やサブたちも同様に着けており、生徒会の団結を示した。演説内容はやはりコロナ禍絡みとなったが、途中で横道にそれた。
「ところでみなさん。2月といえばあの行事があることを忘れてはいないでしょうか?」
少し間をおいて、萌は続ける。
「そう、バレンタインデーですね。昨年は未知のウイルスが忍び寄る不安の中でのチョコレートのやり取りとなりました。しかし三密を避ける、マスクをする、手洗いうがいをする。これらを守るだけでも感染予防に繋がることがわかりました。ですから、過度に恐れることなくチョコレートをやり取りして頂きたく思います。そして、今年のバレンタインデーですが。みなさん、今から大事なことを話しますのでよく聞いてください」
と、勿体つけてから言った。
「生徒会からも愛を込めて、皆様にチョコレートを差し上げます。それも単なるチョコレートではありません。私の実家で作られたスペシャルチョコを皆様に一個ずつ差し上げます。何、たった一個だけかって? 心配ご無用。実は、今ここに実物を持ってきてあります」
萌はサブの一人に命じて、スペシャルチョコを持って来させた。それが動画に映るや否や、校舎内から歓声が湧き上がった。
*
2月13日土曜日。半ドンで授業が終わった後、中庭で生徒会によるバレンタインチョコの配布イベントが行われた。
「はい、間隔はちゃんと開けてくださーい。ソーシャルディスタンスを保ってくださーい」
「一人一個用意してありますから慌てないでくださーい」
列を整理する生徒会サブたち。列の先では長机を挟んで、萌たち生徒会役員が一人ずつ丁寧にプレゼントボックスに入ったスペシャルチョコを手渡していた。
机の上にはスペシャルチョコのサンプルが飾られている。それはテニスボールほどの球形で、赤色の突起物で覆われていた。
そう、スペシャルチョコの正体は新型コロナウイルスを模したチョコレートなのだ。
球形のチョコレートに食紅で赤く染めたチョコチップをくっつけたものだが、これを受験生の分も含めて約千個作成したのである。憎きコロナウイルスを食らいつくしてやろう、というのがこのイベントの主旨であった。長机の横にはスペシャルチョコをバクバクと食べているアマビエの可愛らしいイラストが描かれた看板が立てられていて、スペシャルチョコを持って看板を背にして記念撮影をする生徒もいた。
イベントの予算は生徒会から出ているが、学校の金で生徒会長の実家の店を潤すという行為は倫理的に大きな問題がある。それでも生徒から問題視する声が上がらなかったのは、チョコレートの恩恵を受けられるのと、ささやかでも娯楽を提供してくれたことへの感謝の念の方が大きかったからかもしれない。
一時間も経たないうちに用意したスペシャルチョコは猛スピードで捌けていったが、20箱ほど残ってしまった。生徒会メンバーの分は別に用意してあるので、完全な余り物である。
「まあ、みんながみんなチョコ好きってわけじゃないからなあ」
当然、余ったチョコレートは生徒会が引き取ることになる。後で役員とサブとの間で再分配しようとしたところで、一人の生徒がやって来た。
「あの、貰いそびれたんですけどまだ大丈夫ですか?」
「ああ、はい。大丈夫ですよ!」
生徒の学年章を見ると、前期課程の3年生(中学3年生)の後輩であった。
「どうぞ。コロナウイルスを食べてやっつけちゃいましょう!」
「ありがとうございます」
プレゼントボックスを手渡した途端であった。後輩がいきなり涙を流し始めたものだから、萌はぎょっとした。
「ど、どうしたんですか? そんなにチョコが嬉しかったんですか?」
「いえ、違います」
「よかったら、訳を聞かせてくれませんか」
「はい。こいつのせいで私は大切な人を失ったんです」
後輩はスペシャルチョコのサンプルを指差した。
「誰か身近な方が亡くなられたんですか?」
「いえ。私、彼氏がいたんですけど、コロナのせいで別れたんです……」
後輩の語った顛末はこうである。実は、秋に彼女の父親が新型コロナウイルスに感染してしまったのだという。父親は無症状ではあったが後輩は濃厚接触者とみなされてPCR検査を受け、二週間自宅学習となったものの幸いにも陰性であった。
だが新型コロナウイルスの被害は間接的にもたらされた。後輩の家で感染者が出た、と隣近所はおろか、地区内で噂になってしまったのである。それは当然、彼女の幼馴染兼彼氏にも伝わった。
自宅学習期間の折に彼と会う機会があった。慰めの言葉をかけてくれるものだと思っていた。ところが信じられない言葉が彼の口から出たのである。
――お前と一緒にいたら自分も何を言われるかわからない
その一言だけで関係は終わった。自宅学習期間が明けてもしばらく学校に来れなくなるぐらいにショックを受け、一時期は後期課程への進学が危ぶまれる程にまでなっていた、と後輩は泣きながら語ったのであった。
役員やサブたちは口々に酷い、許せないと言い、後輩の心情に寄り添った。しかし、萌だけは違った。
萌は何も言わず、後輩をそっと抱きしめた。慰めの言葉をかけようとしたが、愛する人に裏切られて作られた心の傷口は言葉だけで簡単に癒えるものではない。だから行動で示したのである。
「せ、先輩?」
「辛い思いをしたんだね。私にはこうすることしかできないけど……」
後輩の目から、違う涙がこぼれだした。ぎゅっと萌を抱き返して、しばらくの間そうしていた。役員やサブが見ている中で。
「そうだ、何もかも全てこいつが悪いんだ」
萌はプレゼントボックスの一つを開けた。人の体を蝕み、感染者以外の心をも蝕む憎きウイルスをかたどったチョコ。それを後輩の前に差し出す。
「さあ、こいつを食べて元気を出そう!」
「はい!」
後輩がマスクをあごまでずらすと、形の良い唇が現れた。スペシャルチョコを手に取って、思い切りがぶりと噛み付いた。
「美味しいです!」
初めて、笑顔を見せた。萌もマスクをずらして、ほころんだ顔を見せた。
「気に入ってくれてありがとう。ここにあるチョコは余ったものだから全部持って帰っていいよ」
「え、それはちょっと。太っちゃうので……」
と言いつつも、半分ほど持って帰ったのであった。
二人のやり取りはこれでお終いではなかった。翌月のホワイトデーの日に後輩は律儀にも生徒会室までお返しにやって来たのだ。これがきっかけとなり先輩後輩関係を越えた交友が始まって、やがて恋仲に発展していくことになるのだが、それはまた別の話である。
Eat it up!! 藤田大腸 @fdaicyou
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