第8話
…何か…いい匂いがする。
そう思ってひなたは目を覚ました。キッチンの方に視線を移すと見覚えのある人影が動いているのが見えた。
「あ、起きました?お邪魔してます」
「紺ちゃん…?」
どうやって入ったのか、といった質問はこの際さておきつつ
「丁度いいタイミングで起きてくれてよかったです、今ご飯できますからね」
寝起きでまだ頭がよく働かないひなただったが、どことなく奇妙な違和感を感じながらあっという間に配膳されていく朝餉を眺めていた。
「ほらひなたさん早く顔洗ってきてください。ぼーっとしてるとおかず頂いちゃいますよ?いただきまーす」
ひなたは、時間と共に昨夜の出来事が鮮明に思い出された。目の前にいる紺との出来事を。
「紺ちゃん」
ひなたが紺の手首を掴むと、微かに震えているのが分かった。そのことにひなたは胸の奥が締め付けられるような辛さを感じた。
「私といるの…怖いなら無理しないでいいんだよ?」
ひなたは今の自分ができる精一杯の優しい笑顔を示してみせた。
「どうしてこんな時まで…ひなたさんはひなたさんなんですか…?」
紺の目からは微かに涙が溢れ、紺は慌ててそれを拭った。それを前にひなたは何も言えなかった。言えようはずもない。
「怖くないって言ったらうそになります…でも…」
紺はなにかを覚悟するような瞳でひなたの目を見て言った。
今涙を流したからじゃない。真っ赤に泣きはらした目だ。きっと、一晩中。
「今はただ…頑張ったひなたさんに…いっぱい痛い思いをして…ちゃんと生きて帰って来れたひなたさんに…!!!ちゃんとしたご飯を食べて欲しいんです…!!!」
その時…ひなたの心に温かなものが灯った。
「わ、私の作ったものがちゃんとしたものかどうかはわからないですけど…でも…」
「紺ちゃん…」
ひなたは、何も言わず紺の肩を両手で抱き締めた。
「ひなた…さん…!」
紺が鼻をすする音だけが時折静かに響く。
しばらくそうしていたが、何となく気恥ずかしい気持ちが湧いてきたのか、二人はそそくさと身体を離した。
紺はしばらく言いづらそうにちらちらとひなたの顔を覗きこんでいたが、意を決したように言葉を発した。
「たぶん…ひなたさん絶対自分からは言わないだろうなーって思うから言いますけど…危ない目に遭いそうになったら…その時は…その…助けてくださいね?」
ひなたは優しく微笑んで言った。
「…うん…約束するよ」
~~~~~~~~~~~~
「あ…醤油切らしちゃいました」
「あ、じゃあ買ってくるね、ちょっとお留守番してて」
そう言い残してひなたは玄関から財布を片手に出て行った。
一人取り残された部屋で静かに洗い物を再開していると、玄関から人の気配がした。
「…結局あなた方はそうやって安穏とした日常に戻っていくのですね…愚かしいことに…」
玄関には十慈が立っていた。不思議なことに紺もなんとなく来るような気がしていた。
「愚かでいいんです…どんな結末が来ようと私たちが出来ることはそれをただ見届けるだけなんですから」
紺は流しの皿を丁寧に一枚ずつ拭きながら答えた。
「そして私は私が出来ることをするだけなんです…あの人の孤独を少しでも癒せたらって…思い上がりかもしれないですけど…きっと天国のお父さんだってそう言ってくれるって…私は信じます」
「全く…本当に度し難いものです…わざわざリスクを冒すなど…」
そう言うと十慈は懐から一枚の札を渡してきた。
手渡された名刺大のカードを見るとそこには猫のイラストが描かれており大きな文字で『猫カフェ・にゃんパーク』と書かれていた。
「これ…は…?」
「おっと、間違えました…こちらです」
「………」
紺は気を取り直して再度手渡されたカードを見ると、複雑な文字と紋様が描かれた札だった。
「これは…」
「それをいつも携帯していなさい…万が一の時に神崎ひなたにあなたの場所を伝えることくらいはしてくれるでしょう…最もそれがどれほど役に立つかしれたものではありませんが…」
まったく…玉様に知れたらどうなるか…とぶつぶつとぼやきながら十慈はさっさと去って行ってしまった。
なんだかんだ優しい人なのかもしれない。
紺がベッドに腰掛け窓から外を覗くと買い物から帰ってきたひなたがくしゃみをするのが見えた。
(FIN)
イート・ゴッド・レクイエム 藤原埼玉 @saitamafujiwara
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