第6話 反遭遇
少し歩いた先。見開いた広い山道が見えた。
「ふむ。ここならよかろう。
そこの草木林の中から通る者を確認しようぞ」
カルハはずかずかとその見通しの悪い林の中へと消えると気配を消した。慌てて背後の道を確認し忠右エ門もそこに入っていく。
入るとこちらには光が入っては来ず完全に視界は先程の山道しか見えない。
自然にその視界に意識は集中される。
「さて、暫らくここで息を潜めるとしようか」
背後からカルハの声だけが聴こえた。
1刻程過ぎた頃だろうか。
人は誰一人そこを通らなかった。
林の中は光は入らないが、風通しも悪く湿気がひどい。むしろ今の季節であれば外の方が涼しく快適だろう。
「すまん、ちょっと小便に行ってくる」
突如、背後でカルハがそう言った。
この状況で? と一瞬戸惑ったが出てしまうのは仕方がない。
「悪いが、目を見離さなんようにしといてくれ。なに、そんなに遠くには行かん」
言われなくても、忠右エ門はより集中してその景色を見張る。
もし、このタイミングで阿藤杵光が現れたなら場合によっては自分が襲わねばならないだろう。
そんな、緊張が増した時。
袴の擦れる音と刀の鍔を小さく鳴らしながらカルハが言った。
「2年も
無論、そのつもりだ。ジッと視線を動かさず忠右エ門は返答した。
「問題ありません。奴の顏は毎晩夢時に瞼の裏に焼き付いて消えませぬ。例え、この距離だろうと奴は通れば必ず見当ててみせます……そして……」
「うむ」
背後でずりずりと妙な音がしている。一体どの様な体勢で小便をしているのか。
「しかしな。
現在は伊賀や甲賀の忍びの者に用いられていた変装術に蘭学の知恵が入って一目には解らぬ事も在るらしいぞ?
顔の肉を切り開き、頬骨や顎骨を削り。また肉を縫い合わせ。その傷を隠す為に髭などを生やせば……或いは全くの別人に成れると聞く」
一体、何を言っているのだろうか?
もし、阿藤杵光がそうなっていたのならば。
何故『ここ』を阿藤杵光が通っている。という情報がカルハに入るのだろう。
おかしい――。
違和感がある。
そもそも、それはかなり前から小さく忠右エ門の心の中に木霊していた。
最初は脈拍の様に、やがて忘れそうな程だったそれが。
「あの情報屋の酔っ払い」
まるで。
警報の様に。
腰の刀に手を掛けて振り返った時。
その眼前に閃光が走った。
忠右エ門振り返ると同時に後方へ跳び避ける回避も行っていたが、左の肩から胸に掛けて思い出したくない熱さが走った。
「がはぁっ――」
膝が崩れそうになるのを必死で堪えると、一気に臍から足に掛けて湯を掛けられたような感覚に陥った。
「惜しかったな。もう少し早う気付けていたら避けれていたかもしれんな」
その声は、先程までのお道化た感じは微塵もなく。
「無駄に手間を取らせるな。今の一撃で致命傷じゃ。心の臓まで刃が通った。すぐに楽にしてやるからジッとしてろ」
ただただ、冷たさを帯びていた。
「くっ」
震える足を引き摺り、林を抜けると初めてその夥しい己の出血量を確認した。
「がっ‼ 」
そして、肺にも傷が入ったのか多量の喀血を吐いた。
刀を持ったまま少しでも出血を止めようと傷口を押さえるが、波打つそれは一向に治まらない。
「お~い。何処にいくぅ? もうどうしてもお前は助からんのじゃぁ。じゃあ、せめて苦しむなやあ」
そして、そこから出てきた男の顔を睨む。
男は下卑た笑みを浮かべて、自慢げそうに蓄えた顎髭をぞりぞりと擦った。それはそこにある傷痕を見せつけようとしている行動。
「貴様。阿藤……杵光なのだな? 」
もはや、その言葉を出す事が辛い。
「御名答。くかかかかか。
あんまり簡単に信じてくれるもんじゃから、笑いを堪えるのが必死じゃったわ」
そう言うと、その初老の男は壊れた様に大笑いした。
まるで、2年前とは別人のその顔を睨む忠右エ門の瞳に涙が浮かんだ。
「まぁ、この手品の種はさっき話した事が全部じゃよ。
いやはや、ホンマ忍の術とはいなげなものじゃて。ただ、結構痛くてのぉ。
その後も暫らく物を噛めなんだり、不便なもんじゃった。
しかし、おかげで」
そこでグッと刀を構える。
「仇討ち返り討ちにて、これで無罪放免じゃあ。かかかか、今夜からゆっくり眠れるわぁ」
先程まで、それを優しい笑顔と思っていた事すら悍ましい。阿藤杵光は、ぐしゃあと顔を歪めて不気味過ぎる狂気の笑みを浮かべて忠右エ門に近付く。
「うぐっ」
足がもつれて尻もちをついた。そのまま何とか動く腕で這いずる様に少しでも距離をとる。
「がんばんな、がんばんなあ。不憫で見てられんわ。
儂はな?
実はとっても優しいんじゃ。
銭をたっぷり蓄えとるお前等の父ちゃんみたいな偉そうな奴からな?
あっこの団子屋みたいにな?
報われん、下の者達にな?
ちゃあ~んと分配しなおしょうるんじゃ」
顔だけ相手を見据えて、這いずる忠右エ門の震える手が空を切った。
驚き背後を見る。
その広い山道、雑木林の反対側は崖となっていた。
落ちた小石の音は聴こえない。落ちればこの傷でなくとも命を落とす事だろう。
――こいつに討取られるくらいならいっそ……。
そう思った彼に、阿藤杵光は歩を止めて「あっ」とわざとらしく驚く様子を見せる。
「そいやさ。そいやさぁ。
儂って、実はこうやって仇討ちされたんて初めてなんよ。
入った先の関係者は全員もれなくぶち殺してたからよ。
じゃから、お前さんがまさか生き残ってるとは思いもよらんよね。
でもさでもさ。
それじゃったら、見てくれた? 」
最早呼吸もままならない。
霞むその目で、ただただその憎き相手を睨みつける。
「おまんの妹の顏よ‼
あれな、あれな‼
一緒にイッた瞬間に刎ねてやったんよ‼
じゃけえ、え~~顔じゃったろ??
いや~~~こうやって家族の者にその話が出来るなんて……夢のようじゃ~」
飛び跳ねてそう言ったその男を殺せぬ自分に怒りと悲しみが、そして妹への申し訳なさで忠右エ門は血の涙を流しながら阿藤杵光をただただ睨みつける。
「じゃあ、そろそろ行くわ。
返り討ちの証拠に部品、何か持って行くから、間違ってもそっから跳び落ちんなよ? 」
――そのつもりは、一切消え失せていた。
一瞬でも。
一瞬でも差し違える可能性が有るのなら。
――その時だった。
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