カマレーロ
その後すぐに会議は終了した。
次の会議開催の予定は不明である。
散らかった会議室を他の侍女達と片付けながら、メグは考えていた。
(近衛隊長を潰せばミカエルは決議案に署名するだろうか?いいや、あの冷静なミカエルがその程度で意見を変えるとは思えない。カテリーナの口から署名するよう後押しさせては?いや、政治に無関心なカテリーナの口からそのような言葉が出たら私が怪しまれてしまうだろう。メリンダから言わせてはどうか?あるいは母親の言うことなら聞くだろうか・・・?)
「メグ、手が止まっていますよ?」
そのメリンダがメグの前に突然現れて言った。
どうやら考えにふけるあまり、仕事をおろそかにしてしまったようだ。
「・・・大変申し訳ございません。」
謝りながら仕事の手を早めるメグ。
しかし、その手をそっと、メリンダは遮った。
「もういいわ、ここは他のメイドに任せて貴方はカテリーナの面倒を見てちょうだい。」
突然の言いつけを受けどぎまぎするメグ。
「しかし・・・。」
「カテリーナが直々に貴方を指名しているの。」
メリンダは優しく微笑んでいる。
「今日から貴方は彼女の専属よ。」
メグの事実上の昇進に、他の侍女や執事達は手を止めて羨ましそうな目でメグを見つめている。
優しく、他人への気遣いが出来るカテリーナは王宮内でも、国民からも人気が高い。
その彼女から直々に指名されたとなれば、着任早々、メグは自分の能力の高さをあっさりと証明してしまった事になる。
カテリーナの専属メイドというポストは前々から狙っていた者も少なくはないだろう。
「あなたたち、手を動かしてちょうだい。」
メリンダが全員に聞こえるよう静かに言うと、慌てて作業に戻るメイド達。
「あら、メグ!ご機嫌麗しゅう。」
メグが寝室に入るとカテリーナは膝に載せて読んでいた本を閉じながら言った。
彼女は窓を背にベッドに腰掛けている。
聡明そうな大きな双眸は青く、髪の色は薄い茶色である。
顔立ちは不思議なほど整っており、まさに王族然とした物腰の柔らかさも備えている。
「・・・カテリーナ様、その後のご体調はいかがでしょうか?」
綺麗にお辞儀したのちにメグは尋ねた。
「うん、すごく良いわ。この子も喜んでるみたい。」
目線を伏せ、お腹を撫でながら言うカテリーナ。
「・・・それはなによりでございます。」
努めて嬉しそうに言うメグ。
彼女が宿しているのは王の跡取りになることが半ば確定した子供なので、さっさと始末してしまいたいのがメグことデガータの本音だ。
「・・・何かご入り用でしょうか?」
微笑みながら尋ねるメグ。
「うーん・・・。いいえ、特に無いわ。」
素早く起き上がろうとしてよろめくカテリーナ。
慌ててメグは駆け寄ると彼女の腕をそっと掴み支えた。
「おっとっと、いけない。駄目ね、私ったら。」
はにかむカテリーナ。
「ご無理をなさらず。」
「ありがとう、メグ。優しいのね。」
笑顔を浮かべてカテリーナはメグにお礼を言った。
「どちらへ?」
カテリーナが体勢を立て直したのを見届けると、メグは掴んでいた腕をそっと離した。
「手紙を書きたくて・・・。」
もじもじとしながらメグに伝える。
「・・・長い間机に向かうのは体に毒でございますよ?」
さも当然のような口調でカテリーナにアドバイスをするメグ。
「えっと、でもなるべく早く返事を書きたくて、それに私の筆跡じゃないと駄目なの。」
戦時なので郵便物は全て検閲されている。
他国へと運ばれる文書なら尚更である。
スパイ狩りの弊害であった。
「・・・左様でございますか。」
しばらく思案してひらめくメグ。
そして、二人の間に流れていた気まずい沈黙を破るようにメグは言った。
「この王宮に大工仕事の得意な者はおりますか?」
カテリーナに尋ねると、
「うーん、居るとは思うけど、どうして?」
眉間に皺を寄せ、疑問符を表情で表すカテリーナ。
「私に考えがございます。」
しかし、そっとほほえむメグ。
「わあ!これすごく便利ね!」
王宮お抱え大工の職人技に目を輝かせて喜ぶカテリーナ。
メグの書いた図面を元に王宮の大工が作ったのは、折りたたみ式で車輪の付いたテーブルであった。
テーブルを畳んだ状態では歩行補助にもなる。
王妃の頼みとあらば腕によりをかけて作る、と半日も経たずに集団での流れ作業であっという間に品物を完成させたのだ。
メグの書いた図面の精巧さと、カテリーナの人望の高さがうかがえる出来事だ。
「・・・お喜びいただけて幸いでございます。」
笑みを浮かべたメグであるが、内心複雑であった。
何を隠そう、以前、身ごもった魔王の妃、エルザが似たような物を作らせて使っていたのだ。
そのときエルザは自分からひらめいていた。
完成品を見た際の彼女の笑顔が脳裏に焼き付いているメグことデガータは目眩に似たものを少し覚えていた。
「本当にご両親はお医者なのね!元気にしてらっしゃる?」
うきうきとメグに尋ねるカテリーナ。
事前に調べた情報と脳内で照らし合わせて、メグは答えた。
「既に他界しております。そのため侍女として住み込みで働くようになった次第です。」
無表情で答えたメグにぎょっとし、申し訳なさそうなカテリーナ。
「ごめんなさい、私ったら。」
ベッドに腰掛けるカテリーナ。
「お気になさらず。」
意気消沈したメグを見て慌ててフォローするメグ。
そして微笑みながら、
「お茶を淹れ直しますね、お手紙と羽ペン、インクもお持ちします。」
とカテリーナに告げた。
「ええ、お願い。」
と笑顔を返すカテリーナ。
そして、膝に載せた手紙を読む。
すると、
「ねえ、メグ?」
と嬉しそうに彼女に呼びかける。
「何でございましょうか?」
メグが聞き返すと、
「アンヌったら、デミトリに告白したみたい!上手くいったそうよ!」
拳を握って振りながら子供のようにはしゃぐ。
「左様でございますか。」
テーブルにお茶と筆記用具一式を置くとメグはカテリーナと一緒に手紙を読んだ。
「拝啓 カテリーナ様 デミトリに勇気を振り絞って告白しました。
すると、デミトリも以前から沢山話しかけてくれる私の事を好いてくれていたそうで、二つ返事で承諾してくれました。
今は幸せでいっぱいです。
カテリーナもミカエル様とはこのように気持ちが通じ合っているのでしょうか?
不思議です。
セラームは議会で徴兵令が可決されたそうです。
ひょっとしたらデミトリも戦場に赴くのでしょうか?
そのことを考えると胸が張り裂ける思いです。
やっとデミトリと一緒になれたのに、離れたくは無いのです。
ミカエル王は息災ですか?
サミュエル様のご足跡も気になります。
何か良いお知らせがあると信じています。
敬具 アンヌ・エリザベッタ」
「アンヌったら、もう!隅に置けないわね。」
読み終えて嬉しそうなカテリーナ。
「・・・失礼ですが、アンヌ様とはどのようなご関係ですか?」
探りを入れるメグ。
「アンヌは近所の幼なじみよ。本当に小さい時から姉妹同然に遊んでいたわ。お互い、一人っ子で両親が多忙な上に、お互いの子守が仲良しだったの。」
メグの意図には全く気が付かずに饒舌になるカテリーナ。
「カテリーナ様は王族でいらっしゃるのでは?」
身分格差が生じている奇妙な友情に疑問を持つメグ。
「ええ、そうよ。私の父上はセラームの王よ。どうして?」
キョトンとしながら当たり前のように言う。
すると、メグは更に探りをいれてみる。
「アンヌ様の住所を拝見しました。高級住宅街ですが、王宮のそばではございませんでした。」
アンヌの素性はメグことデガータには不明なままであった。
そして、メグの脳内にはすでにセラーム全体の地図と城下町の詳細が記憶されている。
潜入を得意とするデガータの徹底した下調べが功を奏していた。
「ああ、そのことね。」
合点がいった様子で、更にカテリーナは饒舌になる。
「彼女は両親の家業を継いだの。」
メグも合点がいった様子である。
セラームはウィンストとは隣国同士で、交易が非常に盛んである。
行商人の一族ともなれば、王族同様の高い権限と威光があるのだ。
そして、少しでも王との取引をスムーズに行うため、昔から王宮の側に定住している。
恐らくアンヌの素性はそうした一族なのだろう。
「と、いっても彼女がやることなんてほとんど無くて、親戚にほぼ任せっきりみたい。」
すこしつまらなそうに言うカテリーナ。
アンヌへの信頼がうかがえる。
「王宮から近い家の方が都合良いからってその親戚に家は明け渡したみたいよ。」
家、とは言うものの庶民からしたら豪邸どころかさながら小さな城である。
それを簡単にやり取りするアンヌ一族の財力と商人特有の決断力の高さがくみ取れる。
「代わりに親戚の家に交換で移り住んだ、というわけ。」
どうやらアンヌは一族でも発言力が高い人物のようだ。
そうでなければ騒動が起こりそうな出来事である。
「・・・左様でございましたか。」
多少、面をくらった様子のメグ。
「それにしても、ずいぶんセラームの地理に詳しいのね?」
気軽に聞いてきたカテリーナに対し、急いで脳内情報を整理するメグ。
「・・・実はセラームに親戚の家がございます。」
地元住民のカテリーナとは対照的にメグには土地勘が全くない。
ボロを出さないよう丁寧に答弁することになる。
「へえ、どのあたりかしら?」
警戒心の欠片もなく更に尋ねるカテリーナ。
メグことデガータは表情には出さないが内心、落ち着かない。
「城門のほど近くでございます。」
内科医と関連が深いのはやはり薬剤師であろう。
事実、デガータの演じている人物にもそうした繋がりは確かにあった。
といっても、本物のメグはもう二度と親戚には会えないのだが。
「あそこには確か薬剤師さんのお家がたくさんあったかしら。きっとそのうちのどれかね。」
王族にとって体調の管理はもはや義務である。
となれば、カテリーナにもお抱えの薬剤師の一人や二人は居てもおかしくはない。
もちろん、一人で気軽に出かけられるような身分の女性では無いのだが。
「そうでございます。」
着地点を見いだし、ホッとするメグ。
「やっぱり貴方を初めて見た時からなんとなく親近感が沸いたのはそのせいだったのね。」
笑顔を浮かべながらカテリーナは意外な事をメグに伝える。
「・・・といいますと?」
全く合点がいかない様子のメグ。
「少しでもセラーム人の血が入っているとお互いに分かる、って言うそうよ?」
「左様ですか。」
もちろん、メグことデガータは魔族なので人間とは関わりが無い。
すると、更に意外な事をカテリーナは告げる。
「ええ、確かにセラームにはメグみたく背が高く、肌が白くて黒髪に黒い目の女性が沢山いるもの。私ったら母親似ですものね。」
ややがっかりした様子でカテリーナはメグに言った。
町に出た瞬間に誰か分かる外見というのは肩身の狭いものだろう。
ましてや王族のカテリーナには重圧がつきものだ。
「お母様はどちらの方なのですか?」
気遣う様子で尋ねるメグ。
「北のウッドラント出身よ。そこのお姫様だったみたい。」
「騎士の国ですね、魔族の拠点が近いので昔から列強として名高いとか。」
北に居座る魔族の絶対的な防壁の役割を太古の昔から担ってきた国である。
城も国民も岩のように強固で、魔族にとってはいわば目の上のたんこぶである。
しかし、ウッドラントの実像を知るカテリーナは意外な事実をメグに告げた。
「母上いわく、男は年がら年中戦ってばっかりだから、女は昔から家で本を読んだり書いたりしていたそうよ。」
男の居ない家を守るのは残された女性達である。
しかし、ただ待つのはつまらないものだ。
カテリーナが読書家なのは母親譲りかもしれない。
「あの有名なパンサー王伝説も実はノンフィクションで、パンサー王の奥さんだか娘さんだかが実際に見聞きした事をそのまま書いただけ、なんて話もあるくらい。」
パンサー王伝説は、この大陸における歴史的な名著である。
老若男女問わず愛読され、文章の表現も巧みだが、個人的な見解やまるで傍らで実際に見ているかのような写実的な描写が多く、読み終えると疑問符が残る作品でもある。
「・・・それは驚きです。」
デガータにとっては潜入の入り口となった本でもある。
潜入対象の文化や風習は、スパイにとっては知りすぎて困るものではない。
「でしょう?母上、元気にしているかしら・・・?」
「今はどちらに?」
尋ねると急に表情が曇るカテリーナ。
「実はウッドラントに帰郷しているのよ、議会に招集されたんですって。」
平民を率いるのが王族の任務である。
であれば、カテリーナの母親は真っ先に故郷へ戻ったのだろう。
すると、メグことデガータの脳裏にある考えが浮かんだ。
「お手紙を出されてはいかかがでしょう?」
もちろん、盗み読むのが前提である。
「それもそうね、メグが作ってくれたこの、回転式円卓?のお陰でだいぶ楽に手紙が書けますもの。」
先ほどからカテリーナの茶請けを担うテーブルを触りながら言う。
「張り切って書くわ、手伝ってちょうだいね?」
にこやかに言うカテリーナ。
「かしこまりました。」
メグは快諾した。
翌日、速達でカテリーナの母親から返事が届いた。
「カテリーナへ
お手紙嬉しいわ。
思い切って速達で出したのだけれど、ちゃんと早めに届いたかしら?
それはそうと、今のウッドラントは最悪よ。
議会は荒れに荒れていて、簡単な法案一つ通らないの。
このまま魔族に攻められたらひとたまりも無いわ。
せっかくの強力な軍隊も政治家の指示が無いと動けませんもの。
さて、孫の顔を見るのを楽しみにしているわね。
ミカエルと仲良くね。
マーナ・ウッドラントより」
夜遅く、王宮からあてがわれた小さな部屋でメグことデガータは月明かりを頼りに手紙を書いていた。
魔法を使わないと読めないよう細工がしてある。
宛先は魔王姫ヒルダである。
「今は王宮で侍女として住み込みで働いております。
着任早々、経済大臣を始末いたしました。
保守的な男でしたが、後任のナンシーという女は予想通り魔族との和平決議案を通そうとしています。
外務大臣の男と法務大臣の女も同様にミカエル王に決議への署名を迫っています。
いずれ王も折れるかと。
・・・残念ながら、私とほとんど入れ違いになりサミュエルを取り逃がしてしまいました。
戻ったら何なりと処罰をお申し付けください。
覚悟は出来ております。
どうやらサミュエルはエルザ様の剣を携えているようです。
サミュエル自身があの剣の価値に気がついているとは考えにくいのですが・・・。
先ほど入手した情報によりますと、北国ウッドラントでは議会の進行が上手く行っておらず、軍隊も攻めあぐねている様子。
奇襲を掛ければ簡単に攻め落とせるものかと。
引き続き潜入を続行いたします。」
窓辺に留まるワタリガラスの足にしっかりと手紙を結ぶ。
すると、カラスは北へと飛び立った。
それを見送ると、メグことデガータはヒルダの事を思った。
爺さん(元国王)旅に出る! チョモ・マ・ラン @tyomo-ma-ran
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