バレンタインの戦友へ

月ノ瀬 静流

バレンタインの戦友へ

 二月十四日の放課後、俺は鞄の中に手作りのチョコを抱えていた。

 ――と、言ったなら、きっと誰もが羨ましい展開を想像するだろう。

 違う。

 そんなんじゃない。

 何故なら、そのチョコの製作者は俺自身だからだ。

 じゃあ、俺がパティシエ(……じゃないな、ショコラティエっていうんだっけ? チョコ職人ってやつ)でも目指しているのか、って?

 違う。断じて違う。

 自慢じゃないが、俺は不器用だ。こいつを作る過程で、チョコと一緒に包丁で指を切り、爪を削り、湯煎の鍋に触れて火傷した。つまり、こいつは俺の血と汗と涙の結晶だ。

 なら、どうしてそこまでして、チョコを作ったのか。

 簡単なことだ。

 調理実習だったのだ。

「二月十四日に調理実習でチョコバーを作る」

 これだけ聞いたのなら、学校もなかなか粋なことをする、と言うかもしれない。

 だが、俺の学校は「男子校」だ。

 このチョコを一体どうしろというのだ!?

 ――そんな俺たち生徒の思いを知ってか知らでか、どこにでもいる、そのへんのお喋りなおばちゃん然とした家庭科教師は言ったのだ。

「はい、皆さん。このチョコはバレンタインのチョコです。せっかく作ったんですから、ラッピングした分は、日頃の感謝を込めて、誰かに贈ってくださいね! これ、宿題にしまぁす!」

 当然、生徒からはブーイングである。

 他校に彼女でもいればともかく(手作りチョコを渡された彼女にしてみれば、複雑な気持ちのような気もするが)、俺たちの年頃の男が誰かにチョコなんて贈れるわけがないのだ。

「もちろん来週、誰に贈ったか、なんて野暮なことは聞きません。だから、自分で食べてしまっても分かりません。けど、それは凄ぉく虚しいことだと思いますよぅ?」

 そう言って、ふふ、と笑った家庭科教師の前に、五個ほどのチョコが積み上げられた。手っ取り早く宿題を済ませた奴らの中に「感謝の気持ち」はないだろう。チョコの制作過程を思い返しても「嫌がらせ」しか入ってなさそうだ。

 しかし、家庭科教師もさる者。「あら、ありがとう!」と、にっこり笑い、どこに隠し持っていたのやら、お買い物バックを出してきて、それらを仕舞った。

 そんな家庭科教師に贈るのも、何か負けたような気になるので、俺はチョコを鞄に入れた。そして、放課後になった、というわけである。



 冷静に考えて、母さんに贈るのが妥当だろう。

 昨日の晩、エプロンやら布巾やらを用意してもらうとき「調理実習で何を作るの?」と、聞かれた。で、正直に「チョコバー」と答えたら爆笑された。俺だって好きで作るんじゃない!

 ……母さんに贈ったら、何て言われるか。それを思うと、いまいち気乗りしないが、他に案がない。

 なんて思いながら、近所の公園を横切った。ぐるりと歩道を廻るよりも、対角線上に公園を抜けたほうが微妙に近道だからだ。

 と、そのとき。後ろから、どん、とぶつかられた。

 なんだ? と、思った俺の視界に赤いランドセルが映った。

 その子は、公園のゴミ箱まで走っていき、そのまま手に持っていたものを投げ入れた。そして、そのまま肩を落としてうなだれる。

「なんだぁ……?」

 袖振り合うも……というより、思い切りどつかれたわけだが、ただならぬ様子に放っておくのも可哀想な気がした。何故なら、彼女がゴミ箱に入れたものを、俺はちらっと見てしまったからだ。

 彼女に近づいて「おい」と声を掛けた。

「な、何よ!」

 俺はてっきり、彼女は泣いているのだと思っていた。

 バレンタインの日、ゴミ箱に突っ込まれたハートのシールの付いた包み。百均で売っていそうなそれの中身は、当然、チョコだろう。

 ランドセルから、アンテナみたいに突き出ているリコーダーの袋には、「四年二組」。続けて彼女の名前が書いてある。

「ああ……。ええと、人にぶつかっておいて、何も言わないのはいけないと思うな」

 可哀想な美少女を想像していた、とまでは言わない。ただ、内気な女の子だと勝手に決めつけていた。

「あんたこそ、ボーッと歩いて、あたしの通行の邪魔をしないでよ!」

 キッと睨みつけた目が大きく、印象的だった。後ろ姿から感じられた弱々しさが、一気に吹き飛ぶ。

 正直、このガキンチョめ! 思った。

 けれど、彼女の指に絆創膏が巻かれているのを見つけて、分かってしまった。

 やっぱり、彼女は泣いているのだ。心の中で。

 俺は、彼女と同じように絆創膏を巻いた指で、ゴミ箱の中の包みをつまみ上げた。彼女が「あっ!」と声を立てる。

「それはっ!」

「うーん? ゴミ箱って、たまに今週号の漫画雑誌とか入っているんだよね」

「だ、だから何!?」

「結構、いいものが入っていたりするんだよ、ゴミ箱」

「それ、返してよ!」

「誰かが要らないって捨てたもんだから、俺が拾っても構わないだろ?」

「返してったら、返してよ!」

 彼女は背伸びして奪い返そうとするけど、小学生のガキンチョの手が俺に届くわけがない。

「中身、なんだろう?」

「チョコに決まってんでしょ! あんた何? あたしを笑いに来たの!?」

 ガキンチョのくせに、言っていることが、なんか、いっぱしの女っぽい。

 ――実際、こんなガキンチョでも、このチョコの中にはコイツの精一杯の思いが詰まっていたんだろう。

「お前、チョコ食いたいわけ? だったら、これをやるよ」

 俺は、彼女の「違う!」という怒鳴り声を無視して、鞄の中のチョコを出す。

「あ、あんた、人から貰ったチョコをほいほい誰かにあげちゃうわけ?」

 今度は「女の敵!」と言わんばかりの軽蔑の眼差しが突き刺さる。

 ……確かに、バレンタインに男が自分の手作りチョコを持っている、なんて考えないよな。

「話せば長くなるが、これは宿題なんだ。お前がこれを受け取ってくれると、俺は助かる」



「俺もチョコ作りを経験した身だ。いわば、戦友だ。友の屍をみすみす放ってはおけない!」

「あたしは死んでないよ……」

 なくなってしまったのは、チョコに込められた彼女の気持ち。けれど俺は、頑張った彼女の努力ほねくらいは拾い上げたかった。

「というわけで、俺と『友チョコ交換』をしよう」

 自販機の缶ジュースを彼女に貢ぎ、俺はベンチで交渉する。

「でも、そのチョコ、一度、先生にあげたやつだよ。……受け取れないって、返されちゃったけど」

 相手は学校の先生か。

 そのくらい受け取ってやれよ、と思ったが、立場上、いろいろあるのかもしれない。

 クラスメートの誰々君に「お前のチョコなんか受け取れるか!」と言われた、とかじゃなくて、むしろ救われた気がした。



 そして無事、交渉成立。

 俺たちはチョコを交換して、それぞれの包みを開けた。

 中身は予想通りの不格好なチョコだった。たぶん、彼女も同じことを思っているだろう。

「あんた、意外にいいヤツだね!」

 俺のチョコバーを齧りながら、彼女が笑った。美少女には程遠いが、いい笑顔だった。

「意外に、は余計だ。けど、俺の爪の垢を食ったから、お前もいいヤツになっているはずだ」

 俺はにやりと笑う。

 本当に爪の垢が入っているかは分からないけど、本来の材料以外の何かが混ざっていたとしても不思議ではない。何しろ、俺が作ったチョコなんだから。

 初め、彼女はキョトンとした。

 そして、ハッと自分の手元のチョコバーを見る。

 そのあと、なんとも言えない顔になって、もぐもぐ動いている俺の口元を見た。

 ……たぶん、俺が今、食べている彼女のチョコも、似たようなものが入っているんだろう。



 それから五年。

 俺たちは毎年、なんとなく「友チョコ」を交換し続けている。

 もちろん、俺は次の年から買ってきたチョコだったが、あいつは毎年、律儀に手作りしてきた。年々、腕が上がっている。

 けど、そろそろ俺は、バレンタインにはチョコを貰うだけにしたいと思っている。一ヶ月後にはちゃんとお返しをするからな、と言って。






※「男子校で、2月14日に、調理実習でチョコバーを作った」ところだけは実話です。

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