第4話 利用

 唯一の奇跡は、忠右エ門が一命を取り留めた事だろう。

 斬られた左腕が、運よく肩の関節から斬られていた為、切断面が縦に斬られるよりも少なく出血を抑えれたのだ。完全に腕が切断されていなかったのも幸運だった。蓋の様な役割になったと同時に衛生面も保持出来た偶然が重なった。


 すぐに町一の蘭学医師の元へ行き、腕を縫い合わせる事には成功した。

 ここでの成功した。というのは。

 左腕の切断を防げたという意味だ。

 腐らぬ様縫い合わせる事には成功した。

 だが、機能まで回復させる事は、最新と言え当時の医療には不可能だった。


 何度も熱で魘されながら、死線から生還した忠右エ門が迎えたのは。

 絶望という現実であった。


「忠右エ門‼ 直江家が全面的に資金から何から援助をする‼

 両親をむごたらしい目に遭わせた者を八つ裂きにし未来永劫地獄を彷徨う様に復讐を成し遂げるのだ! 」

 直江家だけではなかった。妹の縁談が決まっていた尼子家まで忠右エ門に協力を願い出た。それ程までにこの事件は大きなものだったのだ。

 だが奉公人達は皆口を揃えて左腕が満足に動かぬ若主にそのような重荷はと、反対した。

 とても珍しい事だった。奉公人がお家に反対する等あり得ない事。

 だが、それ程までに忠右エ門の状態は良くなかったのだ。

 左手が動かせず一人で着衣も満足に出来ない少年に、あの殺人現場を創り出した暴漢を仇討ちするなど。正気ではない。

 骨の様に細った己の両の腕を眺め、奉公人達に忠右エ門は宣言した。

「拙者は、武士として。お家の名を穢した怪人を討たんとす」


 仇討ち――。

 その歴史は江戸時代当時で既に長い歴史のある日本の文化であった。

 誰もが理不尽な暴力を受けた場合に被害者側から加害者を殺害にてその罪を裁く制度。言うなれば私死刑。

 主に、武家の誇りを護る為に設けられたものだったが、民でも奉行所や幕府の認定があれば実行は可能であった。

 しかし、仇討ち中は相手を見つけ出し、殺害。或いは返り討ち。つまり己が殺害されるまではそれを優先しなければならず多額の出金の工面が必要だった為、必然的に経済的裕福である武家が用いる事が多く一般の民には手の届かない制度であったと言える。


 そして――条件が在った。

 それは、殺害されたのが被害者の目上の者でなければいけないという事だ。

 祖父母、父母、兄姉。

 つまり、子や妹、弟兄弟では条件が満たされない。


 忠右エ門は。

 己の心に鬼が要る事を自覚した。

 両親の殺害を――良かったと思ってしまったのだから。


 仇討ちの旅に出て直ぐに、家に入った暴漢は阿藤杵光という三十過ぎの山城の脱藩者だと判明した。すぐ隣の丹波の飲み屋で大騒ぎしていたらしい。

「山城の金持ち武士をぶっ殺してきたから、金がある」と。


 だが不思議な事に、そこから阿藤の足取りは全くつかめなかった。


 旅に出て季節は二周した。

 それは指も動かせなかった左腕が起き上がりに支えになる程度に回復した頃。

 だが今もあの夜を夢に見る。

 あの時、意識を失わなければ。

 或いは妹を救出出来たのではないか?

 あんな、惨たらしい最期を迎えさせないで済んだのではないだろうか?

 膨らむのは自責の念。

 そして、込み上がる2つの感情。


 そこにはもう両親へのものは無い。

 愛する女を護れなかった自分のへの憤怒と。

 愛する女を辱めて殺害した男への殺意。


 日に日に膨れ上がるその感情を必死に抑え込みながら旅を続けていたある日だった。


「お兄さん、随分荒んだ目をしてるねぇ」

 立ち寄った食堂で酒飲みの客に絡まれた。酒臭い息を吐きながらその酔っ払いは忠右エ門の耳元に顔を近づける。


「――仇討ちかい? 」

 耳元に顔を近づけられた気味悪さよりも、その声に潜む深さに驚き忠右エ門は腰の刀に手を掛けて後ろに飛び仰け反った。


「止めな。不思議なことじゃあねぇや。

 おいらが偶々、そういう奴らに情報を売る情報屋で。

 あんたみたいな目をした奴らを嫌と言う程見てたってだけでぇ」


 忠右エ門のこめかみから顎に汗が伝うまでの間、2人はその態勢のまま睨み合う。やがて忠右エ門が刀の鍔口から手を離し、背筋を伸ばした。


「情報屋だと? 」

 忠右エ門の質問を受けて、酔っ払いの禿げた男は彼の食い残しの焼き魚の頭を指で掴んで口に放った。


「くくく……あぁ、相手の現在位置の把握。

 そして……仇討ちを成功させる術。何でもだ」


「馬鹿馬鹿しい」

 そう吐き捨てた忠右エ門に、禿げた酔っ払いは「おろ? 」と眼をパチクリさせた。

 そして、そのまま会計を済ませようと出口に向かう彼に囁いた。

「あんたじゃあ……万が一阿藤杵光を見つけ出しても勝てねぇよ。返り討ちでこの仇討ちは終わる」

 鬼の表情で忠右エ門が振り返ると、何と禿げの酔っぱらいはその眼前に立っており忠右エ門の柄頭を抑え込んでいた。

「ほれ。あいつは儂よりももっともっと手ごわいぞ? その左腕で奴に一太刀入れれるとはどうにも思えんがのぉ」


 仇討ちという制度は、現在では被害者が自ら加害者を死刑する様なものと思われているが、それは裏を返せば実行を被害者側に委ねて幕府が関与しないというものでもある。

 被害者側に加害者の殺害を許可するが、援助はしない。

 故に、この仇討ちを成し遂げるには――。


 まず加害者を殺害しうる力が絶対的に必要となる。


「兄さん、人斬りカルハって知っとるか? 」

 禿げの酔っぱらいの問いに沈黙を以て解答とす。


「ある意味、御伽噺の様な話なんだけどな?

 それは助太刀専門の超凄腕の人斬りらしい。

 らしい――ってのはその剣士を見た者がいねえからだ。

 実際に、その剣士に助太刀を頼んだ奴らも頑なに情報を話さない。そりゃあそうか。助太刀ってのは、ある意味復讐を果たす恩人だもんな。もし口外しない事が助太刀の条件だったらそりゃあ命に代えても護るだろうよ」

 随分と口調が早くなっている。息も荒くなりどうやら高揚している様だ。


「――だけどな?

 今回、儂らは遂に人斬りカルハに通ずる情報を手に入れたんや。

 あんさんには、その情報の真意を確かめてもらいたい」

 忠右エ門は燃える様な睨みを解かずに問い返す。


「その情報を俺に渡して

 何が目的だ。金か? 」

 禿げの酔っぱらいは「ふふふ」とバカにした様な笑みを見せる。


「金。せやな銭は確かに大事や。

 せやけどな? 儂ら情報屋にとってはそれは結果でしかない。

 この業界で長ぉ生きていくには、良い商品。詰りは情報の質や。

 人斬りカルハの存在が確かでしかも、その要請の条件まで掴んだとなればわしらの情報力はお上にも知れ渡るやろう。

 ひょっとすれば、お上直属のそう言った役職に就けるやもしれん。

 すれば、銭は幾らでも付いて回る

 そして、儂の名前がこの国に残るじゃろ? 」


 忠右エ門は呆れた様に口が開き、首を横に振るった。

「それで、俺の仇討ちを利用しようと言うのか。」


 それを聴いて情報屋は汚い笑みを浮かべた。


「武士の……男としての誇りか。

 家族への弔いか……。あんさんは、どっちを選ぶ? 」

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