第5話 悲願

「……うん……? 」

 目覚めた瞬間に見覚えのない天井と、残った酔いに忠右エ門は少し混乱した。

 やがて身体を起こす頃に思い出す。


 2人を捜す様に首を動かすが、そこに人気は無い。

 隣部屋の囲炉裏に、すいとん鍋が1人前入れられていた。

「朝餉迄……馳走になる……」

 両手を合わせ冷めた汁を啜ると、頭の中がスッキリしていくのを忠右エ門は感じた。

 久しく味わっていない――他者の温もりの味だった。

「とても良い……出逢いであった……」

 かなり遠くまで来たが、無駄足ではなかった。忠右エ門はそう自分の胸に刻むと懐から巾着を出して数枚の小判をそこに並べる。



 そして、その小屋を出た。

 陽がもう、頭上近くまで高くなっていたどうやら正午近くまで寝ていた様だ。熟睡した事も久方ぶりでもう前回はいつだったろうか。


 そんな事を思っていた時。


「いやはや、よう眠られていたようだな」

 その声を聴いて一瞬主人を思い浮かべたが、直ぐに警戒を図り刀に手を掛けて声の方向に構える。

「よせよせ。わしを憶えておらぬか。

 昨日団子屋の前でぶつかったであろう」


 そう、お道化た様に言うその男の顔を今一度注意深く見て彼は記憶を思い返した。

 確かに……昨日会った気がする。

 人斬りカルハの事で夢中であった為あまり定かではないが、そもそもあそこで自分がぶつかった事を知っているのは店の者かその本人しかいない。となれば、嘘を言って近づいてきている訳ではなさそうだ。


「その男が拙者に何用か? 」

 長い旅ゆえ、この様な事も幾度もあり忠右エ門は警戒を解かない。


「……昨日其方が店の者に、話しているのが聴こえてな。

 ……それに用が在るのは其方の方ではないか? まあ落ち付いて話を聴け」


 男の言葉の意味が解らない忠右エ門は構えのまま初老の侍を睨みつけたままだ。

 だが、男はそんな事気にも留めずに彼に近付いていく。


「止まれ‼ 一体どういう意味だ‼ 」まるで悲鳴の様に叫んだ瞬間、嫌な汗が額にじわりと浮かんだ。

 だが、男は歩を止めない。

 顔には笑みすら浮かんだまま。腰の刀には手すら付けずに。


 そうして、遂に間合いにまで入った。


「あ、あああああああああ‼ 」

 それを条件に忠右エ門は一気に踏み込み、刀を振り抜く。


 刀の軌道が陽の光に照らされ閃光を描く。

 と、同時に手に残る違和感。

「やれやれ。落ち付けと言うに」

 息が頬に当たる程に接近した男。恐る恐る忠右エ門はその自分の刃を確認した。


 そこにはもう一本の刀がそれを止めていた。それは大きさから脇差。自分が刀を抜いたあの瞬間。男の手は腰にすら伸びていなかったはずだ。

 幾ら太刀より軽い脇差と言ってもそんな速度で抜けるものだろうか?


 ――一体この男、どれほどの猛者‼

 困惑する忠右エ門に男は、今一度歯を見せて笑顔を浮かべた。


「わしの名はカルハ。其方が遠い山城からこの地まで捜していたのは。

 このわしじゃよ? 」


 額の汗が静かに顎まで伝わって落ちた。






「なるほどのぉ。あの情報屋の酔っ払い。よう調べたわい」

 2人は小屋から少し離れた周防方面へ向かう山道に居た。

 忠右エ門から事情を聴いて、にやりと口角を上げながらカルハは顎を擦った。

 まだ、少し不安を残した様に自分を見る忠右エ門に気付くとカルハは「ん? 」とお道化る様に尋ねる。

 だが、次の瞬間忠右エ門はその場でその額を地面に打ち付けた。


「先程は、御無礼仕った‼

 どうか、カルハ殿‼ 拙者の仇討ちの助太刀をお願いしたい‼ 」

 あまりの勢いに、カルハは息を呑んで戸惑い困った様に頭を掻いた。


「止せ。そんな事をせずとも儂は其方の味方をするつもりじゃ」

 そう言って忠右エ門の両肩を掴んで上体を起こす。


「……誠に御座いますか? 」

 その言葉に、彼の胸は張り裂けそうな程高鳴り、その血潮の様な熱い涙が零れ落ちる


「無論だ。

 儂が助太刀を担う剣士じゃという事は聴いておるんじゃろ?

 其方の様な者の想いを成し遂げる為に。

 儂のこの剣はあるんじゃよ。

 辛かったな。

 安心しろ。

 儂が必ず其方の家族の無念。晴らして見せる」

 カルハはにかりと歯を見せて、まるで泣く我が子を慰める様に。



「じゃが、本当に運が良かった。

 その――阿藤杵光という脱藩者は、丁度最近この周防への山道で見たという情報を得ている。

 其方がここに儂を尋ねてくる事は……

 運命だったのかもしれんな」


 カルハはそう言うと、力強く忠右エ門を立たせると、砂の付いた袴を払ってやる。


「さあ、涙を拭け。

 その涙は。

 奴の断末の時にとっておけ」

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