45.藤原埼玉『ヘレティック・ヘイト・ディヴァイン』
〈謎のかわいいちゃん〉
異教徒を殺す教会の殺し屋なんて、格好いいじゃないですか!
といったような、とてもエモーショナルで魅力的な設定を、B級に落とさずに描ききるのが埼玉さんの作品の魅力であり、実力でもあるのだと思います。
教会という本来なら人を救うはずの組織が、寛容を捨て異教徒を殺すという方針をとっていること、そのために行く宛てのない子供を厳しい訓練に放り込み暗殺者として育て上げ使い倒すこと、信仰を大義名分に死体を重ねていく生き方……グレイスはきっとこれらに疑問を抱いていたのでしょう。だからこそ土着の信仰を持つ村のあり方に揺さぶられる。
>「最後に教えてヴァイオレット…なぜ私たちは生き延びた?…殺すことで生き永らえてきた私たちは…そんな価値が本当にあったの…?」
>「…はは…そんな悠長なこと言って生きられるような世界に…私たちは生まれてないだろ……」
神は果たしているのだろうかという問いとその答えがこの会話です。神はいない。だからこそグレイスは夜明けとともに死ぬことにした。
そんなグレイスが見つけたのは、村の子供スカーレットでした。神に祝福されているとグレイスが直感した子供のスカーレットを見つけ出すに至り、グレイスは思います。
>神よ。
>たった一人の神よ。
>どうか愚かな私をお許しください。
>この咎人は生きたいのです。
これはヴァイオレットとの会話において一度は失った神を、スカーレットを見つけ出すことにより再度取り戻したということであり、これまで人を殺して生き延びてきた自分自身を見捨てずに、それでも生きていこうとするグレイスの決意なのでしょう。その決意は痛ましく、悲壮で、そして美しいものです。
そうした心の変遷が、キャラクターの会話や展開によって自然と読者が飲み込めるように書かれている。とても完成度が高く、魅力的な作品でした。
〈謎の夜更しさん〉
教会の暗部、異教徒を粛正する掃除人グレイスを主人公としたハードボイルドな作品です。
過酷な運命の中、教え込まれた神に盲目的に従うことで生を保ってきたグレイスが、異郷の村の少女スカーレットとの会話の中で、彼女が真に神に祝福されていると直感してから、自らの在り方に葛藤します。忌むべきはずの異郷の村で本物の信仰に出会い「神は確かにいる」と直感してしまいます。それはつまり、今まで神の存在を認められなかったことの裏返しでもあります。本人もどこかで自分の信仰が罪から目を逸らすための虚飾であると気付いていたのでしょう。この物語の最も大切な部分、掃除人グレイスに芽生えた疑念が決定的になるシーンに「神は確かにいる」という一文を持ってきたのは凄いと思うのです。たった一文の説得力。凄まじかったです。
終盤においてグレイスと対峙するヴァイオレットは、信仰に罪を預けたグレイスと異なり、真正面から罪を引き受けて血肉とする生き方を選んでいました。戦闘において彼女に勝利したグレイスですが、神を捨てて個の願望のために殺す行為はヴァイオレットの生き方をなぞるものでもあります。ヴァイオレットの肯定、すなわち神などいないという結論です。ところが最後の最後に生き残ったスカーレットを発見したグレイスは、神を取り戻し、祈るのです。
罪の逃げ先としての虚飾の神から抜け出したグレイスにそれぞれ「神など居ない世界」「人のための神がいる世界」を示した二人が共に色を名に持っていたことは、何か示唆的なものを感じます。
〈謎のネオサイタマ〉
自作です。
藤原は邪気眼ハイスクール付属中学二年生なので「異端審問官」的なもので書こうと思いました。
根幹にあったテーマは「支配→自由」。
自分はたくさん間違えて生きてきた。これからも間違えるかも知れない、それでも自分は生きていたい。という想いを描きました。
その想いは紛れもなくエゴなんですけど、その想いは誰にもNOといえるものではないと思うし、懸命に生きたいという気持ちはそれ自体が美しいものだと思っています。
創作者としてはその想いを美しく描く事自体がそのものに”YES”と言う行為だと思ってます。