第7話 巌流

 その2人の間に「りーーん」と空気を割る音が響く。


「あん? 」

 その音は山道の2人が来た方向から聴こえてきた。


 やがて、桃色の袴を着その肩に後ろの景色が映る程の羽衣を纏って、顔を僧侶が使う様な大きな笠で顔を隠した小柄の女性が姿を見せる。そして「りーーん」と再度鈴の音が響いた。


 修羅場に似つかわしくないその可憐な佇まいに。

 忠右エ門は一瞬、自分を迎えに天から舞い降りた天女ではないかと思った。


 そして……一方の阿藤杵光は口角を上げて喜びの表情を浮かべる。


 すれば、あろう事か忠右エ門を眼中から外しその女性の方へと向かっていく。


 ああ……。

 忠右エ門は理解した。

 こいつは。

 こいつは、人ではない。

 人の形をした悪鬼羅刹。


「に、にげろ……」

 掠れる声を振り絞る。

 それは、見える距離に居る2人にすら届かない。

 ああ……。

 何という事だ。

 あの悲劇が……。

 あの惨劇が……。


 その時だった。

「大丈夫ですか? お客さん」

 ひどく懐かしい様な、けれど記憶に新しいその声。

「あなたは……」

 一体いつの間にそこに居たのか。

 その初老の男性は、直ぐに忠右エ門の傷口にサラシをきつく施した。

「すいませんね。奉行所に確認に行っている間に……どうやら先んじられちまったようで……本当に申し訳ありません。

 貴方様の仇討ち相手阿藤杵光は――確かに佐々木軽羽ささきかるは、助太刀承りました」


 そして店主は直ぐに真っ赤に染まったサラシを見て、静かに脇差を抜いた。

「せめてものお詫びと言っては、余りにもなんですが……。その苦しみから解放して差し上げるのが今のアタシに出来る唯一の事のようです。ですが安心して下さい。間もなく奴は必ず断末致します」

 慈愛が混じる瞳が忠右エ門に向けられる。


「やはり……貴方が? 」

 必死で、消え入りそうな小声で尋ねた。

「正しくは、アタシ達が……です」


 忠右エ門は思考を巡らせるが、抜け過ぎた血のせいだろう。途切れ途切れに意識が現世を断ち切ろうとしている。


「起こして……くれませんか? 」

 少しだけ間があったのち、店主は脇差を鞘に納め、両手で忠右エ門の上半身を起こしてその顔を向かい合おうとする2人の方へ向けた。

「では……あの娘さんが……」


「はい……あいつが……人斬りカルハで御座います」



「おほほほほ、お嬢ちゃん。こんな人気のない山道に……お前さんみたいな上玉が一人でふらついちゃあダメだ、儂が一緒に行ってやろう。の? 」


 その桃色の袴の女性はそこでピタと立ち止まると。


 思いもよらぬ動きを見せた。


 真っ白な足袋が美しい右足を前方に出し、左腰元に右腕を伸ばす。

 それは――構えである。


 そしてそこで阿藤杵光は恐るべき事実を知る由となる。


 眼前の天女と見間違うその相手は。

 いや、正確にはその腰元には。


「ねぇねぇ。なんで、帯刀してんの?

 お前さん……何者よ? 」


 そして……気付く。


「儂を……斬る気なん? 」


 返事はない。


 阿藤杵光は静かに抜刀し中段に構えを取り、切っ先をその天女に向ける。


「答える気がねぇなら、わりいけど死んだ後にカラダは使わせてもらうわ。

 あ~~……マジで意味不明だけど、惜しいわぁ。

 殺した後だと締りが全くわりいんだよなぁ。あのぞくぞくする鳴声も聴けねぇし」


 無駄口の様な会話を行いながら。

 阿藤杵光の視線は相手の右手の先に集中している。


 ――太刀じゃねぇ。大脇差か。ま、女ならそっちの方が懸命だな。


 阿藤杵光はそれを確認して思わず吹き出しそうになった。

 こちらの得物は、相手より遥かに長い間合いを持つ太刀。


 となれば、向こうはこちらの初太刀を捌いての反撃でなければ理に敵わず。


 つまりは――この勝負はここで決したと考えてよい。

 何故ならば、相手の構えは阿藤杵光のそれとは違う。

 それは居合――又の名を抜刀術と言われるそれである。


 この構えは先の先をとる為の防御を捨てた攻撃特化の型。

 互いの得物によって間合いの勝敗が決まっている今、それを構ると言う事は正に自ら死地に飛び込んでくる様なもの。


 じりじりと阿藤杵光だけが動き、互いの距離が縮まっていく。



 ――どうか……。どうか……。

 最早、声も出せない忠右エ門はただその光景を見て仏に願うしか出来なかった。

 そんな彼に、店主は力強く言った。

「ご心配なく。もう間もなく奴の現世うつしよの生は終わります」



 その流派――。


 開祖を富田とだ流にもつ鐘捲かねまき流から派生し。

 富田、鐘捲両流派が得意とする小太刀(※大脇差とも言われる)の技以外にも。

 野太刀、そして抜刀術の型の流れを多段に組まれたとされる。

 だが現代の日本では伝わるその書物が皆無に等しく、歴史の表舞台から必然と姿を消す事となった。


 名を――。


 岩流がんりゅう



 あと半歩。

 あと半歩で阿藤杵光の間合いに入る。

 その目安が整った瞬間。


 地を蹴り、天女が動いた。

 確かに踏み込みで間合いの不利を消す事は可能。だがしかし。

 それでも、この間合いでは切れて鼻先。

 躱す必要もない。寧ろ受けようとして小手を狙われる方が遥かに拙い。


 阿藤杵光は、悪事に身を落とすまで江戸で開かれる御前剣術大会に地元道場の代表として出場する程の腕を持った剣士であった。

 故に――見間違う事はない。


 事実――相手の女が手に持つは正に彼の推察通り小太刀。

 そして、従来のそれなら。

 結果も阿藤杵光の読み通り。刃は目標に届かず、空を切る事だった。


 だが。


 彼の眼はハッキリと自分の首元を横薙ぎに通り過ぎる相手の刃を見送った。


 それと同時に――中段に構えた己の刀を振りかぶる。


 ――終わりだ、謎の暗殺者め。


 次の瞬間だった。


 その光景を、朧気な霞のかかる中、忠右エ門は確かに見た。


 あの、憎き相手の。

 その首元から噴水が如き噴き出る血飛沫を。

 それは、その目にもハッキリとその者の死を伝える絶対的な光景。



「おいおい。なぁんで……届くんだよ? 」

 それだけは絶対に相手へ訊かなければ気がすまなかった。

 力の抜ける下半身が崩れ落ち、目だけを上に向け彼はその笠の中の顔を覗き見る。

 そこに居たのは、人はおろか虫も殺せなそうな可憐な乙女だった。


「……ああ」

 阿藤杵光は舌打ちを打つ。

「確かおめえ……耳、聴こえねえんだったか……」

 その言葉を最期に、彼は身を痙攣させ硬直させた。


「お客さん。終わりましたよ……。

 ……ああ、よかった。

 しっかりと見終えれたようで……」


 全てが終った後の忠右エ門のその顔は、とても穏やかであったという。



「――信じられんな。本当に、いや、噂以上だ。

 存在していたのか……人斬りカルハ……

 しかも……。

 まさか女子おなごだったとは……。

 直江忠右エ門と阿藤杵光を利用し仕向けた甲斐があったというモノ……」


 実は、この仇討ちを。

 もう一人遠く、遥か遠くの場所で見ていた者が居た。

 その者は、禿げた頭に手を当てると、もう片方の手で瓢箪を口に含むと。

 吐いた息が酒に化けそうな程の臭いを纏わせて。

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斬人天女 ジョセフ武園 @joseph-takezono

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