幽霊なんかいない

尾八原ジュージ

幽霊なんかいない

「いいとか悪いとかじゃなくて、自分と全然違うタイプの子だなって思ったんですよ。最初は」

 明奈あきなさんの話は、そんな風に始まった。彼女が大学一年生の時のことだという。


 忍足おしたりさん、という女の子だった。

 ふたりは大学に入ってすぐのオリエンテーションで知り合い、連絡先を交換した。以来、彼女は何かと絡んでくるようになった。

 正直にいって、明奈さんの苦手な感じの子だった。というより、どうやって付き合ったらいいのかわからなかった。

 古風なシルエットの足首まで隠すワンピースに、ヒラヒラした裾のカーディガン。いつもノーメイクで、まっすぐな黒髪を背中の半ばまで垂らし、大きなトートバッグにいつもお菓子を入れている。なのに食事はほとんどとらないらしく、小柄でちょっと怖いくらい痩せていた。

 初めて会ったときに「忍足梨華りかさんね」とフルネームを確認すると、「りりかって呼んでねぇ」と舌足らずな声で言われ、その瞬間に明奈さんは「自分と合わないな、この子」と直感した。ところが忍足さんは反対に彼女のことが気に入ったらしく、姿を見かけるとローファーをぱたぱた言わせて駆け寄ってくるようになった。

「明奈ちゃん、今日もかっこいいね~。王子様みたーい」

 そう言われると、一応誉められてはいるわけだからそっけなくするのが難しく、明奈さんはいつも笑ってごまかしていた。


「確かに私、女子にもてるかも。中高の頃はバレンタインデーにプレゼントもらったりしたし……。でも背が高いだけで、別にかっこいいとこなんかないんですよ。スポーツ得意じゃないし、優柔不断だし、臆病だし。忍足さんは、明奈ちゃんは優しいねってよく言ってたけど、そんなんじゃないんです。ただ人の顔色を気にしすぎて、厳しいことが言えないだけ」

 今思えば自分のそういうところがよくなかった、と明奈さんは当時を振り返った。


 忍足さんは霊感少女を自称していた。知り合って一月も経たないうちに、彼女は明奈さんに幽霊の話ばかりするようになった。

「図書館の一階の北のトイレ、よく女の霊が出るの。だからあそこにいると寒くなってくるんだよねぇ」

「今あそこの隅に男の人が立ってる。見ないほうがいいよ、気づかれると面倒だから」

「うっ、今肩が重くなった。なんか憑いてきちゃったかも」

 もっともらしい顔でそんな話をされるたび、明奈さんは「そうなんだ、私にはわかんないや」などと受け流しながら愛想笑いをしていた。

 忍足さんが早くも学内で孤立しつつあることは明らかだった。彼女はますます明奈さんに寄ってくるようになった。ただし、他の友達と一緒にいると現れないので、彼女はなるべく誰かと行動を共にするようにしていた。時々休日に遊びに誘われることもあったが、サークル活動やアルバイトを理由にすべて断った。

 忍足さんは自分のことを、友達というだけでなく、「擬似的な彼氏」にしようとしている。明奈さんは彼女にそんな気配を感じていた。あまり親しくするのはよくないと思った。

「夏休みは旅行に誘われたんですけど、前半はバイト、後半は帰省ってことで押し通しました。二人だけで泊まりがけとか……悪いけど、絶対嫌だと思って。だってホテルで『この部屋、何かいる!』ってやると思いません?」

 そう言うと、彼女はうんざりしたように小さく笑った。


 長い夏休みが終わると、忍足さんは待ってましたとばかりに、再び明奈さんにつきまとうようになった。

 この頃から彼女は、「やばい霊にとりつかれた」という話を頻繁にするようになった。恋人に殺されて死んだ女の亡霊で、忍足さんを妬んでいるのだという。

「気がつくと、りりかのすぐ横に立ってるの。顔が切り刻まれてぐちゃぐちゃの、髪の長い女」

 骨ばった小さな手で明奈さんの腕をとり、忍足さんは女がいかに凄惨な様子かを延々と説明した。相変わらず眉唾物の内容だが、愉快なものではない。

 明奈さんの中に、忍足さんを疎ましく思う気持ちが増していった。そしてそれはある日突然、爆発することになる。


 冬の初めの、静かな夜だった。

 学生マンションの自室で、明奈さんは課題に勤しんでいた。提出期限は明後日。進行具合からいって、ぎりぎりのスケジュールだ。

 すでに零時を回っていた。レジュメと格闘していると、スマホが鳴った。

 忍足さんだった。文字のメッセージではなく、音声通話である。

(長くなるんだよなぁ)

 そう思って無視していたが、電話は何度も何度もかかってきた。放っておくと次に会ったときにしつこく詰られるかもしれない。それはそれで面倒臭い。

 どうせ大して中身のない話だろうから、ハンズフリーにして、適当に相槌を打っておけばいいか……とうとう彼女は電話に出た。

『明奈ちゃん遅ぉい。今大変なのぉ』

 例によって例のごとく忍足さんは「例のやばい女の霊」について訴えてきた。明奈さんはレジュメに線を引きながら「うん」「うん」と返す。電話越しにもそんな態度が透けて見えたのか、30分ほど経った頃、少し裏返った声で咎められた。

『明奈ちゃん、あたし大変なんだよ? 真面目に聞いてるのぉ?』

 さすがの明奈さんも、そのときは頭がカッと熱くなった。

 宿題は思うように進んでいなかった。空返事とはいえ、電話に受け答えをしていたからだと思った。その瞬間、今まで溜まっていたものが噴出した。

「いい加減にしてくれる? 私、宿題しなきゃならないんだけど」

 これまで聞かせたことのない、尖った口調で言うと、電話の向こうで相手が怯んだのがわかった。思いの外あっさりと引きそうな気配を感じた明奈さんは、もっと早くこうしておけばよかった、と後悔した。

「いもしない幽霊の話をいつまでも聞いてられるほど、私暇じゃないから。じゃ、切るね」

 彼女が通話を切るためスマホをタップしようとした、次の瞬間

『違う』

 忍足さんが低い声で言った。

『いるもん。証明する。今から女がそっちに行くって』

 なにそれ、と通話を切ろうとすると、忍足さんがぶつぶつと呟き始めた。

『明奈ちゃん、水色の服着てるでしょ。マクロ経済の宿題やってる。テーブルに水玉模様のマグカップが載ってるよね。あとピンクのマーカー持ってる』

 明奈さんは思わず、手に持っていたピンクの蛍光ペンを放り出した。

 服も課題もマグカップも、すべて忍足さんに告げられた通りのものだった。

 しかし、彼女を自室に入れたことは一度もない。

 背中に冷たい汗が流れた。

『全部当たってるでしょ』

 スマホから忍足さんの声がした。『今そっちにいるんだから。あいつが』

「ねぇ、どこから見てるの!?」

 明奈さんが叫んだ瞬間、施錠され、自分一人しかいないはずの部屋の中で、ミシ、と床を踏む音がした。

 降って湧いたように、突然背後に気配が満ちた。

 動けない彼女の頬に、なにか細いものがパラパラと触れた。艶のない長い黒髪が視界の端に映った。

(女だ)

 そう思ったとき、か細い手が彼女の左肩に置かれ、ぐっと掴まれた。


「それから一時間くらい記憶が飛んでるんです」

 気がつくと、明奈さんは自室のベランダで膝を抱えて座っていた。

 おそるおそる振り返った部屋の中には誰もいなかった。通話はすでに切れていた。

 それ以来忍足さんは、学内で明奈さんを見かけても近づいてこなくなった。ただ少し離れたところから、こちらを睨みつける姿を何度か目にしたという。

「あんな体験はしたけど私、忍足さんの言う殺された女の幽霊って、やっぱりいなかった気がするんですよね」

 自分の左肩を撫でながら、明奈さんはそう呟いた。

「あの髪とか、私の肩に置かれた手とか……あれ、忍足さん自身の髪と手だったと思うんです」


 忍足さんはその後しばらくして大学に来なくなった。

 体調を崩して休学し、郷里に帰ったという噂を聞いたが、その後の消息はわからない。

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