第3話 惨劇

 直江家の屋敷は奉公人達の離れと多少の距離を置いた所に一家の母屋が在る。

 特に両親の寝室が屋敷の端にある少し変わった配置だった。


 夜も更けていた。わざわざ奉公人を起こし正門から入る事も無いだろうと、忠右エ門は裏門。丁度両親の寝室を通り過ぎ――己の部屋へ向かう。ところだった。


 言も得ぬ違和感を感じたのはその時だった。

 普段なら、両親の寝室を覗く様な真似はしないだろう。

 満月の月光が確かに照らして見せた。


 障子が……見た事もない模様を描いている。

 同時に生臭い様な嫌な臭いが余韻に浸っていたその鼻を書き換える。

 飛び上がるように土足で廊下に駆け上がると、障子を乱雑に開いた。


「うおお……お」

 予感はしていた。していたが、それを上回る光景だった。

「父上‼ はは……うえ……」

 母親の損傷は特に酷い。一目にそれはもう絶望的で一気に胃液が昇ってくる。

「ただ……えもん……いそぎ……ぶぎょうしょへ……いけ……」

 四つん這いになり、遂に嘔吐してしまった忠右エ門に、血まみれの父親がそう囁いた。

「父上ぇ‼ 」

 抱き上げようとするが、父親は首を横に振る。

「だめだ……わしはもうたすからん……いもうとを……なおえのいえを……たのん……」

 こと切れた父親を起こそうとしたが、瞬時にそれが脳裏に過る。


「みう……‼ 」

 両親の亡骸に一度頭を下げると、枕もとの護り刀を手に取った。

 眼が馴れたのか、それとも益々月光が輝いたのかは定かではないが、忠右エ門は素早くその場へとこける事無く駆け走る。


 廊下にはけたたましい程の足音が鳴る。父母を手に掛けた者がもし未だ屋敷内に居るのであれば、間違いなく気付かれる事だろう。

 だが、同時にもう一つ疑念が湧く。


 ――妹が異常を察して廊下に出てこない。


 その意味が持つ身の毛もよだつ想像をして、忠右エ門は怒りと恐怖で叫びそうになった。

「みう……みう……」

 震える声でその部屋の前に立つ。

「みう‼ 兄だ‼ 」

 しかし、返事はない。

 月光を背にしている。声だけではなく障子に映る影で己の位置も部屋の中の者には容易に把握できることであろう。

 冷静に考えるならば――今のこの状況。忠右エ門にとって多大な危機的状態である。

 いきなり障子越しに彼の急所に刃が飛び出すかもしれない。

 左手に持っていた護り刀を鞘から抜くと、そのまま鞘を廊下に投げ捨てた。

「カァン」と木が甲高く鳴る音と同時に、忠右エ門は乱暴に障子を左右に開いた。


 まず、目に映るのは部屋中央の妹の布団、そして一瞬でそれが空だと理解る。

 何故ならばそのまま動いた視線の先に、妹が居たからだ。手を後ろ手に縛られ口に布を咬まされている。だが――生きている。


「みう……‼ 」安心した様に、胸を撫で下ろし忠右エ門は妹に近付く。

 妹が生きていた。あろうことかそれだけで緊張の糸を緩めたのだ。

 何故――妹が拘束されているのか? その事にすら頭が回らない程に。


「んんんーーーー‼ 」一歩近づくと涙ぐんだ妹の瞳が声にならない叫びを挙げて、その瞳が自分から反れた時に。

 ようやっと忠右エ門は自分の最大級の失態に気付くのだ。


 左の視界に大きな黒い影が飛び込んで来た。

 反応が起きた時にはもう遅い。

 持っていた刀は右手。狙われた箇所からは最も遠いその対角上から見事に斬られ上等な着物の奥から噴水の様に血が宙を舞った。

 日本刀の刃が身体を通り抜ける衝撃は想像よりも遥かに大きい。

 大きな肩の骨が砕け体幹にまで響く衝撃と切られた箇所の熱さで、忠右エ門は一回、二回と身体を回し敷かれていた布団の上に崩れ落ちた。

「んんんんーーーー‼ 」

 足元に倒れた兄に、妹は必死で声を掛け近付こうとするが。


「よーし、4人目。これで一家は全員だな……っと」

 部屋の前で残心をとった男がそう言うと、月光を背にゆっくりと2人に近付き忠右エ門の身体を蹴って仰向けにする。


「おめえが、ここの息子か。

 おい、いいか? まだ死ぬんじゃねぇぞ?

 てめえが死んだら折角これからする妹と俺のお楽しみを、見てくれる奴が居なくなっちまうんだからよ。

 だからよ? 俺が果てるまで、生きて……そんでじっと……見ててね? 」


 そこまで言うと男は邪悪な笑みを浮かべて忠右エ門の着物を引き千切って己で切り裂いたその傷に止血を施し、足元の布団で身体を拘束させて乱暴に壁に向かって彼を投げつけた。

 忠右エ門は出血で失いそうな意識の中、必死で妹の名前を呼ぶ。


「みう……ちゃんってのかぁ

 残念だなあぁ。あと、3年くらい熟したら、んもう最高だったろうなぁ」

 男は口角から唾液を滴らせて、拘束されたみうへ飛び掛かった。

 じゅるっじゅるっと、その雪肌をねぶる舌の音と声にならないみうの悲鳴が部屋に鳴り響いた。


「い……ヴぅ~~~~~~~~……」

 声を出すだけで、意識が飛びそうになり眼球が脳天を突く様に動く。


 変わり果てた2人が見つかったのは、その暴漢が既に立ち去った朝方の事だった。

 最初にその凄惨な現場を見つけた奉公人の女性は、叫び声を挙げた後気をやってその場に崩れ落ちた程であった。

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