【EPISODE】2020.7.20

#MC-柊樹③-

 昔からだった。興味を持ったことに対する探究心と集中力、そして創造力にかけては、自他ともに認めるほど抜きん出た才能を持っていた。漫画原作者になれたのも、そうした天資の帰結にある。

 小学4年生の時、古本屋で立ち読みした「DEATH NOTE」を読んで、子供ながら初めて人間の才能に感動を覚えた。ノートに名前を書かれたら、その人間は死ぬ。子供でも分かるシンプルなアイデア1つでこれほど面白い物語が創り出せるのかと、鳥肌が止まらなかった。

 その日から、暇さえあれば漫画のストーリーを創作するようになる。幼い頃から児童養護施設で育った俺に自由にノートを買う金なんてあるわけもなく、職員からシュレッダーされるのを待つだけの雑用紙を貰ってそれに描いた。とにかく描いた。本当は絵も描きたかったけれど、絶望的に下手だったから見切りをつけた。そのうち誰かに見てもらいたくなって、自分が好きだった「週刊少年ペガサス」編集部宛てにとりあえず読み切りを1本、ネーム段階のものを送った。翌月は2本、翌々月は3本送った。当時は漫画賞の存在を知らなかったのだ。

 小学6年生になった頃、週刊少年ペガサスの編集者だと名乗る人物から施設に電話がきた。

『君は天才だ』

 熱量のこもった声で言った。電話番号を書いた記憶はない。多分、送付先の施設の名前から検索したのだろう。

「俺の話じゃなくて、物語の感想を聞かせて」

 無愛想にそう返した時も、物語を描いていた。その編集者は俺が今まで送った作品全ての感想や評価を事細かに話した。あまりに的確で、いつの間にか物語を描く手を止めていた。2時間どっぷり話し込み、電話を切った後で名前を聞くのを忘れていたと気づく。実際に会ったのはそれから1カ月先だったけれど、それが担当編集者となる嶋岡との最初の出会いとなり、俺が漫画原作者としてデビューするきっかけになったのだ。


 それから4年経った今、俺は市場シェア1位のレコード会社にいる。高校一年生を相手にするには有り余るほど広い会議室に通され、入室するとすぐさま用意された椅子に座るよう促された。最初は軽く挨拶から入るのかと思っていたが、随分ぶっきら棒だ。大方予想はつく。他人の悪意には敏感なタチだ。裁判官のように重々しい表情をして向かい合う3人の社員に対し、自身が作り上げたアイドルプロジェクトについて資料を提示し、説明を始める。

 しかし、ボールペンで机を叩く音とともに「もういいよ」と話の腰を折られた。

「上の命令だから話聞きに来れば、まさか高校一年生から共同マネジメントのお誘いとはよぉ。うちをどこだか分かって言ってるのそれ。お遊びに付き合ってられるほど暇じゃないんだ」

 3人のうちの真ん中が、茶色く濁った歯を見せながら嫌味ったらしく言い放つ。一番歳いってるのは一目瞭然なほど両隣に比べて老けている。役職もまあ、上の方なのだろう。

「漫画原作者だかなんだか知らんが、素人の持ち込み企画に上も何必死になってんだよなぁ」

 真ん中の老害に同調して、右隣の若い社員も小ばかにしたように笑い始める。

「何がおかしいんだ」

 老害は戸惑い気味に「あ?」と虚勢を張る。

「よく分かってるじゃないか。遊びじゃないんだ。駄目なら駄目で、何がどう気に食わないのか具体的に提示してくれ」

「いいか小僧ぉ。一時の偶発的なトレンドで、アイドル戦国時代なんて謳われたがそれもピークを過ぎた。アイドルもアマチュアリズムも、もう時代遅れだ」

「アイドル戦国時代の到来は偶然ではない。ネットやスマートフォンの普及……アイドルが文化となるために必要な土壌が満たされ、来るべくして来たものだ」

 それでも老害は小ばかにしたように鼻を鳴らしている。その拍子に鼻毛がはみ出した。お似合いな間抜け面だ。

「そもそもこのプロジェクトは、アイドル戦国時代の波に乗ろうという趣旨じゃない。ピークが過ぎている今だからこそ、真にやる意義がある。……と言っても、あんたらじゃ理解できないだろうな」

 身体中の体温が引いていくのを感じる。どうやら俺は自身の創作に没頭するあまり、大事な点で盲目になっていたらしい。ここらが、潮時だろう。

「本当に滑稽なのは、音楽業界に籍を置きながらアイドル文化が何たるかもまるで理解していない、あんたらの馬鹿さ加減の方だろ」

 それだけ言い放って、投げやりに会議室を1人退出した。

 創作の才能には自負がある。しかし、それを社会に展開していくには、自分はあまりにも不器用だ。今は、嶋岡のような良き理解者もいない。まあ、はじめから上手くいくとは思ってなかったが。

 7月も下旬に入っているというのに、関東はまだ梅雨明けしていない。しかし昨日今日と日照時間は確実に増えている。梅雨もそろそろ終わりに近づいていることは確からしい。

 数十分前まで見上げていた巨大なビルを背に帰路につこうとした時だった。「待ちなさい」と息を切らして叫ぶ声が聞こえて振り返る。俺を呼び止めたのは老害の左隣にいた社員だった。

「クラウドファンディングを行うにしては、あれでは企画が弱い。柊樹名義で行うならともかく、無名のプロデューサー、無名のアイドルに、何百万も出資してくれる人間はいない」

 せっかくクールビズを決めていたのに、走ってきたせいで少し着崩れている。荒げた息を整えるのを待たずして、「それと」と彼は付け加えた。

「本気であれを実現する気があるなら、うちじゃなくて業界2位の『ワールド・ミュージック』にすると良い。アイドルに理解があるし、アイドル事業の運営も上手い。共同マネジメントなら尚更だ。君が良ければ、あそこで働いてる大学時代の同期に口添えしておくよ」

 探していた。良き理解者であり、ビジネスに聡いパートナーを。

「そういやあんただけだったな。ちゃんと俺の企画書に目を通していたのは」

「遊びじゃないんだろ」

 彼だけは、俺を嗤わなかった。

「なんでこんな会社にいるんだ。あんたみたいな人が」

「どうしてだろうね」

 彼はズボンの脇ポケットから取り出したハンカチで汗を拭き取った。拭き取る前とは、表情が曇って見える。

「君のように熱いモノを持って入社したはずなのにね。それが夢だったかのようにある日突然醒めて、茫然自失に生きてたらこの有様だ」

「じゃあ、今にでも辞めればいい」

「私は今年で36だよ」

「何か関係があるのか」

「……ないね。君といたら、そう思えるよ」

 そう言った後、彼は名刺を差し出した。手際が手慣れたビジネスマンという感じだ。仕草の1つ1つに無駄がなく、器用さが見て取れる。ハンカチで汗を拭いた時もそうだった。

「改めまして、田辺健治です。ワールド・ミュージック仲介の件については、また後日連絡するよ」

 田辺はその時、自分の所属を言わなかった。失礼、と軽く頭を下げて会社に戻っていく彼の背を見届けて、再び俺は帰路についた。

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オリーブを咥えて。 トン @tomo887099

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