斬人天女
ジョセフ武園
第1話 人斬りカルハ
長門(※現在の下関)山道。
「親父、こっち団子とほうじ茶を早う頼む」
小さなその山中に立つ団子茶屋は、大層な賑わいを見せていた。
周囲の樹木はやや焦げた様に端の色を変え始め、汗ばむ様な日差しから心地良い風が吹き始めた頃。
その5帖にも満たない店内で白髪混じりの初老の店主と、若く美しい娘がせわしく働いている。
1刻程のちその客足がようやっと落ち着き2人も店前に出て腰掛けで休む。
「随分と繁盛しているな」
入り口の縁側で団子を貪っている初老の武士が2人に声を掛ける。反応したのは店主だけだった。
「ええ、有難い事で。小倉まで向かう方達が懇意にしてくだすってるんでさぁ」
店主はにかっと歯を見せた。
「……そうか、確かに美味い。団子も、茶も見事だ」
初老の武士はずずっと音を鳴らし茶を飲み干すと、もう一度振り返る。
「娘よ、歳は幾つだ? 」
だが、声を掛けた若く美しい娘は何の反応も見せず、大きく息を吐いては吸って整えている。
「すいやせん、旦那。この娘ぇは……おふしでございやす。
名はおハネ。歳は……恥ずかしながら今年で十九の年増でございやす」
それを見て、店主は申し訳なさそうにそう言った。
「なんと……
賄い中は全くその様に思わなかったが……そうか……」
初老の武士はゆっくりと立ち上がると、店主の手に代金を手渡し娘と視線を合わせる。黒の中に栗の様な艶やかな赤茶が見える。
「うぬ、綺麗な瞳だ。
ハネ……成程、羽根か。ハネよ、辛かろうが強く生き抜くのだぞ」
「旦那、こりゃ多すぎますぜ? 」
掌の銭を眺めながら店主が困惑しながら言うと。
「よい、娘に髪飾りでも買ってやれ」
それだけ言うと初老の武士は店を後にしようとした。
その時だった。
「……おっと」
まるで何かから逃げる様に急いできた帯刀の少年と彼はぶつかる。
「ぐわっ」
そして、体格差からぶつかった少年の方が大きな音を立てて尻もちをつく。
「やれやれ、小僧。そなに急かしなずともよかろうが」
彼の伸ばした手を睨むと、少年はそれを掴まずに立ち上がり、ボロボロの汚れた袴のケツを叩き砂を右手で落とした。
「……失礼致した。山城(※京都)よりここを目指していたので浮足立っていた様だ」
そして、頭を垂れると荒い息のまま店へと入っていく。
立ち去ろうとしていたが、彼はその様子が気になり店の入り口に寄り掛かり中の様子を窺った。
「ああ、すいやせん。お客さん今日はもう材料が掃けちまって店仕舞いなんですよ」
入り口で仁王立ちの少年に店主は申し訳なさそうにそう言った。
だが、少年は眉をキッと傾けたまま真直ぐに店主へ近づく。
困惑する店主に少年はぶつかる程顔を近づけてこう囁いた。
「ヨモギの草団子と冷たい抹茶を温め直してくれ」
ぴた。と店内の空気が凍り付いた。
その異様な雰囲気は入り口で様子を窺っていた初老の武士にも伝わる。
「……へえぇ、随分奇妙なご注文ですねぇ」
その空気を動かしたのは、困惑した店主の声。
「ですが、お客さん。申し訳ないですが本当に今日は店仕舞いなんです」
そう言って少年から距離をとろうと後ずざったが。
その着物の袖を少年は左手で掴んだ。
「違う‼ 拙者は山城士族の
この度は我が父母と妹を惨殺せしめし浪人、
摂津(※大阪)を旅していた時に、かつて仇討ちを成し遂げたという農民が教えてくれた。ここはあの伝説の助太刀専門の侍『人斬りカルハ』の仲介をしてくれると‼ 」
思わず、盗み聞きをしていた初老の武士が口を両手で押さえた。そして呼吸を整えたのち、今度は顔を覗き込む様にしてその双眸を満月が如く開き見る。
「……へぇ、そ、そうですか……」
しかし、店主は変わらず困った様に額を掻いた。
そして、突き刺さりそうな程真剣な少年の瞳を申し訳なさそうに見つめ返す。
「申し訳ございやせん。お客さん……そりゃ何かの間違いかと思いやす。うちは老いたわたくしめと耳が不自由な娘が営む、しがない山中の茶屋でございやす。伝説のお侍様などと……全く存じません」
ギリリと少年が掴んだ袖が音を立てる。が、やがて少年は力なくその場に膝から落ちた。
「そんな……」その搾り出した様な声は涙と無念が痛くなる程に混じっていた。
「……お客さん、もしよかったらお話だけでも聞きましょうか? 」
少し間が空き、やがて左手の袖で顔を乱暴に拭うと少年は立ち上がった。
「いや、そこまでご迷惑をお掛けする訳にはいかない。
大変無礼致した。拙者はこれにて失礼つかまつ……」
言葉の途中で、何よりも大きく少年の腹の虫が鳴いた。
赤面するそれに対し、ふふっと鼻で思わず笑ってしまう。
「宜しければ夕餉をご一緒にどうですか? ここから少しだけ歩きますが離れにうちの小屋があります。娘が帰って支度をしている頃でしょう」
「い、いや‼ 拙者は武家の者‼ 見ず知らずの人に恵みを頂くわけには」
そこで、言葉を遮る様に再び腹が鳴った。
「遠くからわざわざ、大変な苦労をしてここまで来て下すったんだ。どうか、ご遠慮なさらずに」笑う店主に、すっかり赤面した顔で少年は頭を下げた。
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